紙の本
「続明暗」も読めるようにして欲しい
2003/02/16 09:46
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投稿者:穂高 嶺二(文筆業) - この投稿者のレビュー一覧を見る
「続明暗」でデビューした水村美苗の第二作。著者は最近、7年ぶりの小説「本格小説」を上梓した。「美苗」とその姉の「奈苗」がアメリカに「追放」された二十周年にあたる12月13日の一日が描かれ、これまでのニューヨーク近郊での「美苗」一家の出来事の回想が挿入される。日本近代文学「私小説」の伝統にそって、「美苗」は気分が塞ぐ日々を送っている。「ここでは我々は東洋人としか見られず、所詮二等市民でしかない」という諦めに似た思い。
水村美苗の作品はどれも考え抜かれた構成を持っている。寡作だが、出した三編全てが全く異なった実験的な狙いを持っており、最近のチープなベストセラーと違うのはもちろんのこと、日本の現代の小説の流れとは全く異質の作品群である。それ故に、というべきか、「続明暗」で、芸術選奨新人賞、「私小説 from left to right」で野間文芸新人賞、「本格小説」で読売文学賞、と百発百中!であるにもかかわらずどれもベストセラーになっている訳では無さそうで、2003年1月に買った本書の新潮文庫版では「平成10年(1998年)10月1日発行 第一刷」とあり、この4年間で増刷はされていないようだ。さらに、作者のデビュー作であり文壇に衝撃を与えた「続明暗」は、単行本も新潮文庫版も2003年2月2日現在で入手できなくなっているのはあまりにひどい! あまり売れる本でないのは分かるけれども、このような重要な作品は赤字を出しても読者が読めるようにしておくのが出版社の良心というものではないだろうか?
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小説というより長いエッセイという雰囲気のほうが強い、文化論や日本人論、アイデンティティ論を考えるのに格好の材料になる作品
2003/12/18 16:58
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:pipi姫 - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公水村美苗には二歳年上の奈苗という姉がいて、二人はそれぞれ13歳と15歳で家族とともにニューヨークに移住した。そのまま20年が過ぎ、彼女達は結局のところ、どうしてもアメリカ人になれなかった。そして30歳をすぎて結婚せず、かといってそれぞれの道で成功したわけでもない、延々と続くモラトリアム人生を無為に過ごすような毎日を送っている。そして毎日毎日数時間もの長電話が姉妹を繋いでいる。
この小説のもっとも斬新なところは、横書きであるということ。そして、英語がふんだんに会話に登場し、日英語小説となっている点だ。英語がまったく理解できない読者には読めない小説だから、最初から読者層は限られている。とはいえ、高校生程度の英語力があれば楽に読めるような英語でもあるので、それほど恐れることはない。
この小説を通して繰り返し何度も描かれているのは、異邦人の生きにくさだ。アメリカという国で、東洋人が生きていく辛さや屈辱感が作品のそこかしこに溢れている。日本人は自分が東洋人であることを意識しないが、アメリカへいけば日本人は韓国人とも中国人とも区別がつかない。わたしたちが黒人を識別同定できないように、アメリカ白人は東洋人を識別できない。日本人である美苗と奈苗姉妹は、自分達が韓国人と同列に扱われたことに激しい屈辱を感じるのだ。そのどうしようもない差別意識を内と外から眺めるような日々を送る彼女達は、永遠にアメリカ人にはなれず、かといってもはや日本人にも戻れない。
揺らぎ揺らいで足を下ろす場所も身を落ち着ける場所も定めえない、彷徨の女たち。そんな美苗にも転機が訪れる。日本に帰る決意を固める日がやってきたのだ。『私小説』は、決して短い小説ではない。だが、小説の中で流れる時間はたった一日のことだ。延々と続くのは美苗の回想。20年にわたる水村家の人々のアメリカでの生活が描かれている。
この小説に描かれたアイデンティティの揺らぎは、美苗やわたしたちの世代に特有の現象かもしれない。今の若者なら、アメリカへいっても美苗たちのように苦しむことはないだろう。作者とわたしが同世代だからか、共感を覚えたり同世代特有のノスタルジーを感じる部分が多い。
