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紙の本
戦記か、文学か
2007/05/27 14:12
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
インドと中国に国境を接するビルマ奥地のフーコン、この土地を連合軍が国民党への補給線にしようとし、日本軍はそれを阻止せんとして激戦となった。というより一旦はこの地域を占領した日本軍は連合軍の物量攻撃に圧倒され、散々に追い立てられ、戦死率60%を越える惨状となって撤退、ビルマ全体での死者数は19万人。主人公はその餓えと病と暑さの行軍を、片腕を失って生き延びて復員、満州から引き上げてきた妻と結婚して、子供、孫ももうけて老境にいたる20世紀末になって当時を回想する。もう記憶はかなり朧ではあるが、妻の死後にやはりフーコンで夫を亡くしたという女性と知り合って、文献などを見ながらまた記憶をあらたにしていく。
文字通り生死の境をさまよったった経験の果てでは、つまるところ戦争とはなんであったかという思いにも行き着く。将校による素朴に懐古的なものでもなく、政治的メッセージでもなく、ただ失われた片腕という決して消えない記憶を抱き続けることで死の当事者であり続ける者の戦争観はどこまでも無常だ。血に膨らんだ蛭を体からぶら下げて幽鬼のように歩き続ける者に、うっすらと訪れては消失していった想念。なぜ歩いているのか、なぜまだ歩いていられるのか。末端の一兵士には知らされない戦争の意義、補充兵として投入された者には分からない戦闘の経緯、所属隊も散り散りになって自軍の基地に向かって、餓死寸前の彷徨。それらが現在の生活と交互にフラッシュバックして、日本が失っていく記憶の現状を映している。
フーコンにおける作戦、戦況がいかなるものであったか主人公は知り得ていないので、戦後になって将校が記録した出版物からの引き写しであり、いわゆる戦記ものとしては不完全なパーツかも知れない。しかしその過程は、消耗品のごとく投入された兵士の悲しさを浮き立たせる、戦争、戦争、戦争、、、多くの人々にとっては、開戦にも停戦にも関与できない。流されるままにその場に投入され、あるいは惨禍に襲われるだけだ。そしておそらく国家トップの人間にとってさえ、コントロールできずに押し流されるだけのものだ。そういった論理も思想も越えたところにある戦争という存在の姿が、この文学という形式で描きだされているように見える。永い平和の年月があったからこそ熟成された思いが、忘れ去れれる寸前にかろうじて書き留められたことに感謝したい。
紙の本
補充兵などというのは、一山十銭の屑イワシだ
2003/05/16 15:00
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:もぐらもち - この投稿者のレビュー一覧を見る
「みんなそれぞれのやり方で、戦没者を弔っている。それにしても戦争というやつは、見境いなく人を殺すだけではない。生者にも、何かを選ばせ束縛する。」(「妻の部屋」に収録されていた「私のフーコン旅行記」より)と語る古山さんにとって、フーコン戦記をはじめとする一連の戦争小説を書き続けることが戦没者への弔いだったのでしょう。
物語は、元一等兵である村山老人がフーコン(北ビルマの地名)の地図をたどりながら、当時のできごとを追憶するというかたちで進められていきます。そこにあるのは、激しい戦闘や悲惨な人の死に様の描写ではなく、行軍中にまとわりつく山蛭であり、日常的な死であり、無力感です。
「補充兵に限らない、国民というのは、網に掬われ、皿に載せられるイワシのようなものなのだ。兵役の義務ありと国が決めたら、国民は従うしかない。狩られたら、狩られるしかない。狩られて運ばれたら、運ばれるしかない。狩られて、運ばれて、死ぬイワシだ」。
国は決して、国民を護らない。それでも、国が戦争をすると決めれば、国民は戦わなければならないのです。一体、誰が誰のために戦争を始めるのでしょう。
「国を護るという嘘が、平和を護るという嘘に代わったのである。人は聖戦遂行の世間なら聖戦遂行に自分をあわせ、反戦平和の世間なら反戦平和に自分をあわせるのだ」。
私にはこの「平和を護るという嘘」というのが分かりません。今回のイラク戦争も心情的にはどうしても許せません。でもそれは、「反戦平和」の風潮の中にどっぷり漬かっているからであって、世間が戦争賛成の流れであれば、私はどう思っているか分かりません。村山一等兵の静かな声を聞きながら、戦争の悲惨さは経験していない私には絶対分からないし、分かったふりをしてはいけないと思いつつ、どこの国の人々も血を流す戦争に巻き込まれないことを祈るしかありません。