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商品説明
【川端康成文学賞(第29回)】少しずつ壊れてゆく痴呆症の妻。夫の老作家を支える、かけがえのない恋慕の記憶。哀しくもときにユーモラスな介護生活に、若き日の熱烈な恋愛の記憶が輝きをもって立ち現れる−。川端康成文学賞受賞の表題作と続編を収録。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
青山 光二
- 略歴
- 〈青山光二〉1913年兵庫県生まれ。東京大学在学中に創作を開始。その後、任俠小説で活躍。「闘いの構図」で平林たい子賞、「吾妹子哀し」で川端康成文学賞を受賞。著書に「われらが風狂の師」など。
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紙の本
自分の愛に責任を持つ
2006/02/11 09:12
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:佐々木 なおこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ダンスホールで会った頃から、おれが好きだったなんて…、
今ごろになって」
「ずうっと前から、それが云いたかったの」
「でも云えなかった。やっと云えたわ」
「ありがとうよ、杏子」
アルツハイマー型痴呆症が日増しに顕著になっていく妻の杏子、
その介護に明け暮れる夫の杉。
作家青山光二さんの自伝的小説とも言える本書は
一貫して、妻への想いが綴られている。
介護の日々は苦労と疲労の連続だ。
徘徊し、失禁し、そして時おり正気にもどる妻を相手に、
夫は作家の仕事を続けながらも、妻の世話に明け暮れる。
妻との衝撃的な出会い、とうてい押さえることができなかった激情、
そして夫婦となってからのいくつもの思い出、
そんなエピソードを取り混ぜながらも、
介護の日常がつぶさに語られる。
妻を前にして思わずこぼれてしまう涙が熱い。
「…あの時、おれは何とこの女を愛していたことだろう」
出会いの頃を思い出す杉。
そして、今はこう思う。
「(自分の愛に責任を持たなければ−)と何の脈絡もなく、
又しても杉は、わが心に呟くのだ。
(それが人間というものではないのか。
あのように全身全霊をかけた自分の愛を今も疑うことはできない。
あの愛は記憶の中にあるだけかというと、そうではない。
今も愛は生きている。
それなら人間らしく、愛に責任を持たなければ−。
時の流れがとまるまで。
Till the end of time
Till the end of time」。
紙の本
老いてなお鮮烈に。老いてようやく混じりけなく。力強い純愛小説。
2003/07/15 22:32
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:奈伊里 - この投稿者のレビュー一覧を見る
満90歳になる青山光二氏が、ステッキ片手に授賞式に臨む姿を見たのは、テレビだったか、雑誌だったか。受賞作は、アルツハイマーの妻を介護する生活を描いた究極の恋愛小説だという。
任侠小説中心の作家がものする私小説とも言える純愛小説。現役で書き続ける作家の年齢への興味も加わり、あらゆることが刺激的な匂いを放っていて、わたしは出版を待った。
著者本人をモデルとする作家杉圭介は、アルツハイマーと診断された妻杏子と二人で暮らしている。彼女の過去の記憶はざっくりと刈り取られ、新しい記憶はほとんど残らない。記憶は日常の基本的な作法にももちろん及ぶから、トイレの仕方を忘れては失禁し、下着も洋服も杉が着せてやらねばならない。赤ん坊に戻った妻のすべての面倒を見てやって暮らす。少しでも目を離せば、時と場所を問わず徘徊を繰り返すので、常に一緒にいることが生活の基本だ。
このお手上げ状態を、杉は自分の妻への愛情を試すように甘んじて受け、暮らす。
「エーテルのように無色透明な愛情を、いちずに杏子に向かってつないで行こう。それが唯一のおれの生き方なのだ」
「もし今、杏子に銃口を向けて射とうとする者がいたとする。お前は彼女を守って銃口の前に立てるか……立てる、と自信をもって、問いかける自身に答えたのをおぼえている。愛の自覚であった」
結婚、育児、戦争による疎開、出征と、困難に立ち向かうたび、こうして杉は愛を確認してきた。「銃口の前に立てるとも。さあ、射ってみろ」
そして今、銃にこめられた弾丸はアルツハイマー型痴呆症だと、杉は思って暮らす。
二篇の小説は、二人の日常の描写と、それに伴う二人の記憶の描写で進んでいく。二人の記憶といっても、杏子の記憶ははぎ取られているから、杉が二人分を思い出していく。新しいことは何も始まらない。介護の現在に、過去の記憶が紛れ込むだけ。
それでも、杏子は時折、ひょんなことでひょんなことを思い出す。筋の通らない、脳という記憶装置のいたずらなのか、それとも、特別な意味を持って彼女の裡に刻まれていたのか、そのたびに杉は、自分の記憶の回路を辿りなおし、再構成する。そしてまた、愛情を確認し、介護生活の現在を肯定する。ただただ記憶だけが、現在を支えてくれるのだ。
これらの記憶の連鎖は、過去と現在を行き来して、二篇とも、ふとした日常のふとしたところで、ぷつりと途絶える。杉はもうすぐ、介護施設である「老健」に彼女を入所させるつもりであり、そうして手が離れてしまえばもう会いにいくこともほぼなくなるだろうと思っていさえするのだが、その辺りの矛盾に関しては何も語られない。作品が切り取った日常に去来した愛情の記憶が綴られるのみだ。
「半分はつくりごとですけど、私小説と読んでもらって結構」と青山氏は語っているが、わたしの読後感は、これは100パーセント創作と言ってもいい恋愛小説。
介護にまつわる苛立ちも問題定義も何もない。ただ、老いて病気を抱えてしまった夫婦を支える、若き日の美しく鮮烈な記憶と、愛の確認だけがそこにある。それは部分的なノンフィクションではなく、全きフィクションだ。
慣れぬ手つきで妻の髪を刈りつつ、「吾妹子の、髪梳る、春の宵……」と口ずさみ、涙がこみあげる杉。鏡の中に、不器用に散髪された妻と夫の顔が、一幅の絵となる。杉は思う。「愛は記憶の中にあるだけかというと、そうではない。今も愛は生きている。それなら人間らしく、愛に責任を持たなければ……」
こんなに美しすぎるシーンが、こんなに歯の浮くような台詞が、するすると心に溶けていくのは、きっとわたしが老いに抱える不安、自らの愛情の行方に抱える不安を、柔らかく鎮めてくれるからかもしれない。愛したこと、愛していること、それがすべてだと肯定してくれる力が、この小説には溢れている。
紙の本
全てを受け入れる
2018/05/17 04:46
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
老小説家と認知症の妻との日常が味わい深かったです。衰えゆく肉体と失われていく記憶を、ありのままに受け入れる姿が感動的でした。