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紙の本
羅生門 杜子春 (岩波少年文庫)
著者 芥川 龍之介 (作)
日本・中国の古典に題材をとった「羅生門」「杜子春」「鼻」「芋粥」をはじめ、「魔術」「トロッコ」など、人の心をするどく描いた11の短編と、生きることへの警句集「侏儒の言葉」...
羅生門 杜子春 (岩波少年文庫)
羅生門 杜子春
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商品説明
日本・中国の古典に題材をとった「羅生門」「杜子春」「鼻」「芋粥」をはじめ、「魔術」「トロッコ」など、人の心をするどく描いた11の短編と、生きることへの警句集「侏儒の言葉」を収める。【「TRC MARC」の商品解説】
目次
- 蜘蛛の糸
- 魔 術
- 杜 子 春
- 犬 と 笛
- トロッコ
収録作品一覧
蜘蛛の糸 | 5-12 | |
---|---|---|
魔術 | 13-30 | |
杜子春 | 31-54 |
著者紹介
芥川 龍之介
- 略歴
- 〈芥川龍之介〉1892〜1927年。東京都生まれ。東京帝国大学卒業。作家。作品に「蜘蛛の糸」「河童」「或阿呆の一生」など。
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紙の本
羅生門 杜子春
2024/04/02 18:19
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Qた - この投稿者のレビュー一覧を見る
羅生門や蜘蛛の糸は学校の教科書で習った以来で懐かしく読みました。笛と犬が面白かったです。ふりがなが多くて読みやすかったです。
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文庫
2022/05/01 15:11
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ないものねだり - この投稿者のレビュー一覧を見る
杜子春が小学校の学芸祭の演目で、羅生門は高校の教科書。なぜこの二つの組み合わせなのか、なんてどうでもいい事か。発達のスピードは人それぞれで、高校生のテキストに小学生が触れても早過ぎではないし。
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面白かった
2016/03/21 10:25
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:こねこママ - この投稿者のレビュー一覧を見る
子供に買いました。読ませたい短編は一通りあるし、高学年むけですが、難しい漢字には振り仮名もふってあるので読めます。子供は面白かったといっています。買ってよかったです。
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安心の岩波少年文庫
2015/10/27 09:49
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トニー - この投稿者のレビュー一覧を見る
小学4年の息子のために購入。
岩波少年文庫は他にも何冊かもっているが、実によくできたシリーズだと思う。
芥川については今更ここでレビューを書く必要もないので触れないが、子どもがこういう文学作品を読み始める頃にこういうシリーズがあって良かったとつくづく思う。
岩波少年文庫の良いところは、まず、手触りがよく、子どもの手にも収まりやすく、紙質もめくりやすく目に優しい色味であることだ。
そして、大人の文庫本に比べて活字が大きく、必要に応じて振り仮名がふってあるので、子どもが無理せず読めるところも良い点だろう。
最近の少年少女向けの同じようなボリュームのシリーズがことごとくライトノベルになってしまっているのに対し、岩波少年文庫はどれ一冊とっても良作であるのが、選ぶ親にとって何者にも代えがたい安心感である。
紙の本
日本の学校秀才エリートはカンダダ
2008/01/16 01:04
14人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
カンダダが御釈迦様によって地獄の血の池地獄から蜘蛛の糸で助け出されそうになったのは、以前、ふとした出来ごころから道端の蜘蛛の命を助けたことにあった。その時は無償の行為だったはずなのだが、それがお釈迦様に評価され、地獄から天国へと脱出する「偉業」であることが本人に知れた途端、無償だった行為は「投資行為」となった。蜘蛛の命を助けた自分は偉いんだ。おれはお釈迦様によって報われて当然だ。しかるになんだ。何もしていない他の罪人ドモまでが俺様の投資の恩恵にあずかろうと同じ蜘蛛の糸にぶら下がり始めている。せっかく俺1人が評価され、栄誉にあずかろうというのに他の罪人ドモの強欲のお蔭で元も子もなくなっては話しにならない。「おーい、罪人ドモー、この糸から離れろ~。この糸は、俺様の糸だ~」。そう叫んだ途端、糸はぷっつりと切れ、カンダダは他の罪人ともども地獄へまっさかさまに落ちていく。。。
