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メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書)
米国の軍事行動を批判し続けてきた偉大な知識人・チョムスキーが、現代情報社会の最も重要な鍵であるメディアの虚実を暴く。国際情勢を読み解くために欠かせない一冊。更に辺見庸との...
メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書)
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商品説明
米国の軍事行動を批判し続けてきた偉大な知識人・チョムスキーが、現代情報社会の最も重要な鍵であるメディアの虚実を暴く。国際情勢を読み解くために欠かせない一冊。更に辺見庸との対談も収録。
【商品解説】
収録作品一覧
メディア・コントロール | 9-72 | |
---|---|---|
火星から来たジャーナリスト | 73-114 | |
根源的な反戦・平和を語る | ノーム・チョムスキー 談 | 115-116 |
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紙の本
われわれは自身のことについて無知である
2003/06/14 20:56
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルは冒頭の60頁ばかりの論文にちなんでいる。ここでチョムスキーは現在の民主主義がほとんど全体主義と化している状況を描き出していく。この論文の冒頭には、民主主義のふたつの概念が掲げられている。
ひとつは
「一般の人びとが自分たちの問題を自分たちで考え、その決定にそれなりの影響をおよぼせる手段をもっていて、情報へのアクセスが開かれている環境にある社会」
これは辞書的な定義である。
もうひとつは、
「一般の人びとを彼ら自身の問題に決してかかわらせてはならず、情報へのアクセスは一部の人間のあいだだけで厳重に管理しておかなければならない」
そして、「実のところ、優勢なのはこちらのほうだ」とチョムスキーは書く。
そして、「半年足らずでみごとに平和主義の世論をヒステリックな戦争賛成論に転換させた」「クリール委員会」とは何かを語っていくのである。そこで現われるのは、民主主義という社会制度がいかにして形骸化されていったのかについての史的事実である。知識人などの特殊な階級だけが権力を握り、一般大衆とは愚かであるため、時々選挙で誰かへの支持を表明する意外には何も許されない。そのような状況である。
この論文の皮肉な調子のなかでは、民主主義はほとんど全体主義と同義語であるかのようだ。
メディアにより一般大衆へ恐怖を植え付け、ヒステリックな戦争賛成論を導き出すいくつもの実例を交えて語られる筆法は鋭く、それが決して過去のことではないこともわれわれに教えてくれる。この論文事態は湾岸戦争後の1991年に書かれているが、その論旨はまったく今でも通用する。変わっていないと言うことである。
本書で問題にされているのは主にアメリカのメディア状況である。敵に対して掲げる原則(人権の重大な侵害があるのなら、軍事攻撃をしても構わない)が、全くのダブルスタンダードであるという「事実」をグアテマラやハイチでの歴史的事実を踏まえて、静かに糾弾していく。アメリカの支援でイスラエルがアラブ諸国を蹂躙しても、それはまったくメディアには流れず、アメリカが他国を侵略する時にだけ、その原則は適用される。
この点に関してチョムスキーの批判は「完璧」ではないだろうか。戦争の大義名分が全くの虚偽であり偽善でしかないことを決定的に暴いているからだ。
本書の射程はそれに止まらない。アメリカを批判して終わりではない。問題は、アメリカがダブルスタンダードで戦争を遂行しているということにとどまらず、そのダブルスタンダードがダブルスタンダードであると認識されないように情報を取捨選択している「メディア」である。
後半に収録されたインタビューでは、日本がチョムスキーの東ティモール問題について証言するのを妨害したという話が出てくる。「インドネシアの友人たちが行った大量虐殺が告発されるのを防ぎたかったのです」と言っている。インタビュアーの辺見庸が驚いているように、そしてまた私も知らなかったし、これはほとんど報道されてもいない話なのではないだろうか。恐いのはここである。
