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魔女とキリスト教 ヨーロッパ学再考 (講談社学術文庫)
著者 上山 安敏 (著)
魔女とは何か?魔女の淵源は古代地中海世界の太母神信仰に遡る。それは恐怖と共に畏敬にみちた存在であった。時を経て太母神はゲルマンやケルト等の土着の神々と習合し、キリスト教と...
魔女とキリスト教 ヨーロッパ学再考 (講談社学術文庫)
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商品説明
魔女とは何か?魔女の淵源は古代地中海世界の太母神信仰に遡る。それは恐怖と共に畏敬にみちた存在であった。時を経て太母神はゲルマンやケルト等の土着の神々と習合し、キリスト教との相克の過程で「魔女」に仕立て上げられていく。そして中世の異端審問、凄惨な魔女狩り……。民族学、神話学、宗教学、精神分析学等々、広範な学問の成果に立脚し、魔女を通じて探った異色のヨーロッパ精神史。【商品解説】
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「魔女」ということをテーマにしてみたヨーロッパ精神史です!
2020/03/05 09:12
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、「魔女」ということをテーマにヨーロッパの歴史を考察した異色の一冊です。「魔女」という言葉はよく聞きますが、これは一体どこから発生したのでしょうか。同書では、「魔女の淵源は古代地中海世界の太母神信仰に遡る」と主張されています。そして、「当初、魔女は恐怖と共に畏敬にみちた存在であったにも関わらず、時を経てゲルマンやケルトなどの土着の神々と習合し、キリスト教との相克の過程で<魔女>に仕立て上げられていった」と説明されています。こうして、中世には「異端審問」や「魔女狩り」ということが起こっていったのだというのです。なかなか興味深い内容です。同書を読むことで、私たちが知らなかったヨーロッパの精神世界が見えてきます!
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上山学の精華
2002/11/30 22:44
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
神学・法学・医学という西欧中世に確立した「書かれた理性」の裏面に脈打つもう一つの西欧精神史。法制史家の著者が前著『フロイトとユング』に続いて、バハオーフェンの『母権制』とウェーバーの『古代ユダヤ教』のねじれた接合の上に、古代地中海世界のマグナ・マーター(太母神)とケルト・ゲルマンの樹木崇拝の混淆による魔女の成立とマリア信仰の意味、そして魔女狩りの狂騒からアダムの最初の妻リリトに依拠するフェミニズム神学まで縦横に論じ尽くした「上山学」の精華。
ここでは第十九章「魔女の祖型」から二つの文章を抜き書きしておく。
《私は、日本の宗教がアニミズム的な多神教や祖先崇拝の性格を持つのに対して、キリスト教が一神教と救済宗教の性格を持つといったたぐいの、彼我の対比を試みる意図はもっていない。そういう図式的理解が教義という表層の解説にとどまるにすぎないことは、キリスト教研究に入った者は誰でも感得している。私がヨーロッパにおける「魔女とキリスト教」というテーマに取り組んだ動機は、キリスト教の教義はどの程度民衆の心性をつかまえ、民衆の民俗信仰はどの程度キリスト教化したのか、これを解くことが、ヨーロッパの精神史を語る重要な鍵ではないか、と考えたからである。
これまでヨーロッパイコールキリスト教というイメージが強かったのは、キリスト教が教育体制を独占したために、司祭、法律家、医者という中世以来のエリート層を傘下におさめ、「書かれた理性」が口頭伝承の文化を圧倒してしまったからであった。民衆文化はキリスト教教養層によって「翻訳」され、したがってヨーロッパの精神史の底流に生き続けた民衆の信仰は表層にはでないのである。》
《世紀末のアスコナ・グループ、シュヴァービングの宇宙論サークルは、ニーチェ、バハオーフェンから知的刺激をうけ、ヨーロッパの生きた信仰であるユダヤ=キリスト教(旧約聖書、新約聖書)の神話の世界に大胆に踏み込んでいった。彼らはユダヤ=キリスト教を父性宗教、バール、モロク、アスタルテ信仰を母性宗教として両者を対比した。後者には宗教行為としてのオルギアがあり、女性が巫女として仕え、豊饒信仰に普遍的にみられる人身御供、寺院売春が附随していた。これに対してユダヤ教は、神官職を男性が独占し、供犠とオルギアを禁じた。
ユダヤ=キリスト教を、母性宗教、太母神、地母神、多神教の側からとらえ直す思想が、世紀末の社会に広く共鳴して受け取められた。このことは、ヘルマン・ヘッセ、ホーフマンスタールの作品を読めば明らかだし、ユイスマンの『さかしま』やボードレールの『悪の華』にもうかがえる。》