蜘蛛の糸の主人公カンダダを見ていると日本の学校秀才エリートを思わざるをえない。日本の教育は「平等」を建前としている。しかし教室に座れば一目瞭然だが、出来る子と出来ない子の差は一目瞭然なのだが、建前として個々人間には能力の差は無いこととなっている。「階級社会は親の敵でござる」という怨念が四民平等の社会構築へと日本人を導いたわけだが、過度の平等の強調は結構であって結構でないと私は考えている。もし能力が平等であったとしよう。しかし差は歴然である。では、なぜかくも学業に歴然たる差が出るのか。それは本人の努力の差だということになる。プーさん達がバカやって遊んでいる間も、夜を日についで机に向った結果、この差がついたと真面目な子は考えるようになる。「オレは他人より努力したから今日があるんだ。オレは偉いんだ」と秀才君たちは思い込むようになるのだ。この思い込みは中学、高校、大学と進むにつれ、いよいよ強くなる。年を重ねれば重ねるほど遊びのスケールは大きくなり、誘惑の度合いも強くなる。それでも勤勉で禁欲的な秀才君たちはこうした誘惑を断ち切り、克己して、ひたすら勉強に打ち込むことになる。やがて彼らは「勉強は将来への投資」と強く思い込むようになる。投資である以上、投資は回収されねばならない。日本で最高の秀才が進む道は昔から決まっている。医者、高級官僚、弁護士。彼らは艱難辛苦に堪え、刻苦勉励して若くして栄冠をつかんだ。彼らは社会から厚く遇されて当然だと思うし、そうあらねばならないと強く信じるのである。バラ色の将来があるからこそ、灰色の青春に堪えてきたのだから。こうして日本には将来への投資活動を行った「投資回収期待」を強く持つ学校秀才エリートが溢れかえることになる。ところが出世というものは必ずしも学校の勉強のようにはいかない。人事権は上司が握っている。弁護士なら評価は顧客が決める。医者でも医局では教授が偉いし、開業すれば街の評判が全てだ。トップ中のトップをひた走ってきたはずの高級官僚の人生にも、時としてフグアイが生じるときがある。日本でもっとも優秀でもっともノーブルなはずの超秀才エリートが不祥事に巻き込まれたりして転落する様子を仔細に見れば、そこに「投資は回収されねばならない」という彼らの怨念を垣間見ることがある。最高の学校を最高の成績で出て、最高の官庁に就職し、エリート街道をひた走ってきたボク。そのためにボクはすべてを犠牲にしてきた、我慢してきた。それなのに、何かの間違いで、今までの努力がすべてパーになるという。そんなバカなことがあって貯まるものか。オレだって、何時までも大人しくしているわけではない。オレの権力をカネに変えようと思えば何時だって出来る。こうきっと彼らは転落の直前に思ったに違いない。
こうした怨念は戦前にもあった。英国の貴族エリートの子弟が集うことで有名なオックスフォード・ケンブリッジ大学では第一次大戦時、多くの生徒が学徒出陣し、帰らぬ人となったことで知られている。オックスブリッジの生徒達はノーブレスオブリージュを地で行き、真っ先に突撃を敢行し戦場のツユとして消えていったという。彼らの戦死率は率先垂範の結果、異常に高かったことで知られる。対する日本である。日本では明治の昔から将校は「平等を建前とする」陸軍幼年学校ー陸軍士官学校卒がなった。彼らはがり勉秀才の元祖のような存在である。これは高坂正尭の著作に出てきた話だが、ガダルカナル島が陥落し、日本兵が投降したとき、ジャングルの奥から大量の将校がゾロゾロ出てきたという。英国ではエリートである将校は平民の先頭にたって突撃するのを潔しとしたが、刻苦勉励という途方もない投資活動の末に軍人エリートの座を手に入れた戦前の高給将校達は一般の日本兵が次々と討ち死にしていく中、「おれ達のような有為の人材が、こんなところで無駄死にしてなるものか」と最後の最後までジャングルの奥地に隠れていたのだという。この差は一体どこからくるのだろうか。その答えは明らかで、先方は平素から豪奢な生活を許された特権階級が将校となっていたノーブルなひとたちだった一方、こちらはそろいもそろって努力型が選抜試験を経て登用された成りあがり(ノーブルでもなんでもない人たち)ばかりだったというだけであろう。平等、平等と公平ばかりを追求していると、こういう事態になるのである。高坂は「日本陸軍は物量だけに負けたのではない。精神でも負けていたのだ」と嘆息している。戦前でも日本将校の多数はノーブルな人たちではなかった。まして戦後をや。