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商品説明
昭和28年映画人の熱意によって産声を上げた銀座並木座。東京のど真ん中にあった80席あまりのちいさな映画館をめぐるとっておきのものがたり。映画ファンをなつかしのあの頃にいざなう一冊。全上映作品リスト収録。【「TRC MARC」の商品解説】
目次
- 第1章 並木座誕生-昭和二十八年〜昭和三十二年(敏腕プロデューサー
- 開館に向けて
- NAMIKIZA‐Weekly
- 並木座の活動)
- 第2章 時代を超えて-昭和三十三年〜昭和五十九年(激動の昭和三十年代
- 模索する時代)
- 第3章 古典への回帰-昭和六十年〜平成十年(並木座映画学校
- いつまでも心の中に)
著者紹介
嵩元 友子
- 略歴
- 〈嵩元友子〉東京生まれ。専修大学文学部卒業。編集プロダクション、出版社を経て、フリーライター。芸能(主に落語など)・旅行・健康をテーマに執筆活動を展開中。
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紙の本
銀座に並木座という名画座があった
2016/01/26 21:35
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
銀座に並木座という名画座があったのをご存じだろうか。
開館から45年、平成10年(1998年)9月に多くのファンに惜しまれつつ閉館し、今はない。
思い出を書く。大阪の小都市で生まれ育った私は高校生の頃に映画に夢中になって、「キネマ旬報」という映画雑誌を購読していた。そこに各地の名画座の上映スケジュールも載っていて、東京の名画座のラインナップにいつもため息をついていた。
中でも、池袋の文芸座と銀座並木座で上映されていた邦画の名作群には圧倒されていた。
そして、運よく東京の大学に進学し、憧れだった東京の名画座は手の届く映画館になった。
並木座は小さな名画座で、館内には大きな柱すらでんとあって、座る席には苦労した。それでも、並木座にいるだけで、映画の世界を満喫できた。手のひらサイズの映画案内「NAMIKI-ZA Weekly」も洒落ていた。黒澤明、鈴木清順、藤田敏八・・・、並木座で日本映画の魅力を教えてもらったといっても過言ではない。
そんな並木座の45年を丁寧にたどったのが、この本である。
随分知らなかったことも多い。例えば並木座の開館に名プロデューサーである藤本眞澄氏が関わっていたこと、石坂洋次郎や市川崑、あるいは小林桂樹という俳優たちが株主であったこと、開館の前夜祭にはあの越路吹雪が唄ったこと(それにしてもあの狭い空間でどう唄ったのだろう)、支配人たちのプログラムを組む苦労。
小さな名画座であったが、足繁く通ったファンと日本映画をこよなく愛した人々の思いで出来上がっていた映画館だったのだ、並木座は。
著者の嵩元友子は本の中にこう記している。
「三十年も五十年も、人々の心に残る」名画座であり、映画ファンの「心のオアシス」であったのは間違いない」と。
この本の素晴らしい点のひとつに巻末につけられた並木座上映作品リストがあげられる。
私が17歳だった昭和47年(1972年)の頃の上映作品の中に黒澤明の「椿三十郎/七人の侍」の二本立てがある。こういうのを見せられると、大阪の少年なんてころりとなってしまうのがよくわかる。
並木座がなくなってもう15年以上経つ。
銀座に並木座という名画座があった、と過去形で書くしかない。