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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2004.1
  • 出版社: 講談社
  • サイズ:20cm/326p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-06-212207-8

紙の本

テクストから遠く離れて

著者 加藤 典洋 (著)

【桑原武夫学芸賞(第7回)】いま求められる批評の原理とは? 小説の核心的「読み」を通して、テクスト論・ポストモダン理論の限界と文学思想における批評の停滞を超え、新たな普遍...

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テクストから遠く離れて

税込 1,980 18pt

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商品説明

【桑原武夫学芸賞(第7回)】いま求められる批評の原理とは? 小説の核心的「読み」を通して、テクスト論・ポストモダン理論の限界と文学思想における批評の停滞を超え、新たな普遍性の原理を提示する本格文芸評論。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

加藤 典洋

略歴
〈加藤典洋〉1948年山形県生まれ。東京大学文学部仏文科卒。文芸評論家。明治学院大学国際学部教授。著書に「敗戦後論」「日本の無思想」など。

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みんなのレビュー8件

みんなの評価3.9

評価内訳

  • 星 5 (1件)
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  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

テクスト読みの小説知らず。

2004/03/25 10:58

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る

あとがきにこう記されている。

「ほんとのことを言うと、あまりに小説というものを知らない人々が、慣れないものに手を染めた結果が、いまわたし達の前にある、テクスト論と呼ばれる批評である。わたしはただの読者として小説を読むということを心がけた」

だから厳密にいえばタイトルは、「テクスト(論)から遠く離れて」のほうが、より作者のいいたいことが伝わる。

「テクスト論の致命的な弱点がここにある。それは、ポストモダン思想とりわけポスト構造主義の思想一般と同様、他の思想、他の批評理論の価値を否定し、これを相対化することは得意だが、自分から新しい普遍的な価値、批評原理を提出することについては不得意なのである」

おーモーレツ! おーシンラツ! (でも、非テクスト論の批評だってかなりあてまるじゃんって白く笑った)。

この本の最初のほうに、吉本隆明とソシュールを引き合いに出して、吉本シンパだった連中が、いつの間にかソシュールの言語学が注目されるやソシュールシンパになっていた。新しい思想すべてがいいわけじゃないのにといっている。やはり畳と女房(いまは亭主かも)と思想は新しいほうがいいのだろう。何ごともおニューに目を引かれるのは確か。

作者は、テクスト論者たちの酢豆腐ぶりを小姑みたいにネチネチと分析している。ソシュールのタームである「SA:シニフィアン(聴覚映像)、SE:シニフィエ(意味内容)」などを用いて、同じリングで、足を止めて殴りあいをしている。

いつからこうなったかは知らないが、読んでてよくわからない文芸批評が、ありがたがられるようになってきた。作家が専業よりも、たとえば医者で作家とか、実業家で作家とか、ミュージシャンで作家とか、なんか兼業作家がクローズアップされてきたように、批評も畑違いの人が健筆を奮うようになってきたからなのかな。

作者は江藤淳を小説読みの第一に列挙しているが、そういう、要するに、小説に熟知した文芸評論家っていま、誰なんだろ。実作・評論の両刀使いである丸谷才一もしくは高橋源一郎ぐらいしか、名前がすぐに出てこない。

はっきりいわせていただくなら、おもろい批評が読みたい。発見がある批評が読みたい。ただそれだけ。その観点からすれば、この本はやや理詰め具合が濃厚だけど、おもしろかった。

まっとうな文芸評論家不在に一石を投じたと言うのか。作者の脱テクスト論・純粋文芸評論家宣言とも解釈できる書である。


ブログ「うたかたの日々」

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紙の本

読みの普遍性へ

2004/04/10 17:43

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る


 わたしはただの読者として小説を読むということだけを心がけた。著者はあとがきにそう書いていて、これが本書のすべてを要約し凝縮している。そう言ってしまうと身も蓋もないが、ほんとうのことだから仕方がない。村上春樹からよしもとばななまで十二人の同時代作家の小説作品を具体的な作品論として論じた『小説の未来』が実践編で、「作者の死」(テクスト論)の場所まで「主体の形而上学」批判の淵源をたどった本書はその理論編だと著者は書いているが、私の読後感はちょっと違う。

