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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2002.11
  • 出版社: 同学社
  • サイズ:19cm/158p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-8102-0215-1

紙の本

幸せではないが、もういい (『新しいドイツの文学』シリーズ)

著者 ペーター・ハントケ (原著),元吉 瑞枝 (訳)

51歳で自殺した母。事実を前に言葉は「闇の中へ失墜する」。事実と言葉をめぐる戦いの記録。ハントケ初期の代表作。【「TRC MARC」の商品解説】

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幸せではないが、もういい (『新しいドイツの文学』シリーズ)

税込 1,650 15pt

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著者紹介

ペーター・ハントケ

略歴
〈ハントケ〉1942年オーストリア生まれ。現代ドイツ語圏文学のもっとも重要な作家の一人。著書に「反復」「疲れについての試論」など。

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評価内訳

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紙の本

「ただ一回きりの個別的な事態」としての生によせて

2003/02/07 13:24

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:小梅 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 人は誰しも何らかの物語に依って生きている(こんな書き出し自体が既に「物語」の始まりである)。
 だが、どのような物語にも反発する人間もいる。それが自覚的なものであれ、無意識的なものであれ、あらゆる物語を剥ぎ取られた生は、時として、耐え難いほどに過酷である。
 その過酷さに比すれば、「およそ表現は、どんなものでもあまりに穏やかすぎる」。(138ページ)
 私には、本書の「主人公」であり、著者の母であるマリア・ハントケもそうした過酷さに晒された、そんな風に思えてならない。だが、「主人公」という言い方は、この「物語」に関しては、おそらく相応しくない。なぜなら、これは著者の母についての「物語」であることを徹底的に拒んだ作品であり、一方で〈書く者(こと)〉〈書かれる者(こと)〉とのせめぎ合いの記録であるからだ(本書訳者による「後書き」参照のこと。「言葉をめぐるその戦い」)。 作品の最後に浮かび上がるのは、よくある(マリア・ハントケという人物をめぐる)人生物語ではなく、書くことに晒された著者自らの姿である。

 「ただ一回きりの個別的な事態」(113ページ)としての生は、人が何者でもない場である。あらゆる「タイプ論」「物語」から解放されれば、本来的な自分の姿が見つかるというのは幻想に過ぎない。何者かであるためには、自らを定置する何かしらの土台を必要とする。真に「個性的」であることは、自らを定置する基礎さえ失うことである。それは、「ただ単に存在していること、それが拷問に等しい苦痛」(123ページ)であるような場である。おそらく、マリア・ハントケはこのことに自覚的ではなかっただろう。著者であるペーター・ハントケが充分に自覚的であるのとは対照的に。
 いずれにせよ、剥き出しとなった存在は、他人に仮借なく「生身の姿」を突きつける。「いま彼女はまさに生身の姿で、私に迫ってきた。彼女は、肉体をもった、なまなましい存在になり、彼女の状態は、私が何度も瞬間的にそれに引き込まれるほど、具体的に経験できるものとなったのだ」。
 ここで著者は、「母」としてのマリアではなく、あらゆる物語から排除された/物語を排除した生身の存在であるマリアに遭遇する。彼女は、もはや〈何者でもない〉何者かであり、周囲に対しても物語に亀裂を走らせるよう、存在そのものを突きつける。存在の不可解さ。この生が存立する世界の不安定さ。マリアはその不可解さ・不安定さに耐えられず、自死を遂げる。

 一方で、表現を志すものには、この地点は「書きたいという欲求」が生起する場所でもある。
 その欲求に従い、ハントケは言葉を記す。ページが進むに連れ、文章は断片的となり、まとまりのある形態を保ち得なくなる。対象が「ただ一回きりの個別的な事態」としての生であればあるほど、それを書き記す作業は困難を極める。この作品とてそれを免れるものではない。
 言葉は、生身の存在を過不足なく描写するに適したものではない。もし、その営為に何かの意味があるのかと問われれば、言葉の困難さと格闘する、無意味さこそが今日の〈文学〉の本質なのだと応えるしかない(仮に〈文学〉が存在するとすれば)。
 生身の存在の不安定さに晒されながら、書くことに誘われる、この困難さを引き受けることだけが〈書くこと〉を表現たらしめるのである(このとき、私はこの書かれたものを抵抗なく〈文学〉と呼ぶだろう。同様の理由で、『空爆下のユーゴスラビアで』もまさしく〈文学〉的な著書である。政治的なタイトルとは裏腹に、その言葉は政治的な言葉とは全く異なるものである。著者の〈書くこと〉に向かう姿勢は、1972年に書かれた本書の時から一貫している)。

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母親について書くことと、女性の生

2022/11/30 04:44

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:une femme - この投稿者のレビュー一覧を見る

著者の母親が、一人の女性として、どんな生を送ったかを、描くことの難しさそのものを書きながら、綴っている。
 その時代と、生まれた場所で、出来事や人に出会いながら、どんな違和感を抱え、また、何を隠して生きてきたのか、そういったことを辿りながら、女性の生について、考えさせられる。
 また、ところどころに、その書き方の模索の過程が、記されていて、とても興味深い。自分との距離が近い人の人生を、言葉によって描くこと、そして、それが他者に読まれること(読まれるように書くこと)、また、書くことによって距離を縮め、真実に近付き得るかもしれないこと、などについて、著者と共に考えることが面白かった。

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2009/09/21 09:30

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2011/09/26 13:26

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2018/03/18 12:02

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2019/10/15 14:36

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2019/12/11 13:13

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