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商品説明
アメリカ人にとって「自然」とは何か。130年におよぶ「開発派」との戦いの中で鍛え上げられた自然観、環境倫理、自然保護運動、デモクラシーとリベラリズムを、国立公園に秘められた歴史・文化を通して描く。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
上岡 克己
- 略歴
- 〈上岡克己〉1950年高知県生まれ。東京大学大学院修士課程修了。現在、高知大学人文学部教授。著書に「「ウォールデン」研究」「森の生活」など。
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紙の本
米国の国立公園の歴史をひもとけば、人間の抱える矛盾に突き当たる
2008/08/25 19:30
10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:JOEL - この投稿者のレビュー一覧を見る
このところ地球温暖化やエコロジーに疑問を投げかける本が相次いで出版されている。テレビでも新聞でも、環境の悪化を訴える論調が圧倒的になっているから、その反動として懐疑論が出てくるのは理解できる。
しかも、なぜ温暖化が進行しているのか、一般の人にはその仕組みが今ひとつ把握しづらいために一層そうなる。温暖化がウソであってくれればありがたいというのは、素朴な心情だ。
ただ、温暖化の仕組みをきちんと理解する前に、先にそうした懐疑論にふれてしまうのには、危うさを覚える。いったん色眼鏡がついてしまうと、物事の正否を判断する力が鈍ってしまうというものだ。
賛否両論いずれにつくにせよ、しっかりとした議論になじんで、判断力を研ぎ澄ませておきたいものである。
そんな中、本書はアメリカにおける国立公園の歴史をひもときながら、「自然保護」の思想が、それほど単純なものではないことを教えてくれる。世界で初めて国立公園を設けたアメリカでも、「保護」と「開発」は常に厳しく対立してきた。その苦闘の歴史が、中立的な筆致で詳細に述べられている。
人はたいていの場合、打算的に振る舞う。採掘業者や森林伐採業者の利益を損なわない限り、こうした業界の支援を受けている議会も、黙って国立公園の設置を認める。しかし、利益に反するとなると、法律の細部に開発の抜け道を巧みに用意しておく。自然保護を唱える側でも、意見の対立による分裂があるかと思うと、一方では合従連衡して力を大きくしようともする。
「国立公園局」という米国政府の担当部局も、発足当初は政府部内での権限が小さければ、人も予算もほとんどないという有様だった。権限が小さいので、ほかの政府部門と妥協の道を探るようにして、物事を進めていくしかなかった。
今や予算規模をとっても、職員数や国立公園面積をとっても、世界に誇るべき水準に達した米国の国立公園局もまた、悩みながら少しずつ理解の輪を拡げてきたのだ。
つまり、自然保護といっても、降ってわいたような話ではなく、いろんな手法を駆使しながら、その時々に現れたパワフルな人材に頼みつつ、よろめきながら歩みを進めてきたのである。その意味では、米国の自然保護思想は相当に鍛えられていると言える。
それにくらべれば、メディアが地球の未来に対して警鐘を打ち鳴らす一方で、ようやく懐疑論が書店を賑わすようになった昨今の日本は、まだまだ黎明期にすぎないのだろう。
もっとも、こうして国立公園制度が国民に愛される形で維持されている米国が、実はもっとも世界に環境負荷をかけている国でもあるという事実を前にして、人間という存在がかかえる根本的矛盾に想いを致さないではいられない。
本書によって自然保護思想の何たるかを学ぶ一方で、この消しがたい矛盾に目を凝らしたとき、エコロジーを「偽善」のひとことで片づけるよりも、もっと哲学的な場所にだどり着いてしまうだろう。
そうして、私たちの未来はどうなるのか・・・。その回答が、簡単には得られない性質のものであることが、これまでよりも深いところから了解されるに違いない。