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酒場の藝人たち 林家正蔵の告白 (文春文庫)
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紙の本
ゴシップによる情熱と冷静の間。
2006/02/12 21:17
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:heizo64 - この投稿者のレビュー一覧を見る
“ゴシップ”というものの楽しさ、面白さを教えてくれたのは丸谷才一のエッセイだった。そして、役者や藝人に関するゴシップの腕のいい伝え手として「ちょっといい話」シリーズの戸板康二の存在を知った。しかし、戸板は既に故人であり、そのゴシップ集が新たに出版されることは残念ながらない。しかし、悲しむことはない。戸板康二を師と仰ぐ矢野誠一がその欠落をしっかりと埋めてくれているのだから。
この「酒場の藝人たち」には、対象とする人物の勘所を的確に読者に伝えるとともに、その人に対する筆者の思いがにじんでくるようなゴシップがたくさん収められている。本書の特徴は、先に触れた戸板康二の死を惜しむ「先生さようなら」を初めとする追悼文が数多く収められていることだろう。レクイエム集と言ってもいいと思う。色川武大、大地喜和子、いずみたく、古今亭志ん生、桂文楽、三遊亭圓生、春風亭柳朝、林家三平などその死を惜しまれる者は多岐にわたるが、やはり藝人(落語家)が多い。演藝評論家とも呼ばれる著者だけに、落語家追悼文を集めた第4部の充実ぶりが際立っている。
本書の副題にもされている「林家正蔵の告白」(現在の元こぶ平ではなく、彦六を名乗った先代)などは、ゴシップをうまく組み合わせていく方法による愛情ある人物評のお手本のように思える。そこに寄席へ通う定期券を持っていた正蔵に関する次のようなゴシップが載っている。
《ところがこの定期券を、仕事以外の私用で地下鉄に乗るときには絶対に使用せず、わざわざ切符を買ったものである。定期券とは、仕事をするひとのために割引になっているので、遊びに行くときにまで使うものじゃないというのだ。》
このエピソードひとつで林家正蔵という人のありようが具体的な手触りを伴って伝わってくる。
数ある追悼文の中でも「さらば柳朝」が白眉だと思う。志ん生、文楽、圓生といった著者より上の世代の名人ではなく、ほぼ同年代で下積みの頃から観てきた春風亭柳朝を語る著者の文章は熱い。決して文章が熱を帯びて上段に振りかぶっているわけではない。余裕のある語り口の中に、時折どうしても押さえきれないものがこぼれ出る。柳朝がこれからというときに病に倒れ、落語家の命である言語機能に障害を負ってしまった悔しさを本人とともに著者も強く感じているのだろう。
つい、本書のレクイエム集的側面ばかり強調してしまったが、それ以外の文章にも見るべきものは多い。特に巻頭に収録された「浅香光代・西海道御難旅路」は、収録された文章の中でも分量が多く、また筆者の文体も軽く弾むようなリズムがある。これは、女剣劇の一座を久し振りに組んで九州巡業に行く浅香光代に同行した随行記。旅そのものは、御難続きで終わるのだが、それを感じさせない浅香光代という天性の明るさを持つ座長とそれを支える役者と裏方たちに囲まれた著者の喜びが手に取るように伝わってくる。癖があり、どうしようもなく人間臭い役者や藝人たちだからこそ、あらがいようもなく著者は惹かれてしまうのだろう。
そんな思いを感じさせる役者や藝人の死に直面し、著者の胸中に浮かぶ思い出やゴシップがその対象への冷静で熱い想いと合わさったとき、味わい深い追悼文が生まれるのだ。
昭和10年生まれで、70歳になる著者には、これからも現役として活躍してほしい。読み応えのあるゴシップ集をもっと読みたいのだ。
最後にひと言触れておくと、本書は1993年11月に発行された「圓生とパンダが死んだ日」(青蛙房)を改題したものである。