典型的都市プチブルのお嬢様生活に慣れきった姉妹たちには異国で貪欲に生きていくガッツもなければ自分の才能へのこだわりもない。しかし上昇志向だけは身に染み付いて離れない。そのプライドと甘ったれ根性にひきかえた孤独。それを悲しい性(さが)と他人事のように嘲笑(わら)えるだけの冷静さをわたしはもてない。
ちなみに、多くの書評がついている『本格小説』は超お奨めの続編。←は★五つね。
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現在再読中。作者の日本、日本語への強い気持ちがよく分かる。
私も無性になんでもいいから日本語で書かれているものを読みたくなります。
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日本語が好きな方、海外での生活を考えている方、勿論本が好きな方にはいいんじゃないでしょうか?。特に留学など、海外での生活経験者には絶対にお薦め。著者同様に感じる孤独感は共有できるものだと思います。
子供時代から大学院時代(本の中ではこの時期が現代)を米国で暮らした著者の、海外で暮らす生活や日常を、いくつかの時期について、「海外で育った日本人」という独特の視点で見つめる作品で、なんともいえない孤独感が全体に漂っています。NYCで暮らす姉との電話のやり取りも、また、著者と姉それぞれの孤独さの比較・対比もなんともいい感じです。
淡々と語る口調は、冒頭部分に登場する雪の降り積むイメージとも重なり、物静かで哀しい色合いの本です。
また、言葉、特に日本語へのこだわりが強く感じられ、この人の日本語の美しさには感嘆させられました。きっと日本語というものを、自分のアイデンティティをつなぎとめておく鍵として、そして日本文化や日本人というアイデンティティを失いたくない、或いは日本人というある種の集団から完全に切り離されたくないと願望も入り混じったような気持ちで大切にしてきたからじゃないかと思います。
スタイルも、左から右(洋書と同じ)、横書きで、日本語に英語が少し入り混じった文体で書かれています。
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ちょっと暇だったから借りてみた。バイリンガル小説。会話にしょっちゅう英語がでてくる。その度にその意味が気になる。異郷の地で長い期間暮らすことは、きっときっととてつもなく寂しいのだろうし、同じ志を持つ人間が沢山沢山まわりにいないとダメになっちゃいそう。日本は、狭くてみみっちくていいとこもあるけど結構どうしようもない国だと思ってるけれど、横着して生きてゆくには、結構いい国なのかなって。 でも、結局保守的な人間は、どこに行ってもそうなのかなって。
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海外で日本人・東洋人を意識する瞬間などといった頷ける場面と、そりゃお前だけだろって部分の混ざり具合が面白い。というより単純にバイリンガル&横書きってところが新鮮。
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これは何だかんだいって西欧における東洋だとか、言語民族国家を問題にして言えるように見せかけて単に家族がうざいと言いつづけるだけの話。
に見えました。
アメリカに一家で移住した姉妹を中心に話は展開していきます。有色人種だからとかアメリカになじめなかったとかが今の姉妹の人生が上手く行っていない理由として登場するのですが、読んでいるとそんな人のせいにしてばっかりで全然自分の頭で冷静にものを考えないから駄目なんだろうという苛立ちに苛まれました。
いやきっと日本で生まれ育って環境に恵まれてるから全然そう思うんだろうけれども。
駄々をこねても仕方ないのですよ。と登場人物にいってやりたい。
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2009/04/06-
天神
ちょっと読みにくそうではある
2009/04/18-
返却期限が過ぎたので借り直し
アメリカにも、日本にも帰属を見出せない姉妹の不安と諦めが露になって面白くなってくる。
東側の話というのも親近感が沸く。
私もあのままアメリカで大人になったらこんなことを考えるようになったのだろうか。
やはり日本人は韓国・中国人に間違われると不快がるし、西洋人ぽく見られると喜ぶ。
