紙の本
誰にとっての美なのか
2003/01/08 22:58
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ゆかりこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
何故かこの作家にはいつも泣かされる。悲しいというよりは笑ってしまうようなところが随所にあるにもかかわらず。それはたぶん登場人物が自分のコンプレックスをさらけだし、どうしようもない現実にじたばたと立ち向かっていく姿に共感するからだろう。
美容整形にからむ話となれば、当然「美しくなるブスの話」と思うだろうが、さにあらず。何が美しいのか、なんのための美しさなのか。「美人」と他人から言われるのに「もてない」悩みを抱えている方はきっと何か感じることがあるはず。
見かけがそんなに大事か?と思う方もいるだろうが、一人目の主人公甲斐子の『計画』とその進行を見ながら、周囲を眺めてみると自分自身も人を見かけで判断していることの何と多いことか。
そしてもう一人の主人公阿部子が甲斐子の『計画』と逆行して生きることで『計画』の正しさが証明されていく。
「美しさ」の基準と「愛される」基準。そして見た目を変えることで変わっていく中身。どこかに嘘があれば荒唐無稽なフィクションでしかない物語なのだが、著者のとことん突き詰めていく筆の力強さが有無を言わせない。「整形」というターニングポイントによって二人の人生が入れ替わったように見える。そしてその結末は……。
魅力的な女になるためにはコンプレックスを最大の武器とせねばならない。それだけは間違いないようだ。
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美人すぎてモテない女は不細工に整形し、不細工でモテない女は美人に整形する。男は実は不細工の方が好みなのか……?我々の価値観を変える問題作。
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美人とは?
大衆受けする美人≠個人のもつ美人像。それは男受けする顔≠同姓に認める美人顔のようだ。
「ブス」から「キレイ」になるために美容整形をする一般的に考えられる美容整形女の視点だけではなく、その反対「キレイ」から「ブス」に変身する女の「最も!」と思える「計画」がおもしろい。美容整形で「ブス」から「キレイ」になる話はんて普通すぎるから。
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幸せは周囲が決めるものでなく自らが感じるものなんだな。きっと。うん。
整形はなぜ後ろめたいイメージになっているかというとそれは隠すというところに人々は不倫のにおいをかぎ付けるからだ。というところに強く共感。
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いや、面白いんですけど最近星4つが当たり前になってきたと言うか、そういう可能性の高いモノしか読まなくなったので採点を厳しくしてみたり。カオルコ姫はナンとも言わせぬ視点から誰でもフムフムと納得してしまう論議を展開し、アレヨという間に主人公とその周辺の環境は一変し、果たして最後はどうなってしまうのコレ?と楽しませてくれちゃうというなんとも眠たいワシの説明がお粗末な一品である。
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絶世の美女甲斐子は、売れ筋路線を目指し平凡な顔立ちに整形し、会話も曖昧な言葉しか発しないように自己改革をする。一方、平凡な顔ながらモテ人生を歩んでいた阿倍子は絶世の美女を目指して整形する。
美女=最大多数に選ばれる、いわばモテ市場美女と考える甲斐子と、自分が美しいと感じる女性と考える阿倍子。二人はお互い、自分が目指す美女である人間がわざわざブスに整形するのか理解できないが…
作者の徹底した美人論が面白い。でも「さあ、ふうん、まあ、すごい」で事足りる会話で満足する男の子なんて、別にいらん…(笑)
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よく分からないまま半分読んでやめてしまった。なかなか掴めなかったなあ〜・・・なんでだろう。多分最後まで読んだら結果的には面白かったのかも。
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二人の女性の(一人は「計画」として整形し、もう一人は「つい」整形をした)幸せ、についてのお話・・・「整形した」事は重要じゃないのかも〜「人の幸せ」についてのお話。なんだか表紙の女性が怖い・・・
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男にとってこれはホラー小説。女にとってもこれはホラー小説。ただ、その意味合いは全く別物で、前者は知りたくないことを知る恐怖、後者は秘密を暴かれることへの恐怖。何をかと言うと、ここに描かれているのがあまりにもリアルな「女」だから。
