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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2003.8
- 出版社: 白水社
- サイズ:20cm/289p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-560-04767-7
紙の本
アウステルリッツ
【全米批評家協会賞】【ブレーメン文学賞】建築史家アウステルリッツの欧州を巡る遍歴は、封印されていた記憶を呼び起こし、個人と歴史の深みに降りていく旅だった。欧米で絶賛され、...
アウステルリッツ
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商品説明
【全米批評家協会賞】【ブレーメン文学賞】建築史家アウステルリッツの欧州を巡る遍歴は、封印されていた記憶を呼び起こし、個人と歴史の深みに降りていく旅だった。欧米で絶賛され、多くの文学賞に輝いた世紀の傑作。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
W.G.ゼーバルト
- 略歴
- 〈W.G.ゼーバルト〉1944〜2001年。ドイツ生まれ。ドイツ文学を修め、イギリスのイースト・アングリア大学で教鞭をとった。散文作品を発表し多くの文学賞を受賞。
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著者/著名人のレビュー
個人の記憶の迷路に迷...
ジュンク堂
個人の記憶の迷路に迷い込むことが、そのまま歴史の深い闇に降り立つことでもある。欧米で最高の賛辞を得た新世紀の傑作長編。
紙の本
アウステルリッツは人の名前
2020/11/10 22:26
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投稿者:H2A - この投稿者のレビュー一覧を見る
題名は人の名前。語り手がベルギーで出会った不思議な男アウステルリッツ、2人は建築史を語らいはじめ長年ヨーロッパ各地を彷徨い続け何度か出会っては断続的に交流を続ける。書物の世界に親しみ、建築や歴史ばかり語っていたアウステルリッツはある時から彼個人の生い立ちを語り始める。ウェールズの牧師イライアス家の子として育っていた彼は偶然自らのほんとうの名前がジャック・アウステルリッツであることを知る。実はプラハ生まれのユダヤ人で、ナチスの迫害からかばわれて子どものころ集団でイギリスに逃れたのだった。それからというものアウステルリッツは自らの過去を探り続ける。プラハで彼を大切にしていた隣人ヴェラを再開して母は女優のアガタ、父がマクシミリアンであることを知り、表紙の写真の由来もわかるし、ユダヤ人として収容所で過ごしていた姿を目にする。そこで語られる収容所の悲惨な生活。暗い時代が浮き彫りになる。最期はパリに逃れていた父を求めてピレネー麓のグルーに旅立つところでこの小説は終わる。段落の切れ目もほとんどないとりとめのない展開で、淡々と感じたが読後には静かな感動が押し寄せる、そんな小説だった。
紙の本
ドイツ国民は、あのユダヤの惨劇のことをどう思っているのだろう
2019/01/30 12:20
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
アウステルリッツ先生の建築学講座が延々と続くのかとあせっていたが、本題の本当の両親を求めての下りから面白くなってきて一安心。途中でアウステルリッツ先生が語っているのか、聞き手が語っているのか少し見失ってしまうこともあったが、「と、アウステルリッツは語った」と何度も話の節々に放り込んでくれるので助かる。ドイツ国民は、あのユダヤの惨劇のことをどう思っているのだろう。ナチスのやったことだから関係ないよと思っているか、あんなことが行われていたなんて知らなかったんだとでも思っているのだろうか、どうなんだろう
紙の本
類を見ないふしぎな世界——目の鋭さがすばらしい
2003/08/13 20:54
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投稿者:アキアカネ - この投稿者のレビュー一覧を見る
読み終わったあと、久しぶりになんとも形容のつかない、ぞくぞくする感動におそわれた。
ふしぎな語り口である。ヨーロッパの歴史と重なった過去をもつ「アウステルリッツ」という謎の人物の個人史もさることながら、さまざまな物を見つめる視線がきわめて印象的なのだ。
収容所のベッドに残されたガサガサのわら布団、旧収容所の町に残されていた、かつてどこかの居間を飾っていたらしい古道具、丸いランプシェードに描かれている為に永遠に循環して流れつづける大河、ダム湖の底に今も残っているはずの消えた集落の写真、1世紀半前から時を止めてしまった月面学者のビリヤードルーム、暗闇の中で目を光らせる夜行獣、ランプの光にあつまってくる無数の美しい蛾……。
駅の建物や砦、裁判所などのヨーロッパの重厚な建物が出てくる反面で、そのような小さな目立たない事物や生物が独特の書きぶりでとらえられている。そしてそれらの向こうに各様の歴史や、消えていった人間たちの生き様が見えてくる。冒頭のフクロウの目の写真がいみじくも語るとおり、暗闇を透かすすばらしくいい「目」をもっている著者だと感じた。じつに驚くべき、熟読玩味したくなる一冊。
紙の本
過去を記憶すること
2003/08/06 01:26
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投稿者:野沢菜子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
のっけから、こちらを見つめる男の目と夜行動物の目の写真。建築史家アウステルリッツが「私」に語る、その語りの中にまたしばしば別の語りの引用が入るという入れ子構造の滑らかな語りとあちこちに挿入される写真や図版とのコラボレーションによって、読者は瞬く間に歴史と思索の迷路に連れ込まれる。「とアウステルリッツは語った」というリフレインが効果的。