 くどくどと、いや、くねくねと迂回しながら論理の筋道をたどる独特のコクのある文体(この論理のうねりが加藤典洋の魅力でもある)でもって叙述される「理論」(脱テクスト論)の要諦は、テクスト受容空間における実定的な「作者の像」の概念と、文学テクストに固有な「虚構言語」(「現実の発語主体と言語表現間の言語連関が「不在」のまま言語コンテクストを構成するていの言語表現」)の範疇の二点に尽きる。著者はそこからフーコー的な「俯瞰する知」(主体の死)の批判へと論を進め、「人がある場所で生きることと、その彼の生が鳥瞰的に歴史的存在としてとらえられることとは、同じではない」、あるいは「何も知らずに生きていくことが、生きるということの原形である」とその「思い」を吐露している。

 しかし本書の魅力、というか旨味はこのような「ポストモダニズム批判」にあるのではない。少なくとも私にとって、『取り替え子[チェンジリング]』(大江健三郎:2000年)や『海辺のカフカ』(村上春樹:2002年)や『仮面の告白』(三島由紀夫:1949年)や『續明暗』(水村美苗:1990年)といった具体的な日付けをもった小説をめぐる作品論の鮮やかさこそが本書の最大の読み所である。真正の「理論編」、すなわち「ある読者が、その作品から感動を受けとったとして、その感動のやってくるゆえんを説明すべく必要とする、そこでの読み方」からだけもたらされる「読みの普遍性」(195頁)への回路をひらく理路はまだ十全なかたちで叙述されてはいない。

 これは余談だが、ハイデガーによれば、「事実存在」(…がある)と「本質存在」(…である)とが後者の優位のもとに分岐すると同時に西洋哲学が始まった。この分岐は、最後の形而上学者・ニーチェの「永劫回帰」と「力への意志」を経て、形式的体系(構造)とその外部(過剰な力の奔流)へ、そして「テクスト」と「作者の死」へと屈折していった。この終局から開始された加藤典洋の「脱テクスト論」が「テクストから遠く離れて」向かう場所はどこなのか。

