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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2005.2
- 出版社: 幻冬舎
- サイズ:20cm/267p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-344-00741-3
紙の本
むかしのはなし
著者 三浦 しをん (著)
人は変化する世界を言葉によって把握する。どんな状況においても、言葉を媒介に誰かと繫がっていたいと願う…。語られることによって生き延びてきた物語である「日本昔話」を語り変え...
むかしのはなし
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商品説明
人は変化する世界を言葉によって把握する。どんな状況においても、言葉を媒介に誰かと繫がっていたいと願う…。語られることによって生き延びてきた物語である「日本昔話」を語り変えた書下ろし7編を収録。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧
ラブレス | 7−30 | |
---|---|---|
ロケットの思い出 | 31−78 | |
ディスタンス | 79−99 |
著者紹介
三浦 しをん
- 略歴
- 〈三浦しをん〉1976年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。2000年「格闘する者に○」で作家デビュー。著書に「私が語りはじめた彼は」「極め道」「夢のような幸福」「人生激場」など。
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紙の本
誰かとつながっていたいと思える作品
2006/10/01 16:21
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:よし - この投稿者のレビュー一覧を見る
三浦しをんさんは初めての作家。その才能にぶっ飛んだ作品です。昔話がこうも変わるなんて。決してモチーフは失わせず。不思議な面白さを感じた本です。最後まで読んだ後、また読み直してしまいました。
昔話をアレンジし現代風にした7作。そのラインナップは、
ラブレス…かぐや姫
ロケットの思い出…花咲か爺
ディスタンス…天女の羽衣
入江は緑…浦島太郎
たどりつくまで…鉢かつぎ
花…猿婿入り
懐かしき川べりの町の物語せよ…桃太郎
どれもわたしたちが聞いたことのある話が現代風、いや未来風にアレンジされています。
わたしが好きなのは「ロケットの思い出」。泥棒に入ったところは高校の時の知人「犬山」。その犬山から取引を持ちかけられる。「ある女性の部屋に忍びこんでほしいんだ」かってつき合っていたという彼女に部屋に忍び込んでまんまと成功したかと思いきや…。なんと、推理要素の入った作品なのでしょう。とっても、滑稽な話なんですけど最後は切ない。うまいなあと感心してしまいました。
この作品のすごいのは、途中から話が繋がってくるというところです。「地球に隕石が衝突し、地球は滅亡する」、このことを知ったとき、この作品は「生と死」をテーマに書かれていることに気付きます。
そして、「懐かしき川べりの町の物語せよ」で、今までの話の関連がわかります。この作品のモモちゃんが秀逸。
「どんな状況においても、言葉を媒介にだれかとつながっていたいと願うものである」そうあとがきに書いている、しをんさん。こうした昔話はこのように語り継がれていくのだろう。言葉の本質を言い当てています。
そんな作者の昔話を楽しんで欲しい。ただ、わたしの感想はちょっと作品ごとにムラがあるのではないかということ。楽しんだ作品とそうではない作品の。途中であきらめず、最後まで読んでいただくことをオススメします。
紙の本
末恐ろしい作家、三浦しをん!
