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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2006.3
- 出版社: 新潮社
- サイズ:20cm/171p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-10-456704-3
紙の本
私という病
著者 中村 うさぎ (著)
「ああ、お願い。誰か、私に欲情して。」女としての価値を確かめるため、私はデリヘル嬢になってみた。東電OLは私だ、と感じた女たち。女が分からない男たち。性に悩む全ての読者に...
私という病
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商品説明
「ああ、お願い。誰か、私に欲情して。」女としての価値を確かめるため、私はデリヘル嬢になってみた。東電OLは私だ、と感じた女たち。女が分からない男たち。性に悩む全ての読者に捧げる究極の私ドキュメント。【「BOOK」データベースの商品解説】
「ああ、お願い。誰か、私に欲情して」 女としての価値を確かめるため、私はデリヘル嬢になってみた…。『新潮45』掲載「「人妻デリヘル嬢」をやってみました!」等を改題加筆し、書き下ろし原稿を加えたもの。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
中村 うさぎ
- 略歴
- 〈中村うさぎ〉1958年福岡県生まれ。同志社大学英文科卒業。OL、コピーライターを経て、作家。著書に「女という病」「愚者の道」など。
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紙の本
「自分探し」から「分身探し」へ
2006/06/16 22:43
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:nory - この投稿者のレビュー一覧を見る
中村うさぎ 47歳。まだまだ自分探しの真っ只中。
彼女はこれからは「分身探し」へと発展するだろうという。
女であることを喜ぶ自分と、男たちからの女扱いを拒否する自分。その矛盾に苦しみながら、東電OLに自己を重ね、分身探しのためデリヘル嬢という職業を体験する。
矛盾を抱えている人間はたくさんいると思うが、社会に適応するために無難な顔で生活している。しかし、プライドが高く、主体性にこだわる強烈な自意識があればこそ、人に支配されることを拒み、人にはできないことをやって勝利の快感を得ようとする。彼女の場合は性的強者になって自分を解放したいと願った。
さらにそのプライドの高さゆえに、こんなにもイタい私だけど自覚できないほどバカじゃないわよと、冷徹なまなざしで自分を観察し、分析する(それは、ある意味救いでもあるのだけれど)
著者の自己確認はいつも他者を通してだ。ブランド品を買ってどうだ。男を欲情させてどうだ。
過剰な自意識は人を苦しめる。バカボンパパのように、「これでいいのだ」と自己肯定できたなら楽になるのだろうけど、中村うさぎはそれを足蹴にして笑うだろう。
紙の本
嫌いな男、嫌いな女−夫と妻の官能講座《第13回》
2006/08/16 23:02
6人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:黒木太郎・花子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
夫今回は、実際にデリヘル嬢に挑戦したとして大変話題になった中村うさぎさんの本がテキストです。
妻月刊誌『新潮45』に「『人妻デリヘル嬢』やってみました!」という題名で掲載された時は驚いたわ。その時はすでにうさぎさんは有名人だったから、どうしてって思った。
夫後世の人のために注記しておくと、「デリヘル」っていうのは「デリバリーヘルス」の略語で、風俗業の一種だ。出張して売春を行うという業種だ。それを作家でもあったうさぎさんが実際にしたというのだから、衝撃だった。この本は雑誌掲載分を加筆してさらにどうしてそんなことを行ったかを釈明した内容になっている。
妻 釈明はひどい。世の中の男性諸氏が色々誤解しているようだから、説明したものなのよ。だから、うさぎさんは<まえがき>の中で「男性の皆さん、この本は、あなたのオカズにはなりませんよ」(5頁)って、ちゃんと書いている。そして、女というものをきちんと見ている。
夫 それはどうかな。そもそもうさぎさんはこの本で一部の男性をすごく敵視している。セクハラした男とか痴漢した男とか。彼らが男という優位な記号を使って女性を見下している。今回の「デリヘル嬢」という経験を通じてそれがよくわかったみたいな論調だ。盲人、象をなぜるの寓話のようだ。
妻 どういうこと。
夫 昔のインドの寓話で六人の盲人がある時象を触ったというのがある。一人の盲人は象の鼻に触って「象は蛇のようなものだ」といい、二人めの盲人は象の耳に触れて「うちわのようなものだ」と答えた。六人の盲人がそろって別なものを言ったという寓話で、部分を論じて全体を把握していない喩えに使われる。
妻 うさぎさんが部分しかみていないということなの。
夫 だってうさぎさんが書く「男性」はすごく偏っている。まるですべての男性が女性に欲情して、女性を蔑んで、そのせいで女性にストレスがたまってみたいな書き方が嫌いだ。
妻 でも、大筋では男性の力って強いのよ。
夫 か弱きは女性って訳ですか。最近の女性はうさぎさんのように発言の場があったりして、決して弱くないと思うよ。ここまで書かれて黙っている、反発しても取り上げてもらえないのだろうけど、男性の方が余程弱いと思うけど。
妻 取り上げてもらえない、ということは誰もが男性が強くて女性が弱いって思っているということではないかしら。
夫 それが、女性がもっとも否定する固定概念だね。。そういう固定概念の否定から女性の発言が始まったはずなのに、いまだにそれにのっかかった議論をしているのも、女性だ。
妻 でもそのようなことはうさぎさんもわかっているわ。実はこの本で描きたかったのは男性でもなく女性でもない。私という自身なのよ。その自身がわからないから、彼女は「デリヘル嬢」にもなった。「私たちは、分裂した自己を抱え、矛盾に苦しみながら生きている」(130頁)って書いている。
夫 この場合の「私たち」が女性だけでなく男性も含んだところの「私たち」であって欲しいものだよ。