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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2002.12
- 出版社: 新潮社
- サイズ:20cm/142p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-10-590033-5
紙の本
ソーネチカ (Crest books)
本の虫で容貌のぱっとしないソーネチカ。最愛の夫の秘密を知って彼女は…。神の恩寵に包まれた女性の、静謐な一生。幸福な感動を残す愛の物語。フランスのメディシス賞、イタリアのジ...
ソーネチカ (Crest books)
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商品説明
本の虫で容貌のぱっとしないソーネチカ。最愛の夫の秘密を知って彼女は…。神の恩寵に包まれた女性の、静謐な一生。幸福な感動を残す愛の物語。フランスのメディシス賞、イタリアのジュゼッペ・アツェルビ賞受賞作。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
リュドミラ・ウリツカヤ
- 略歴
- 〈ウリツカヤ〉1943年生まれ。ロシアの人気女流作家。96年「ソーネチカ」でフランスのメディシス賞などを受賞。2001年にはロシア・ブッカー賞を受賞した。
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紙の本
何事にもひるまない、穏やかな人生を送る女性
2005/12/14 11:49
11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:佐々木 なおこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ロシアの女性、ソーネチカの一生。
本に囲まれた生活を愛する女性であったソーネチカは
勤め先の図書館で運命的な出会いをして
ある革命家と結婚する。
家庭に入り、娘が生まれ、そして続く淡々とした日々。
どうしようもない状況に突き落とされても、
どんな出来事が起ころうと、
それを淡々と受け入れる人生を選び取る彼女の生きる姿勢。
何事にもひるまず、穏やかさをたたえるその顔を想像しながら、
ソーネチカは強いなと思った。
そして、心が満たされていると、強くなるのかなと思った。
紙の本
ロシア小説もおもしろい!ウリツカヤはクセになりそう。
2010/04/21 00:42
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オクー - この投稿者のレビュー一覧を見る
ディープなセレクトで人気の新潮クレスト・ブックスの一冊。著者の
リュドミラ・ウリツカヤは今ロシアで最も活躍している人気作家の一人、
この小説で一躍脚光を浴び、その後も話題作を書き続けている人だ。
この物語の主人公ソーネチカは、少女時代からひたすら本を読んでき
た「本の虫」。容貌はさえないが、反体制的な芸術家ロベルトに見初め
られ結婚する。ソビエト政権下で流刑地を移動するような貧しい生活。
そんな中でも彼女はちょっとしたことに喜びを見いだし、「なんて幸せ
なんだろう!」とつぶやいている。著者のウリツカヤは波瀾万丈ともい
っていいソーネチカの人生を、静かに見つめ、その日常を静謐なタッチ
で描いていく。そして、物語の後半、ソーネチカは人生最大ともいうべ
き裏切りにあう。大きなショックを受ける彼女だが、そのうちすべてを
受け入れ、またまた「なんて幸せなんだろう!」とつぶやくのだ。読ん
でる側もさすがに、ちょっとちょっとそれはないんじゃない!と思った
りもするのだが、この彼女の生き方というか感性は、幼い頃からの読書
生活から生み出されたものに違いない、と気づき大いに納得してしまう
のだ。孤独な晩年、それでも彼女は、毎夜「甘く心地よい読書の深遠に、
ブーニンの暗い並木道に、ツルゲーネフの春の水に、心を注ぐ」。本と
ともに生きた幸福な女性の物語だ。
ブログ「声が聞こえたら、きっと探しに行くから」より
紙の本
本の虫がもたらせてくれた崇高な愛情が詰まった作品。幸せについて再考させられるます。
2009/04/17 11:35
9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トラキチ - この投稿者のレビュー一覧を見る
『ペンギンの憂鬱』(新潮クレスト・ブックス)や『初恋』(光文社古典新訳文庫)でも著名な沼野恭子訳。
ロシア文学、はたしていつ以来なのだろう。
世界を旅している気分にさせてくれる新潮クレスト・ブックスシリーズのおかげですね。
さて本作、どちらかと言えば女性向きかなと思ったりする。
主人公ソーネチカの本当に達観した人生に対する共感は、女性の方が理解しやすいと考える。
男性読者の私が本当に胸をなでおろした点は、やはり夫である元画家のロベルトの後半露わになる秘密を男性に対して揶揄する姿勢じゃなくて自然なこと、もっと言い換えればロベルトに対するリスペクトを損なわずに描かれている点。
これは作者リュドミラ・ウリツカヤおよび訳者沼野さんの大いなる力だと思うのであるし、その部分が崩れていたら作品としての評価はガタ落ちだったような気がするのである。
あと、読解力云々よりもやはり人種的(ユダヤ人)なことに対する認識、ロシアの背景的な部分の知識の有無によって感じ方が違ってくるでしょうね。
これは描かれている年代(ロベルトとの図書館での出会いが第二次世界大戦勃発後)はもちろん、この作品が書かれた時期(連邦崩壊直後)にもかかわってくるのである。
ちょっと深く洞察することができなかったのは残念であるが、概ね下記のように捉えて読んでみた。
世界は広い、そして本を読むことは勉強になる。
結果として本を読むことによって養われた幸せに満ちた人生。