ましてや自分たちが黒人と同じ分類に見られているだなんて、夢にも思わない。
日本というシャボン玉から分裂した小さなシャボン玉で守られて欧米社会に入る、という表現は非常に的を射ている。
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うじうじしないで早く日本に帰ればいいのに、と思いながら読んだ。でも特殊な環境の下で作られた姉妹のしがらみは容易に断ち難いのだろう。
アメリカにも日本にも違和感を感じる境遇に共感はできないが、そんな人のアイデンティティはどこに落ち着くのだろう。
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親の都合で米国に暮らすことになった姉妹。
成年に達し、日本へ戻る選択もあるなかで、米国に留まり、
どこにも属さない状況に、自己同一性が揺らぐ。
米国になじめず、日本に焦がれ続けた妹だけでなく、
うまくやりすごしてきた姉にも、歪みが生じる。
高い壁に囲まれた袋小路に佇むような閉塞感。
望みを失い、もはや煙さえ立たない自棄。惰性。
傍目には、憧憬の異国生活ではあるけれど。
朧な一条の灯り。
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だって文学などというものは、つきつめれば、今ここに見えないものへ
あこがれる心の深さで書くものなのではないのだろうか。あこがれる心
の深さだけなら、私は山を動かすくらい持ち合わせているように思えた。
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『私小説』の原動力。
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中学生でアメリカにわたりそれ以来20年間アメリカに暮らす美苗と姉。日本人が外国で生きるとはどういうことかを私小説の形で書いた小説。アメリカ暮しを経験したことのある人には全く切実で悲しい物語である。長く外国に住んでいる人たちのプライドと疲れの入り交じった姿を思い出さずにはいられない。
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私が就職活動をしていた頃は就職難が叫ばれて久しかった。まだ学生だった私には、働いている大人はみな、安定しているように見えて羨ましかった。自分で選んだ仕事について、居場所があって、必要とされて、お金をもらえる幸せを世の大人たちはもっとしっかり噛み締めるといいと思っていた。
本書を読むと、その頃の気持ちを切実に思い出す。不安と焦りと、自分がどこにもコミットしていけないような孤独感を。「水村美苗」とその姉が、日本にもアメリカにも居場所がないと感じ、職もなく、将来の展望も開けずにいた、その不安や孤独が読む者をものみこんでいくのだ。そういうときに私はいつも思い出す。楽しいことばかりじゃないし、落ち込むこともあるけれど、学生時代にもっと噛み締めればいいと思っていた幸せを、自分が手にしているということを。そうして、「また明日も仕事をしよう!」と思うのだ。
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これは「私」という人間について書いた小説。
水村美苗の小説は、読み応えがある。これは横書きで、日本語と英語が混ざって書かれたものだが、だからこそ「美苗」という人物が、「私」をつづったものという形をしている。まさに「私」について書いた「小説」である。
海外で暮らした時の、「日本」が「私」になる気持ち、そしてその違和感、孤独感がすごくよくわかる。長期間滞在すればなおのことだろう。
そして言葉のこと。何語で書くのか。日本語でしかつむげない世界がある。でも、日本語で書く限り、英語で書くことには比べものにならないほどの力の差がある。そもそも、日本語で書けるのか。でも「美苗」が書きたいのは、日本語でしか描けない世界。でも、それは本当に日本語の中に存在するのか。英語の中には存在しないのか。片方を切り落としてしまえば、それはまったく違うものになってしまう、「美苗」ではなくなってしまう。
「美苗」という「私」が書くのは、溝に隔てられた「日本語の中の私」と「英語の中の私」が存在する二つの「私」について書かれた小説。それが、この、英語と日本語を混ぜて、横書きで書かれている『私小説』なのではないか。