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紙の本
手触りから大衆へ
2004/02/26 22:01
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投稿者:のらねこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書中の「はじめに」によると、本書は「ひとつの展覧会として構成されている。決まった順序はない」とのことだが、たしかに、「大衆」という模糊蒙昧な大ざっぱなテーマに沿って、一見するとあまり関連性のない論考が配置されているように思える。がい、実際に読了してみると、例えば、最初にでてくる「クレランボーの布」というフェティッシュな論においてさえも、失明したクレランボーが自殺する際に「鏡の前」を選んだエピソードを引き、「パースペクティヴ」という概念との関連性を見いだす。
「20世紀のピクチャー・セオリー」の副題が示す通り、「大衆の世紀」である二十世紀を語ろうとすれば、自ずと、「見る者としての大衆」と、そして、「見られる者」としての大衆、ということについて、考察する必要がでてくる。第二章では一九一九年にドイツとロシアでほぼ同時に生まれたフォトモンタージュについて、その技術が「大衆教育」の手段としてプロパガンダに利用されたかについて言及される。続く、「戦艦ポチョムキン」のシーン構成への論考についても、「観る者/観られる者」としての大衆の両義性への記述が、やはり根底に横たわっている。
第三章以降は、「市民ケーン」、「(映画の)エキセトラはカメラへは視線を向けない」、写真家ウォーホール、などの記述と、それに多種多様な写真を掲載し(とくに、308ページから343ページに掲載されている写真は圧巻)、「歴史」というよりは現代に続くパースペクティヴを提供している。
酩酊亭亭主