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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2000.12
- 出版社: 作品社
- サイズ:20cm/508p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-87893-367-4
- 国内送料無料
紙の本
ナボコフ短篇全集 1
著者 ウラジーミル・ナボコフ (著),諫早 勇一 (ほか訳)
「言葉の魔術師」が贈る短編小説の醍醐味。英米文学者とロシア文学者による初の全編新訳。「森の精」「ロシア語、話します」など、執筆年代順に、1920年代のおよそ10年間に書か...
ナボコフ短篇全集 1
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商品説明
「言葉の魔術師」が贈る短編小説の醍醐味。英米文学者とロシア文学者による初の全編新訳。「森の精」「ロシア語、話します」など、執筆年代順に、1920年代のおよそ10年間に書かれた35作品を収録する。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧
森の精 | 沼野充義 訳 | 13-17 |
---|---|---|
ロシア語、話します | 沼野充義 訳 | 18-30 |
響き | 沼野充義 訳 | 31-47 |
著者紹介
ウラジーミル・ナボコフ
- 略歴
- 〈ウラジーミル・ナボコフ〉1899〜1977年。サンクト・ペテルブルグ生まれ。ケンブリッジのトリニティ・コレッジを卒業。著書に「ロリータ」「賜物」など。
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紙の本
気が合う一冊
2002/07/16 11:48
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ルーシー - この投稿者のレビュー一覧を見る
わたしは夢想が好きだ。妄想も空想も。なにか変なものが見えたり感じたりする。それにステキなアイテムが大好きだ。こんな人はざらにいるわけだが、こんなわたしはナボコフの短篇がぴったりあった。言葉の感覚、韻(これは彼の特徴であり仕事なのでわざと入れてみたが)、物の存在の形容詞がとてもいい感じなのだ。ナボコフについてはこの本の解説部分などではじめて知ったが非常に深い経歴の持ち主だということで、またまた気に入ってしまった。いや、まだ全部読んではいないし、彼の代表作でさえ読んでないのにこんな事をいろいろと言ってしまって本当に申し訳ないが大好きだ。
ステキなアイテムが好きだと言ったが、この本の装丁はわたしにとっては敵だ。あまりステキではないから。もっとクールにして欲しかった。あのざらざら感がこの短篇集をいやに象徴してるようで(考えすぎだ!)背筋が寒くなった。
紙の本
幻想小説家としてのナボコフ
2015/08/24 17:58
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ef - この投稿者のレビュー一覧を見る
本作は、ナボコフの全短編を2巻にまとめたものです。
年代順編成となっており、ナボコフ作品の推移を楽しむこともできます。
ナボコフの作品は、特に初期の頃は、良く言えば余韻を残す、悪く言えば舌足らずという印象を受けてしまいます。
また、大変幻想的な作風で、これは立派な幻想文学ではないかと思う次第です。
ナボコフと言えば「ロリータ」とすぐに言われるほど、「ロリータ」が有名過ぎますが、あれも実は幻想小説として読めるのではないかと、本作を読みながらつらつらと考えました。
現実的な作品として読むと、妙に生々しかったりしちゃうわけですが、一つの幻想小説として読むことも十分成り立ち得ますし、そういう視点で読んでみるとまったく違う感覚になるのではないかなぁと愚考しているわけですね。
また、ナボコフの短編は、ストーリーもさることながら、その情景や雰囲気の方が強く印象に残る作品があるのではないかと感じてもいます。
短編なので、粗筋を紹介するとネタバレになっちゃうので控えますが、例えば、「翼の一撃」という作品は、スキー・リゾートを舞台にしており、当地のホテルに宿泊している活発な女性と天使の関わりが描かれます。
これなんかはスキー場、シュプール、リゾート地のホテルという舞台設定が印象的です。
また、「偶然」という作品は、ドイツの急行列車の食堂車でボーイをしている男性が主人公なのですが、彼はいまにも自殺することを考えており、しかもコカイン中毒という設定です。
豪華な列車内の描写と主人公の心情が主たるストーリーよりも印象を残す様に感じました。
ね、どれも立派な幻想文学的な感じがしますでしょ?