2005/05/03 22:39
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トラキチ - この投稿者のレビュー一覧を見る
三浦しをんは末恐ろしい作家である。
子供の頃、誰もが読み聞かされた“むかしばなし(日本昔話)”を手玉に取っているのだから。
しをんさんの小説の特徴はエッセイなどで培われた“自由奔放さ”の中に“緻密”さを巧くブレンドさせている点であると思われる。
本作は構成内容において“したたかな緻密さ”が目立った作品である。
冒頭の「ラブレス」でいきなり読者を楽しませてくれサービス精神振りを披露。
なんとホストクラブで働く主人公が出てきてヤクザに追われるのである。
6篇の短編と1篇の中編から構成される本作は途中から“地球が三ヵ月後に大きな隕石と衝突し、滅亡してしまう”いう話が盛り込まれてくる。
実は三浦さんが描きたかったのはこちら(生と死がテーマ)のほうではないかとは容易には想像出来るのであるが、むかしばなしは小説を描く上での手段に過ぎないような気がする。
最後の中編「懐かしき川べりの町の物語せよ」で“はなしが一気にヒートアップ”するのであるが、ここに出てくるモモちゃんという高校生ながらのっぴきならぬ人物の描写が秀逸である。
私たちが小説を読んでいて“ハッとする瞬間”があるのであるが、最後のはなしというかモモちゃんという人物そのものにそれが凝縮されている。
本作においてはいわばしをんさんが語り手で読者が聞き手である。
「かぐや姫」「浦島太郎」「桃太郎」など、かつて読み聞かされたむかしばなしと比べて欲しい。
内容は大きくアレンジされているが主題は今も昔も変わらない。
私なりには“生きることの尊さ”を童心(むかしばなし)に戻ってもういちど読者に考えて欲しいのだと捉えている。
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実はしをんさんの小説は『私が語りはじめた彼は』と本作のまだ2作だけである。
彼女の全体像を語るには時期尚早なのは否めない。
しかし読み手によっては“しをんさんならこのぐらい書けて当たり前だ”と思われる方もいらっしゃるような気もする。
彼女の潜在能力の高さを示していると言えよう。
ただ、“小説って進化している!”と感じさせる数少ない作家のひとりであることは間違いない。
小説を読む楽しさを読者に余す所なく伝えてくれる希代のエンターテイナー、三浦しをん。
“三浦しをんはまだまだ発展途上である!”
大いなる期待を込めた言葉で締めくくりたく思う。
活字中毒日記
紙の本
未来予想図
2005/03/27 18:00
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ナカムラマサル - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は七つの章から成っており、各章の冒頭には日本の昔話のあらすじが書かれている。
その昔話と本文の内容が、噛み合うようなずれているような感じなので、共通項を探すのに躍起になってしまう。
たとえば第一章「ラブレス」は、「かぐや姫」がモチーフになっているようなのだが、主人公はヤクザに追われているホストであり、かぐや姫のイメージとの落差に初めは戸惑う。
が、読んでいくうちに、竹取の翁と嫗よろしく主人公の祖父母の存在がちらついたり、かぐや姫の五人の求婚者よろしく貢いでくる女がいたりして、「懐中電灯が月の光のように冷たく床を照らす。俺はもうすぐ遠い場所へ行く」という最後の文章を読むと、ああやっぱり「かぐや姫」だ、と無理やり納得させられる。
こんな調子で最終章まで読んでいくと、驚きの仕掛けが待っている。
本文そのものが、未来の、ある「選ばれた人間」から見た昔話であったことに気づくからだ。
この仕掛けの効果を高めているのは、語りの巧さだ。
各章の主人公はそれぞれ、カウンセラーや警察官や植物に自分のことを物語るという体裁をとっているが、主人公の風貌がぼんやりと浮かんでくるぐらい、語りの使い分けが見事なのだ。
この語りの巧さから、物語が物「語り」であった時代の昔話と、本文の語りが共鳴するのだ。
どうしようもなく、哀しいまでにただ毎日を生きている現在の私たちの日常が、物語られている未来図を見せてもらったような一冊だ。
紙の本
ダークホース三浦しをんは、ここのところの数冊で森絵都を抜いちゃったかもしれない、そんな気がします。この苦さとエッセイの爆笑の同居、でもまだまだポケットがありそうな、しをん、えらい!
2005/11/06 13:33
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
このカバーに使ってある活字を見ながら、長女は、「これ、気持ち悪い」っていいました。私は気にしていなかったのですが、例えば本文を開いてみて、その綴じ代にあたる部分に黒い染みのようなものが見えて、あれ、これ誰かの悪戯?と思い、そういえばと頁の小口にあたるところを見ると、如何にも血が染み込んでます、みたいにそれがデザインである、と知らされて、改めてこのブックデザインは気持ち悪いよなあ、まるで『リング』じゃん、と思ってしまうわけです。
それは、多分、むかしばなし、のもつ残酷さから触発されたものじゃあないか、なんて一人合点してしまうので、そのブックデザインはご存知、鈴木成一デザイン室、表紙写真は横山孝一(多摩川・東京狛江市付近)だそうです。もしかして、このシミって町の風景???