「オンナはこわい」とはよく言うが、本当、恐ろしい…。
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20 歳の繭村甲斐子は、名医・大曾根に全身の整形手術を懇願した。「なぜ?」その美しい肢体を前に戸惑う大曾根。自らの「計画」を語る甲斐子。一方、元同級生、望月阿倍子は甲斐子の写真を手にオペ室に向かう…。幸せを夢見て、新しい容姿を選んだ二人。手術後に辿るそれぞれの意外な生き方を軸に、変身願望の虚構を描く。独特の哲学を、ユーモアと格調とをもって提示した衝撃の問題作。
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整形手術を受けた2人の女性を軸として「美しさとは?」という命題を筆者独特の哲学を持って描いた作品です。
主人公の一人、甲斐子がもって生まれた容姿は、本書のはじめに登場する老医師曰く「絶世の美女」。ところが彼女はその容姿に満足せず、あえて小さな目、ふっくらした頬、鼻を低くし、腰も太めにして、貧乳手術をすることまで考えていました。
「なぜ?」
彼女は実は男性にもてたことがなく、彼女自身、この先ずっと自分はもてることがないと悲観していたのです。そこで彼女が考えたのは「男性にもてる容姿」に自分を変え、男性を惹きつけられるような「匂い立つような清潔感のある不潔感」(男性サイドから言う「清潔感のある色気」だそうな)をかもしだせるように自分を変身させるということ。彼女は3段階の「計画」を練っていました。そして整形後、彼女は彼女の予想通りに、恋愛市場で「勝ち組」となっていくことになります。
そういえばこのテの容姿って、「あいのり」に出ていたちゃきそのものやん。確かこの人もあいのりの旅ではやたらモテていたような気が・・・。そうすると、モテるためにこういう容姿に整形するという行為はなかなか世の男性たちの好みをよく読んでいたのでしょうね。
もう一人の主人公、安倍子は甲斐子の高校時代の同級生。彼女はもともとは甲斐子が望んでいたような容姿をもち、とりたてて美人ではないがなぜか男性にはもててしまう女性だった。彼女はほんのささいなきっかけで整形をします。甲斐子の写真を持って。そして整形後の彼女は、甲斐子の整形前の悲哀を味わうことになり・・。
これだけの話だったら、「女性が思う美人と男性が思う美人って違うのねー」とか「いくら美人でも、内面からでる色気(お色気、じゃなく色気。清潔感のあるといわれる色気)がないとだめねー」なんて程度の感想で終わってしまうし、おもしろくない。このへんはいかにも姫野作品だなあと思うのですが、おもしろいのはこっからなのです。ふふ。
その後、甲斐子は高学歴高収入の男とできちゃった結婚をし、子供もできます。が、なんだか毎日が満たされない。安倍子は自分が「整形美女」であることを隠し続けることが不潔であると思え、辛くなり、カミングアウトをします。そして自分の好きな道を進んでいこうとするところで話は終わり。
ふたりとも、変身の仕方や美についての考え方が違うけれど、幸せを夢見て整形をしたことには違いないのになぜ、このような結末になってしまったのか。
詳細は実際にこの本を読んでみてうなってみてほしいけれど、私は「主体性」、「自分の価値観」の問題ではないかと思いました。男性にもてるために自分の内面を変え、主体性まで消してしまい、価値観のよりどころは他人の目と化してしまった甲斐子は、自分が無意識に見過ごしている自分自身の価値観にフィットしていないことに気づけないがゆえに毎日が満たされなくなっているのでしょう。
一方安倍子は主体性も自分の価値観も持ち合わせています。実は彼女は作品の中で年を重ねるごとに「自分の内面���を自分らしく作っていってます。私はこの作品では「美しさとは?」よりも「自分らしさ」の大切さを改めて感じました。
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2009/3/30
姫野カオルコなんていかにも私とは縁のなさそうな派手な名前を敬遠して今までこの人の本読んだことなかった。
もっと何と言うかスイーツ(笑)と呼ばれるタイプの人かと思ってたよ。
でもそうでもないな。これからもっと読んでいこう。
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姫野 カオルコ作品の中で 一番好きな一冊。
整形ということだけでなく 世代間の価値観の違いなど 年齢を経て読み返すと感想が変わる一冊。
さらっと読めてしまうので 暇つぶしにどうぞ。
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旧約聖書のカインとアベルの章を下敷きに、美容整形の実態と恐怖をちりばめながら、幸福とはなにかを問うた哲学的物語。
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整形手術をした対照的な2人の女性。そこから考えさせられる「幸せ」とは一体?著者の哲学が全面的に出ているように感じられてしまい、読み進めるのが結構大変だった1冊という印象しかない…