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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2002.8
- 出版社: 哲学書房
- サイズ:18cm/265p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-88679-080-1
紙の本
生成する生命 生命理論 1 (哲学文庫 叢書=生命の哲学)
生きて死ぬということから出発し、生成の内部へと分け入る理論生命科学者の処女作。主にドゥルーズに言及し、記号論的三項関係に触れながら、生成一般を論じる。巻末に檜垣立哉との対...
生成する生命 生命理論 1 (哲学文庫 叢書=生命の哲学)
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商品説明
生きて死ぬということから出発し、生成の内部へと分け入る理論生命科学者の処女作。主にドゥルーズに言及し、記号論的三項関係に触れながら、生成一般を論じる。巻末に檜垣立哉との対談を収録。【「TRC MARC」の商品解説】
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紙の本
よく分からないけれど大切なこと
2002/09/16 20:14
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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
たしか『現代思想』に掲載されていた対談で誰か(大澤真幸さんだったと思う)が、郡司さんのやっていることはよく分からないけれどとても大切な事が語られているように思う、といった趣旨の学生の発言を紹介していた。同感。
これまで何度か郡司ペギオ‐幸夫の著者名が記された論文に目を通してきて、まともに最後までつきあうことができたのは『脳と生命と心』に収められた「クオリアと記号の起源」くらいのものだったのだが(それとて、そこに書かれた事柄のいくばくかでも理解できたかどうかあやしいものだ)、この人の仕事の独特の「わからなさ」は意識やクオリアの問題がわからないこととパラレルで、だから「わからなさ」が「わからなさ」として示唆され示されていること(何か特定のわかりにくい対象がそれとして指示されるのではなく)にこそ、私にとっての郡司ペギオ‐幸夫という存在の意味があったのだと無理にでも納得している。
その点、本書は、クオリアの生成や意識の問題を認知科学的実験を通して解読するための計算モデルが提案される第二部に先立って刊行された方法論的素描の書であって、細部のこだわりに目をつむれば比較的見通しがきいていてとっつきやすかった(最初から最後までいちおう集中を持続させて目を通すことができました)。
ドゥルーズ=ガタリが『哲学とは何か』で示した哲学・科学・芸術の三つの方法論的区別とそれら三つの「統合なき接合」の存在論=方法論的敷衍、そしてベルクソン=ドゥルーズ(『差異と反復』)の時間の存在論の独自の展開=転回によって、パース=ホフマイヤー由来の記号論的三項関係(「現実性─可能性─必然性」もしくは「文脈─含意─記号(名)」)から郡司ペギオ‐幸夫独自の生成の論理(「規範─変化─起源(単独性)」)と「拡張された科学」(「原生理論─原生計算(現象論的計算)─原生実験」もしくは「証明過程としての過去─計算過程における現在─前提と帰結の共立が媒介する未来」)へと至るその叙述はスリリングでさえあった(でも、やっぱり郡司ペギオ‐幸夫は分からない)。
《潜在性に開かれ、いかなる変化・変容をも受け入れながら、「いま・ここに」にある存在。本書はこういった存在態=生成として世界を把握し、こういった世界内存在としての私を理解し続けるための、生きている私にとっての存在論=方法論である。潜在性に開かれた単独者という存在態は、唯一のここにある存在であると同時に、ドゥルーズ=ガタリの意味で無限速度を有する存在である。無限速度とは有限の果て、極限なのではなく、いかに有限領域を設定してもその想定外部を取り込み得る現実という様相のことである。ここから我々は、生成が継起する運動、生成であるが故に現前する起源、生成の担う規範性という三つの様相を解読することになる。私は、以上三つの存在論的様相を、我々の生活する現実的世界の中で展開していこう。すなわち存在論=方法論として構成していくのである。私はこの存在論=方法論を拡張された科学と呼びたいのだ。》(44頁)