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紙の本
【崩壊感覚】から【抗暴】へ
2003/05/19 14:54
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る
われわれが見るべきは惨憺たる死体である。メディアが見せるべきは無残な死体である。空母でない。(中略)/抗暴の時はすでに訪れている。もはや退けない。失われた言葉を取り戻し、それらに真に人間的な意味をこめるために、絶対暴力とその支持者らに永く抗う意思が要る。
辺見庸は無骨に熱く語る。同年のプチ爺なのに微かに残っている埋火を掻立ててくれる。久し振りに実業の世界で生きている友にあったら、九十九%のクソリアリズムで生きているもんねと、言われた。引退して後進に席を譲ったらと問えば、その前に借金を綺麗に片づけてくれと言われた。わしを追い出してくれないのだ。
ある中小企業の社長夫婦は責任回避で逃げ出されるのを怖れて、自殺防止の監禁同然のアパート暮らしを余儀なくされ、従業員達の監視下に置かれている。
恐らく、五十%以下のクソリアリズムで生きている極楽蜻蛉の僕は簡単に辺見の言葉にカタルシスを覚えるのだろう。だが、それが、行動に繋がるかと言えば疑問だ。ズボラな日常が当たり前になっているのだ。むしろ、辺見は九十九%のクソリアリズムで生活している真っ当な人々に向けて、残り一%の埋火を紙葉で燃え立たせ引火の抗暴へと駆り立たせたいのであろう。
本書は『単独発言 99年の反動からアフガン報復戦争まで』に最新原稿六編を加え、副題を「私はブッシュの敵である」と変えて文庫化したものである。
彼の言説は、文学者特有の屈折というか、崩壊感覚(彼は本書の六章で野間宏『崩壊感覚』をキーワードに実時間における作家の時間認識について考察している)の度合いが深い『永遠の不服従のために』(毎日新聞社)よりは、彼自身、臨界点に達したのか、ブッシュ、小泉の暴力装置に対して言葉で闘いを挑む。日本版ノーム・チョムスキーを彷彿する。
ー崩壊感覚でむしろ歴史というものを眺めていく。私はそこに派手な歴史的な判断というのはなしえなくとも、とんでもない翼賛はそこに生じえないだろうと思うのです。左翼的にも失格、あるいは右翼的にも非国民、こういう人間にやっぱり物書きというのはなるべくなっていたほうがいいのではないかと私は考えるわけです。ー
そのような晴れがましくない表現者としての立ち位置から、彼は一歩、踏み出そうとしているのか。最新刊『いま、抗暴のときに』を読んで検証しようと思う。
武田徹が日本テレビでメディアは戦場を報道したけれど、戦争を報道出来たかと、問題提議をしたが、戦争は語るべきものであろう。テレビ媒体の限界とも言える。それぞれのメディアの役割と限界を認識した上で、例えば、文学が言葉を錬磨して出来ることは、戦争を、死を語ることであろう。
もし、文学が隠蔽された死の上に成り立つ広告代理店的言説を供給すれば、言葉の死を意味する。不良債権としての矜持がない文学は死滅するといった緊張感の中で言葉を産み出せば、その逆説、屈折、崩壊観の手触りによって難産するものであるなら、大塚英志だって【不良債権文学】を認めるに違いない。