そして、チョムスキーがインタビューの冒頭で言っているように、言論統制が存在せず、情報が開示されているのにもかかわらず、それを誰も知らないことこそが危険なのではないだろうか。メディアの情報の取捨選択は決定的にわれわれの思考に影響を及ぼすということを、本書は繰り返し語ってきた。
インタビューの最後でチョムスキーは以下のように言っている。
「他人の犯罪に目をつけるのはたやすい。東京にいて「アメリカ人はなんてひどいことをするんだ」といっているのは簡単です。日本の人たちが今しなければならないのは、東京を見ること、鏡を覗いてみることです。そうなるとそれほど安閑としていられないのではないですか」。
紙の本
われわれは闘い続けなければならない。
2004/05/29 17:54
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:テル - この投稿者のレビュー一覧を見る
変形生成文法を提唱した著名な言語学者としてしか知らなかったチョムスキーを、今や本当に一握りになってしまった反骨の知識人として私が再認識したのは、ドキュメンタリー映画「チョムスキー 9.11」によってだった。本書『メディア・コントロール』はこのチョムスキーの立場を手に取りやすい形で伝える好著である。そこに描かれるのは絶望的なまでのメディアの報道統制によって、自由な環境のもとで達成された全体主義国家となった「民主主義」の帝国アメリカの姿だ。
われわれは普段、テレビや新聞などメディアの流す情報をほとんど疑いの目を持たずに見、受け入れている。そこに何らかの統制が働いているなどとは意識することはない。しかし、チョムスキーによれば、権力の側は多大な努力を払って、われわれ「とまどえる群れ」が政府・権力の方針に疑問を抱かないように広報活動しており、メディアはそれを全面的に支持し、反対の意見を持たせるような事実やニュースは流さないのだ。われわれが見ているものはすべてこうした権力の広報活動を支えるものであり、事実は都合のいいように取捨選択され、編集されたうえで届けられている。
「中東問題でも、国際テロでも、中米問題でも何でもいい——国民に提示される世界像は、現実とは似ても似つかぬものなのだ。その問題の真実は、嘘に嘘を重ねた堂々たる作り話の下に葬られている。」(p.40)
1916年の第一次世界大戦の時代から始まっているこのメディア・コントロールは、権力の側にとって非常に有効な手段であった。しかし、「とまどえる群れ」の側にも着実な変化があるとチョムスキーは言う。1960年代から活発化する「異議申し立ての文化」は確実に根付ていると言うのだ。
「国民の思考を統制し、合意をでっちあげるべき徹底的な宣伝がなされたにもかかわらず、人びとは確実にものごとを見きわめる能力を獲得し、騙されまいとする意思を培っている。権力にたいする懐疑が育ち、あらゆる問題に向きあう姿勢に変わってきている。」(p43)
だが、9.11以降のアメリカを見ると、果たしてどこまで「異議申し立ての文化」が発動しているのか疑問にも思える。権力の側もまた果てしなく努力を続けているのだ。
われわれもまた闘い続けなければならない。言論の自由は市民運動の中で獲得されたものであり、「闘うのを忘れてしまえば、権利は失われていくのです。天与の贈り物のように、降ってくるわけではないのです。」(p.133)
わが日本を顧みれば、アメリカ以上に異議を申し立てる文化の弱いことに唖然とせざるをえない。イラク問題しかり、北朝鮮問題しかりで、外に目を向けさせて、危機をあおり、ミサイルも、果ては核まで持ちかねない勢いに、国民は黙々とつき従っているようだ。ある意味で戦後日本の急速な経済復興はアメリカの世界戦略=戦争戦略に異議を唱えないばかりか、積極的に貢献してきたことによるとも言える。その意味で、昨今の憲法改正問題について、「五〇年にわたってアジア地域での戦争に貢献してきたことに比べたら、ささいな問題です」(p.162)とのチョムスキーの指摘は、憲法によって日本は平和であったという幻想を微塵に打ち砕くものである。