旅の途上、アントワープで出会ったアウステルリッツは、専門である十九世紀の建築物を巡る博識と深い思索で「私」を魅了する。やがて二十年の歳月を経てまためぐり合った時、アウステルリッツは自らの来歴を語り始める。五歳でウェールズのエキセントリックな牧師夫妻の養子となった彼は、長じて歴史に興味を持ち、やがて自分がユダヤ人迫害を逃れるためにプラハから送り出されたユダヤ人の子供だったことを発見する。そして彼は両親の痕跡を求めて、今まで無意識に避けていた二十世紀の、ユダヤ人受難の歴史をたどり始めるのである。
時空や場所を自在に移動し、事実が述べられたかと思うと深い思索が展開されるなだらかな語りのうちに陽炎のように立ち現れるのは、歴史に押しつぶされてきた無数の人々である。名もない人々の、ひとつひとつの生活、命。押しつぶされる者と生き延びる者とを分ける境界は危うい。死者と生者の境すら、アウステルリッツにとっては曖昧になっているようでもある。母語も名前も含めて自分の歴史の始まりのすべてを奪われた、ユダヤ人になるはずだったのにそうなれずに育ったアウステルリッツの目は、ひたすら過去へ向く。過去を掘り起こすために生まれてきたかのように。
語り尽くされたかに思えるユダヤ人迫害だが、自身、死者の側に属していたかもしれないアウステルリッツが事実に即して語る悲劇の歴史は、そくそくと読むものの胸に迫る。そして、ドイツ人がいかに冷徹な狂気でもって効率的、機械的にユダヤ人とその財産を処理していったかを語るアウステルリッツの話に、ドイツ人らしき「私」はひたすら聞き入る。アウステルリッツの透徹した眼差しは、建物や街に、忘れ去られた死者の姿を見る。私たちの現代は、累々たる屍の上に築かれているのだ。その下に埋もれる名もない死者を記憶すること。今につながる過去を常に思い出すこと。茫漠と拡散する過去の、小さな引っかき傷のような手がかりを一つずつ拾って憶えておくことの大切さを、改めて思わされる。それが砂を一粒ずつ拾うような無為に近い営みであったとしても。
捉えどころのない広がりと深みをもつ、希有の一冊である。息継ぎの長い入り組んだ文章をここまで滑らかに読めるものにした翻訳も素晴らしい。恐らくは意図的にあちこちで使われている古びた言葉も心地よい。
紙の本
1990年代から僅かに4篇の小説を残し、ノーベル賞候補と目されて鬼籍に入った作家の遺作。封印された個人史を辿るにプロットはなく、視覚や言語表現への意識がジョイス的。硬質な文芸作品。
2003/08/04 22:59
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投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
また読みたいと思える「お気に入りの本」をさがすに初心者も上級者もなかろうと次々に挑んでいくけれど、いざ本書の感想や紹介を書いてみようかという今になって、高くそびえたつ壁の存在を強く感じる。海外の小説を読むのは歴史的なものも含めて異文化への興味であり、日本では考えられない問題意識に触れたとき、この国を相対化して考えるための良いカードを与えられた気がするからだ。だが…。
この本に関する情報はけっこう前から人に授けられていて、ナポレオンを想起させる題名と少年の装束の写真に惹かれながら、日本版と似たデザインの英訳書(原書はドイツ語)の表紙を眺めたりはしていた。しかし、上に書いたような西欧文化への憧れ、この少年の来歴への興味といったもので読み始めると、かなりギャップがある。やはり「上級者」向けという感じが拭えないのだ。
自分の能力や教養を棚に上げて批判めいたことで恐縮だが、原因のひとつに訳語の古雅さがあるのではないか。海外のサイトを見ていたところ、ゼーバルトの文体はVictorian,elegant…という分析があった。元が19世紀的な優美な表現なので工夫がされたのだと思う。だが「初心者」にも門戸を広く開けるため、残り3冊の邦訳がされる場合には、邦訳の文体は再考の余地ありという気がした。いかめしい表現をしなくても、「古雅」であることは可能ではないだろうか。
とか言っておきながら★5つをつけていると、「ちゃんとこの小説の良さは理解した」と見栄を張っているようであるが、戦前のドイツ教養主義みたいな、いかめしい文体は、そう嫌いではないのだ、実は…。
情報が少ない作家ゆえ「ぐぐる」と、国内サイトで毎日新聞の訃報にヒットして、そこに「現代のジェイムズ・ジョイス」というデーリー・テレグラフ紙の表現が引用されていた。見出しに書いたことについてだが、「硬質」という特徴を説明するにジョイスを出すのはふさわしくないけれども、ジョイス的と言うとゼーバルトのいくつかの上級者的特徴は俄然説明しやすくなる。
すなわち、順序通りであるとか一部カットバックを使うなどするプロット、つまり分かり易い筋立てはないという点。そして、ダブリンの町の一日を様々な視角から活写するといった実験性とはやや異なるが、視覚や文章表現の上で実験的な試みをしているという点である。
本文には、文章と拮抗する視覚的な要素がふんだんに盛り込まれている。表紙写真がひとつの例だ。それら視覚的要素と言語表現から受ける読み手の印象は、作家の意図に沿っているのだろうか。2つの要素はせめぎ合いながら、止揚しながら、主人公の人物が聞き手に語る個人史に現実味を与えていくけれども…。
そして文章。個人が見たもの、触れた人、暮らした場所の丹念な表現の集積が、
20世紀ヨーロッパの歴史の悲劇的なうねりをかたどっていく。小さな個人の断片の
蒐集から歴史のうねりへと帰納させていく、気の遠くなる作業は、ほとんどパラグラフのない文章によって行われる。そのなかに、幾人かの意識の流れも、話し手の語りも、聞き手の旅の描写もすべて抱合されている。
そういった特徴のいくつかの理解を従えて、私たちが辿り着くべき場所は、個人を抑圧するものの正体は何か、それに抵抗するものは何かという問題である。そうした問題を見つめる「視覚」と考える「言語」こそが彼の求めたものなのだろう。