「ロリータ」も良いですけれど、それ以外のナボコフもなかなかの味わいですので、お勧めです。
紙の本
「ナボコフ」を読む楽しみ、「形式」にふれるおもしろさ
2001/04/06 18:16
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:赤塚若樹 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ようやく読み終えた『ナボコフ短篇全集1』。少々時間がかかってしまったが、その分ウラジーミル・ナボコフについていろいろなことが考えられたのは事実かもしれない。
たとえば帰属する「場所」。スイスにあるナボコフの墓にはフランス語で「作家」とひとこと書いてあるだけで、それには国名も、ほかのどんな形容詞もつけられていないという。この本の翻訳者のひとり沼野充義がときおりこれを話題にエッセイを書いており、この事実を知ると、「作家」には帰属する「場所」など必要ないのかもしれないとも思えてくる。しいてあげるなら、それは「文学」ないし「芸術」だろうか。
だが、そういってしまうと、まさにその文学なり芸術なりの具体的な何かの一部を見落としてしまうのではないかという気が一方ではしないでもない。たとえば、作品にあらわれるナボコフの教養のあり方や、本書所収の「オーレリアン」でも主要なモチーフとして取り上げられている、蝶の収集という趣味などは、生まれが「ロシア貴族」だったという背景なしには考えにくいのではないか。
このような見方ができるなら、ナボコフはやはり「ロシアの」作家だったのだといってみたくもなる。もちろん、この場合「ロシア」とは、それによって大きく括られるだろう、ひとつの文化のかたちであって、たんなる国名のことではない。
そして、その観点からすれば、ロシア語がナボコフの創作活動の根底にあることも想像にかたくないし、おそらくそれはまちがってはいないと思う。だれでもよいが、バイリンガル作家の使用言語をふたつとも理解できる者なら、この考えに異議を唱えはしないだろう。
けれども、これはあくまでも土台となる部分の話であって、「表現」についてはまったくべつの見方をしなければならない。作家がふたつの言語に通じており、その判断がどちらのテクストにも反映されるとき、どちらが「真正な」ものかは一概には言い切れなくなってしまうのだから。そのときは、ひとつの作品にふたつのテクストが存在しているのだといってよい。
それゆえに、本書でのようにロシア文学者と英米文学者の共同作業も成立しうるのであり、そのような状況にたいへん特徴的なかたちでナボコフ文学の本質の一端があらわれているともいえる。テクストのこうした「複数性」に重きをおくなら、ナボコフについては、なるほど、何も付けない「作家」という呼称しかもちいることができないのかもしれない。
今回、その「複数性」にもとづく短編小説集を読みながら思ったもうひとつのことは、これほど、ヨーロッパの言葉でいう「長編小説(novel、roman)」と「短編小説(story、nouvelle)」のちがいを感じさせてくれる散文フィクションの書き手もめずらしいということだ。
たしかに両者には、ある小説家がいうように「存在論的なちがい」はないのだろうが、しかし、「散文フィクション」を漠然とさししめすだけの日本語の「小説」からは想像もできないような「はたらき」のちがい、「志向性」のちがいがあるのはまちがいないのではないか。ナボコフの作品においては、まさにそのちがいが浮き彫りになっているように思う。
あるいはむしろ、この「作家」によって、(いわば存在様式のことなる)散文フィクションのさまざまな「形式」が体現されているというべきだろうか。おそらく、そうであるからこそ、ナボコフはいまになってもこうして「新訳」が試みられるような重要な作家になりえたのだろう。
ナボコフには「ナボコフ」を読む楽しみのほかに、「形式」にふれるおもしろさもあって、それが散文フィクションというものをみつめなおす契機にもなりうるにちがいない。今回はそれがたまたま短編小説だったということだ。 (bk1ブックナビゲーター:赤塚若樹/翻訳・著述業 2001.04.08)