「とまどえる群れが社会の動きから取り残され、望まぬ方向に導かれ、恐怖をかきたてられ、愛国的なスローガンを叫び、生命を脅かされ、自分たちを破滅から救ってくれる指導者を畏怖する一方で、知識階級がおとなしく命令にしたがい、求められるままスローガンを繰り返すだけの、内側から腐っていくような社会に住みたいだろうか」(pp.71-72)と問うチョムスキーの描く社会に、今の日本は極めて近くなっているのではないだろうか。「内側から腐っていく社会」に住みたくなければ、われわれ一人ひとりが「異議」を唱え続けなければならない。
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もしこの人が言うことが全て本当で、このまま事態は改まることがないならこの世界は絶望的である
2016/12/25 20:53
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
アメリカに対して誰もが薄々とは感じていたことだろうと思う。だが、この人の言う言葉は想像を超えていた。もしこの人が言うことが全て本当で、このまま事態は改まることがないならこの世界は絶望的である。ここには、辺見庸によるインタビューが載せられているが、チョムスキーは日本に対しても容赦がない。
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情報を受け取る側も熟慮を
2003/05/14 22:07
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:t@ki - この投稿者のレビュー一覧を見る
我々は日常生活の中で、情報のほとんどをマスメディアより受けている。しかし本書ではそのマスメディこそが主義主張を超える次元で過度に情報を取捨選択していること(メディア・コントロール)を明らかにし、以て情報の受け手である我々に対し熟慮と正確な判断をするように求めている。
またユニラテラリズムを標榜するアメリカと、アメリカの民主主義を冷静な目で捕らえ、平易な文章でその実像を綴っている。それによりアメリカが過去の歴史と現在において大義名分すら浅薄なまま様々な国際事象に深くインボルブしている姿が浮かび上がってくる。
マスメディアに対して複眼的視野と思考を持つように努める者には必読の書であり、マスコミ関係者にこそ読んでもらいたい本である。
紙の本
さて、私達は何がしたいのか?
2003/05/02 02:21
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:瀧山宜志 - この投稿者のレビュー一覧を見る
今日5月1日、ブッシュ米大統領がイラクでの主要な軍事作戦を終結する宣言をするという。しかし正式な終戦宣言ではないそうだ。くだらない話だ。だが、誰が「茶番もたいがいにしろ」といったろうか。ニュース番組などは連続ドラマなどではないのだから、毎回初めての視聴者を意識して、くどいほど事実を確認しても、誰にも咎められることはないはずだが。そしてメディアがお茶を濁すことしていないなら、私達がもっと質の良い情報を得たいのなら、TV局や新聞社に注文の一つもつけていいはずだが。
本書は三つの章からなり、「メディアコントロール」の章では、メディアが歴史上果たした役割と現在も果たしつつある役割が具体例をまじえて語られる。以下「火星から来たジャーナリスト」と辺見庸のインタビュー「根源的な反戦・平和を語る」と続く。要するに著者の他の著作と内容は大差ない。しかし、新書ということもあって値段も手ごろで、分量も多くはないが、他に邦訳されている単行本よりも訳が格段にわかり易い。これだけでも本書を手にする価値はある。
加えて、メディアを問題にしたことで権力者や知識人以外の市民を議論の場に引き込むことに成功している。視聴者・読者のいない報道はありえない。地理的に遠く離れた日本でも戦争報道があり、攻撃支持表明があった。そして次は復興支援だ。しかし本当は、私達はイラクに住んでいる人々に賠償金を支払う義務が生じたのではないか。攻撃を支持するとはそういうことだし、攻撃された側は請求する権利がある。さて誰がイラクに対して、攻撃支持なら我々には賠償責任が生じると言っただろうか? 実際にはアメリカから復興支援を当てにされるだろうと言っていたのではないだろうか。短期で終われば景気は上向き、長期にわたれば深刻な影響、などという景気動向の分析とともに。本書は、私達は無辜(むこ)ではないということを明かしてしまっている。著者のジレンマとともに。