たとえ本が虚構(フィクション)の世界であっても、それを現実において代謝するエネルギーに変えている。
だから主人公は夫との図書館での出会いを決して無駄にしません。
これは類まれな才能である、羨ましい限りの。
そうですね、物事に対してすべて前向きに吸収できるのですね、ソーネチカは。
たとえ世間一般では不幸としか思えないことでも。
どんな状況下におかれても、やさしさを絶やしません。
実娘であるターニャに対してと同様、他人であるヤーシャに暖かい眼差しで接することができるんですね。
ここは凄く胸を打たれるところですわ。
主人公ソーネチカのように“本の虫”とまではいかない私であるが、本好きの端くれとして少しでも大らかな気持ち、大らかな人生を過ごしたいなと思った次第である。
この作品は私たち本好きの背中を押してくれる恰好の一冊なのである。
本人にとっては当たり前のこと(平凡)が実は非凡である。
読書によって培われた大いなる人徳・財産ですね。
是非あなたも確かめてください、きっと余韻に酔いしれることだと思います。
紙の本
紙の、いや、神の恩寵そのもの…ソーネチカの暮らしの穏やかさ
2004/02/29 23:56
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぶりゅん - この投稿者のレビュー一覧を見る
不細工な容姿のソーネチカ、世間並みの幸せを諦め、本にうずもれるように暮らしていたとき、反体制芸術家とめぐり合い結婚。夫が芸術家として再び評価されるようになると、出入りの人々も増え、いろいろなことが起きる。風変わりな甘えっ子に育った一人娘ターニャはつまらない男たちと関係を持つようになり、進級不可で夜間学校へ転校、ここでまた、もっと凄腕の娘ヤーシャと出会い、ヤーシャはターニャの家に入り浸り、ついに、ターニャの父、つまりソーネチカの夫の愛人となる…。
こう書いてくると、いかにもありがちな三文小説のようだけれども、そうしたものにつきものの、涙や罵り、悲嘆や絶望、神への祈りが殆ど見られない。ソーネチカは雨が降ったり、風が吹いたりするのを受け止めるかのように、大事件を受け止めてしまう。当事者たちを非難せず、ことをそれ以前の状態に復元しようなどとせず、人の安全を願い、変化を理解して静かに暮らすのである。まれに興奮したときでも、夫のその場しのぎの慰めをこれまた素直に受容れる。
夫が若い娘と暮らしていることを夫のために喜び、その娘を我が子のように愛し続け、世間のゴシップを寄せつけないでいられるのはなぜだろう?
気ままな生活を送る、いわば堕落した娘のことを「何て素敵な人生!」と思ってやれるのはなぜだろう?
夫や娘と違い、ソーネチカはすっかり所帯じみたおばさんになってしまうのだけれど、何か起きるとときどき本を読む。解決の智恵を求めてではなく、辛いことがあった子どもが、ふとポケットの中のキャンディを思い出すかのように、本を開くのだ。語句の一つ一つがソーネチカだけに優しく語りかけ、彼女をうっとりさせる。ソーネチカのやすらぎはそこにある。
トルストイが描くような素朴さゆえに幸福でいられる人間としてソーネチカをとらえるのは的外れだろう。ソーネチカは十分に知的である。だが、論理の糧としての知に支えられるのではない。知でもって世界を納得しようとする人ではない。むしろ、彼女にとって知は体感する喜び、まさに官能そのものなのだ。
怒り、憎しみ、ねたみ、そねみなどの嫌な感情から解き放たれた日々が得がたいからこそ、人は宗教に救いを求める。<神の恩寵>というものがあり、それゆえ人が平穏に暮らせるとすれば、まさにソーネチカの日々はその恵みの中にある。本の虫ソーネチカのためには<紙の恩寵>と駄洒落をとばしたくもなるほどだけれど、世界のすべてを受け止められる人は、世界を変えられる人と同様に素晴らしい。気持ちのいい話であった。
紙の本
書評ってなんなの?
2003/04/21 16:37
8人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:山 - この投稿者のレビュー一覧を見る
先月だったか、朝日新聞日曜版の書評で堀江敏幸さんが薦めていた(その文章は感動的でさえあった)ので読んだけど、どこがいいのか判らなかった。
物語がまるでグルーブしない。まるでアラスジを読んでいるような感じ。主人公ソーネチカにさえ共感できない。他の登場人物も名前という記号のままで、感情を持っている人間に思えなかった。フランスのメディシス賞、イタリアのジュゼッペ・アツェルビ賞てのは、どこをどう評したのか知りたい。だいたい短かすぎやしないだろうか、この手の大河ドラマにしては。
小説というのは、いろんな楽しみ方があるし、いろんな種類の書き方があるので一概にいえないが、この手のオーソドックスな書き方をした「物語」で読み手がグルーブ(読者が物語に巻き込まれて夢中になる瞬間)しないのは大欠陥なのではないか。
翻訳なので原文はいいのかもしれない、なんて考えもするけど、ロシア語でも英語でもフランス語でもなんでもいいけど他の言語で書かれた小説を読みこなせる日本人はほとんどいない。となれば僕たちは翻訳されたものを読むしかないわけで「翻訳なので原文はいいのかもしれない」というのは面白くないときいつも思うことだけど解決されることはない。
そもそも出版物の「書評」というのは、どんな発注がなされるのか知りたくなる。朝日新聞のは褒めてあったりお勧めしている評しかないので、きっと評者が納得した本について書いているのだと思っていたが、この本をあの堀江さん個人が評価するとは考えにくいので、もしかしたら「褒める」という注文が最初にあるのか?
みんな「面白い小説」が読みたくて、きっかけとなる広告文とか書評にほだされて買ってしまい、ほとんどの場合がっかりする。こういうことが続くから本を買うことに逡巡するようになる。面白くない本は、きちんと「面白くないよ」とアナウンスしてくれなくちゃ困る。しかし、そういうのは売り手(出版社はもちろん販売店も)としては紹介する意味のない書評ということなのか。