で、このお話、著者あとがきに寄れば「「日本昔話」がこの本のなかでどう語り変えられたのか、お楽しみいただけたなら嬉しい。」とあるように、どこかに古い話の痕跡があるようなのです。親切に三浦しをんは各話の扉頁に、その原型であるむかしのはなしを載せてくれています。たとえば、巻頭、27になった男のうつメールが寂しい「ラブレス」には「かぐや姫」のあらすじが要約されています。以下、目次に従って紹介しておきましょう。
子供の頃飼っていたイヌ「ロケットの思い出」は「花咲か爺」、叔父との恋物語「ディスタンス」は「天女の羽衣」、漁村がいやで町に出て行った男が結婚相手を連れて帰ってきた「入江は緑」は「浦島太郎」。
あの日がくる、その時のために整形を繰り返す女の「たどりつくまで」は「鉢かつぎ」、騙されて結婚してしまった私の「花」は「猿婿入り」、滅茶苦茶に強い伝説の高校生モモちゃん「懐かしき川べりの町の物語せよ」は、「桃太郎」。
巻頭に
わたしを記憶するひとはだれもいない
わたし自身さえ、わたしのことを忘れてしまった。
胸のうちに、語り伝えよという声のみが響く。
これはたぶん、思い出のようなもの。
あとはただ、ゆっくり忘れ去られていくだけの。
とあります。引用、とは書いていないので、しをんの創作でしょうが、若き語り部としての三浦の進境著しい様が伝わってきます。本当にこのヒトは文芸しているなあ、最近の早稲田大学文学部の連中の活躍ぶりはいったいなんだろう、そういえば慶応出身作家の名前を聞かないよなあ、などと思ったりして・・・
それはともかく、この本を読む限り、三浦の爆笑エッセイとは別の流れのこれら作品は、いつ有名な賞をとってもおかしくないな、と思います。ただ、私は弟くんとブタさんが登場する乙女エッセイもたまらなく好きなわけで、ともすればミステリやSF畑の作家が、節を曲げていかにも中間小説、風の作品を書けば受賞できる、といった某有名賞受賞より、彼女の素顔を見ることのできるユーモアもので大きな評価を得て欲しい、そう思います。
文学賞自体が硬直化し、権威化することで読書離れを引き起こしている例をみれば、彼女のような人にそのような文壇というものに風穴を開けて欲しいものです。
紙の本
語りの深みへと引きこまれる心地よさ
2005/04/02 02:54
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:今はむかし - この投稿者のレビュー一覧を見る
語るという行為の魔力、ほんとうは存在しない世界を眼前の事実として浮かび上がらせてしまう荒技、この上なく繊細に撒き散らされることば、思いがけない仕掛けの数かず、連鎖するいとおしき登場人物たち−−どこをとっても「小説」を読むことの楽しさと魅力を堪能させてくれる小説、それが三浦しをんの新作『むかしのはなし』である。
私は、三浦しをんという作家の力量を見くびっていたようだ。そして、この若い作家の可能性をあらためて思い知らされた。うれしいことだ。
語り継がれた「昔話」を物語に仕立てるという作業は、太宰治「お伽草紙」以来、想像力が枯渇した作家が苦し紛れに書き散らす飯の種という印象を持っていたのだが、この作品はそうした想像力が欠如した作家の書いた作品とはまるで違っている。作家の尽きることのない想像力が、昔話に新しい息吹を吹き込んでいる。そして、その心地よく語られる昔話のパロディのような世界に浸っていたら、いつのまにやら今と昔から離れた遠くて近い「未来」に連れ去られ、その未来からの声としての「昔話」を私たちは聴いているという仕掛けになっているのだ、ということにずいぶん読み進めてから気づかされる。
救いようのない終末観にあふれた未来、そう、三浦しをんの前作『私が語りはじめた彼は』の中の「予言」で語られていた地球の滅亡が、姿を変えてここにも登場する。雪が降り積もる森閑とした「予言」の終末、真っ暗闇の宇宙をあてもなく漂う密室の中で語られる「懐かしき川べりの町」の物語……。ブラックホールに吸い込まれるように、私たちは三浦しをんという作家の魔術に引きこまれる。それは、小説を読むという行為が、至福の時を求めることだったのだという、まさに文字を追うことの快楽を思い出せさてくれるだろう。