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紙の本

アポリアとしてのテクストと作者

2004/01/25 23:58

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:けんいち - この投稿者のレビュー一覧を見る

 吉本隆明/ソシュールの言語観の差異を、主体(性)の有/無として説き起こす本書は、「テクスト論」・「テクスト論批評」、つまりはソシュール経由の構造主義的言語観の陥穽を撃ち、「テクスト論」の功/罪をめぐって、われわれの文学・思想シーンを席巻してきた観のあるポストモダン思想・テクスト論批評の批判的検討(破産宣告)が目指される。
そこで具体的に照準されるのは、「作者」という問題であり、加藤氏はそれを批評という読みの現場を足がかりに考えていく。小説の読解から、現実の作者にまつわる要素を切り離した形式化(柄谷行人『隠喩としての建築』)テクスト論が、その帰結として意味や価値評価の決定不可能性に陥ることを論じた上で、加えてテクスト論の枠組みからはうまく読めない小説が近年増えていることを指摘する(大江健三郎『取り替え子』・高橋源一郎『日本文学盛衰史』・阿部和重『ニッポニアニッポン』)。そこで加藤氏は、デリダ/バルトの議論を批判的に検討した上で、テクストから読み得る、現実とは作者とは別の「作者の像」を分析項に加え、「脱テクスト論」を標榜する。
 村上春樹『海辺のカフカ』を取り上げる際には、竹田青嗣『言語的思考へ』や石田浩之『負のラカン』の議論を参照しながら、「ないことがある」という評言で小説の「換喩的な世界」を描き出し、テクスト内部にとどまらないその厚みの分析・記述が目指される。また、フーコー『作者とは何か?』に即して作者の機能を検討を通じて実定的な「作者」の位相を炙り出し、それが加藤氏の言う「作者の像」と呼ぶものに他ならないと三島由紀夫『仮面の告白』の分析に向かう。ここで加藤の立てる問いは「本当に、「だれが話そうとかまわない」のだろうか。」というものである。そして、加藤氏は、『仮面の告白』という逆説的なタイトルと、その小説内容、さらには三島由紀夫(ペンネーム)/平岡公威(実名)を軸に議論を展開し、『仮面の告白』においては現実の作者殺しと引き替えに、新作者=仮面としての「三島由紀夫」が誕生していたと読み解く。
こうした議論を通して加藤氏が辿り着くのは、作者の機能と作品内容との組み合わせから成る批評の類型化である。「従来型の作者還元主義」「フーコー型の、テクスト論的な批評」「脱テクスト論的な批評」の3タイプであり、「主体の死」以後において、加藤氏が選び取るのはもちろん「脱テクスト論」なのである。
一連の議論を振り返れば明らかなように、本書は「脱テクスト論」の是非を云々する以前に、テクストと作者についての原理的な考察(説明?)になっている。ただし、その際に参照されるバルト・デリダ・フーコーなどの読み方は、読者が再検証する必要があると思われる。現実的な制約は種種あろうが、「祖述」を軸に組み立てられる論の粗さ・強引さは否めないだろう。また、結果的には加藤氏のいう「脱テクスト論」に該当する類にの批評として読めるものもすでに現れているとも思うし、ポスコロやカルスタが導入されて以後、様々な回路からテクスト論を基盤にした批判的発展を企図した仕事も散見されよう。その意味で、理論化・定式化をした加藤氏の労は認めるにせよ、その時機やオリジナリティには疑問符がつく。読者に求められるのは、バルト・デリダ・フーコーを読み返しながら、加藤氏の挙げた小説を読み直すことかも知れない。

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紙の本

目次

2004/01/23 11:25

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:bk1 - この投稿者のレビュー一覧を見る

I 「作者の死」と『取り替え子(チェンジリング)』

 チェシャ猫の笑い
 1 「テクスト論」の功罪
 2 大江健三郎、二〇〇〇年
 3 テクスト論者たちの対応(1)——小森陽一の「倫理」と「インサイダー情報」
 4 高橋源一郎『日本文学盛衰史』・阿部和重『ニッポニアニッポン』
 5 ロラン・バルトと「作者の死」
 6 幻肢と「作者の像」
 7 テクスト論者たちの対応(2)——渡部直己の「推測」と「作中原事実」
 8 テクスト論者たちの対応(3)——山城むつみの「隠喩」とプライヴァシー
 9 脱テクスト論の位置

II 『海辺のカフカ』と「換喩的な世界」

 1 形式体系と「一般言語表象」
 2 デリダの「作者の死」と「虚構言語」
 3 〈作者の死〉を生きること
 4 「ないこと」とラカンの換喩的世界
 5 カミュ、一九四二年
 6 阿部和重、二〇〇一年
 7 村上春樹、二〇〇二年
 8 『海辺のカフカ』と「存在の倫理」
 9 「作者の像」の伝えるもの

III 『仮面の告白』と「実定性としての作者」

 1 「作者の死」と「主体の死」
 2 ミシェル・フーコーの「作者とは何か?」
 3 「実定性」という概念
 4 三島由紀夫、一九四九年
 5 「作品」について
 6 水村美苗、一九九〇年
 7 「文士」と「人間」
 8 理論VS.幻肢痛
 9 「類似」と「主体化」
 パノプティコンの中の無限

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2009/11/03 11:17

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2013/03/10 13:49

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2013/07/03 22:21

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2018/01/04 17:33

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