noryさんのレビュー一覧
投稿者:nory
2007/10/12 19:50
子供を見守るということ
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
子供の心というものは、たとえ身一つにつながっていたのが離れた瞬間でも覗き見ることはできない。親の所有物なのではなく、まったく別の人格なのだ。そこを前提にしないと、いろんなことを間違っていく。
著者の子供の小学校の卒業式のこと。式が終わって、子供たちのあとをぞろぞろと保護者がついて行って教室に入る。先生も生徒も日常を装い、別れのときを迎える。かすれた声で「卒業おめでとう」と言う先生。そこで著者ははっと気づく。
「ここは、保護者が見学する場面じゃない…。
ビデオをまわす場面では、なおさら、ないよ…。
子どもたちは、いま、教室に言っている、さよならと。
子どもたちは言う、先生、ありがとう、と。」
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そして、著者は大急ぎで階段を駆け下りる。親が踏み込んではいけない場面もあるのだと。「出る幕じゃない」のだと。
全編を通して、ささやかなことではあるけれど、気持ちがこみ上げてくるような話が続く。その中でも、著者の友人のお父さんが退職後、小中学生向けの寺子屋塾を開いているという話は大いに感動する。
塾開講のお知らせのちらしを読むと、胸が熱くなって、今の世の中でもこういう人もいるのかと尊敬の念が湧いてくる。
「一人でも希望者がいれば始めます。」
〜 ちらしより 〜
年を重ねていくごとに、自分の子供だけでなく、若き人々に還元していくことは、大人の大事な仕事。では何を還元できるのか。それまで生きてきた軌跡が自分のすべて。一日一日、目を見開き、惜しみなく味わっていくこと。
紙の本シッダールタ 改版
2001/09/26 00:22
ヘッセの宗教的体験
8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
この「シッダールタ」と「荒野のおおかみ」はヘッセの作品の中で異色作といえるのではないだろうか。「荒野のおおかみ」でアウトサイダーの激しい苦しみを描いているのに対し、「シッダールタ」は悟りの境地にいたるまでの求道者の体験が描かれている。
インド思想を研究していたヘッセの宗教的体験といわれているが、もちろんそれは恐ろしいほどに個人的なものであり、彼の内面でどんなことが起きたのかはわからない。川の流れの中にすべての人、すべての善悪、すべての世界を見つけたこと、時間は存在せず変化のみがあるということ、このシッダールタの悟りをヘッセは体験したのだろうか。
凡人である私は少しでもその世界を垣間見たいと、とにかく想像するのみである。もしもかすかにのぞけたとしても一瞬にして消滅してしまうだろう。マッチ売りの少女が火の中に見た光景のように。
紙の本人間自身 考えることに終わりなく Philosophical Essays
2007/07/19 23:06
オットコマエな言葉たち
7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2月に癌で亡くなった著者の最後の本。
久々に感動した。あまりにもオットコマエな言葉たちに。
「自殺のすすめ」では、世の中がいやになって「誰でもいいから殺したかった」という青少年たちに、「人を殺したくなったら、自分が死ね。それが順序というものだと」と言い放つ。ここまで言える人はそうそういない。はぁ〜っとため息が出る。
そしてまだまだ、「癌だから死ぬのではない。生まれたから死ぬのである」「思い込みこそが人間を不自由にする」などのオットコマエな言葉が続く。
話は変わるが、先日テレビで、動物は基礎代謝が高いほど寿命が短いという説があり、それでは人間はどうだという質問が出ていた。先生は、「はっきりとはわかりませんが、スポーツ選手が長生きしたことはあまり聞きません」と答えていた。
それがなんだというのだ。生とは質ではないのか。自分がやりたいことをやって燃え尽きたならば、多少生きるのが短くなろうとも関係ないのではないか。
そんなことを言う人たちには著者のこの言葉を投げかけたい。
「自ら考え、納得する人生でなけりゃ、しょうがないでしょうが」
2007/10/29 21:35
生きていてもいいんだよ
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
自ら命を絶ったり、人の命を奪ったりすることを憂う編者が、生きるってすばらしいということを伝えるために集めた詩たち。鈍感力を身につけることができない繊細な心に、これらの詩が届きますように。
人は何か一つくらい誇れるもの持っている
何でもいい、それを見つけなさい
勉強が駄目だったら、運動がある
両方駄目だったら、君には優しさがある
夢をもて、目的をもて、やれば出来る
こんな言葉に騙されるな、何も無くていいんだ
人は生まれて、生きて、死ぬ
これだけでたいしたもんだ
ビートたけし「騙されるな」
かっこ悪くてもいいじゃない。
今、ここに存在することが気の遠くなるような確率での奇跡。
生きていてもいいんだよ。生きてるだけでいいんだよ。
紙の本家族のさじかげん
2007/10/14 16:32
人とのつながりという豊かさ
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
誰もかれもが忙しく、電話をするのにもメールで確認するような現代で、著者とまわりの人たちは奇跡のようにゆったりと、深い心の底でつながっている。一風変わった人たちが多いのだけど、そこがまた微妙なさじかげんで成立している。
友だちの届け物を持ってきたコイシさんに、ふとした思いつきで本を貸す。ほとんど知らないコイシさんにこんなことしてよかったんだろうかと思う著者のもとに、「できればまた、蔵書のなかから『特選』二冊ほど、お貸しください」という手紙を添えて本が返ってくる。
それからというもの著者が自然と選ぶ本たちは、偶然にもコイシさんにとって時宜にかなった本ばかりで、きちんと読後感が書かれて戻ってくる。
あるいは著者の友人が、拾った財布の落とし主の女性が食べるのを忘れてしまうという話を聞いて、その女性の家の玄関にそっとお弁当を置くようになる。匿名で。人知れず。その方が亡くなるまで十一年間も。
こんな話を読むと、著者やまわりの人たちがいかに縁(えにし)というものを大事にしているかと、ため息が出る。損だ得だと言う前に、本当の豊かさってこういうものでしょと教えられる。
紙の本失踪日記 1
2007/08/28 11:43
不条理な世界
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
子供のころ、友達の家にこの人の不思議な漫画があったのでなんとなく読んでいた。あとは新井素子との交換日記とか。
ある日突然、ふらりと失踪してからホームレスとしての生活を始める。それがものすごくクールに描いてあって、漫画家の視点はどんな状況でもあくまで漫画家なんだなと思った。
警察で職質され、失踪届が出ていることがわかって奥さんが迎えにくるのを待っているときに、ファンという警察官が色紙を買ってきてサインをねだり、「夢」と書いてくれというので絵にその言葉を添えたという話はものすごく不条理な世界をかいま見た気分で頭がクラクラした。
そして再度失踪して、なぜか配管工なって教育まで受け、社内報に漫画を投稿する。ああ、不条理だ…。
アル中になって病院に入院した話は、鴨ちゃんの「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」とも重なる。ここでも病院の中は不条理な世界。
最後のとり・みきとの対談は短いけどおもしろかった。とり・みきの視点で読むとまたこの本の凄さが増してくる。
2001/11/15 23:22
夢をあきらめない
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
羊飼いの少年、サンチャゴが夢に従って宝物を探す旅に出るという童話風の物語である。少年がいろいろな人と出会い、変化を恐れず自分が進むべき道を歩いていく姿は、まるで自分ができなかったことを代わりにやってもらっているようで、ページをめくるたびに喜びを感じる。
しかし、少年も初めはせっかく自分が育ててきた羊たちを手放すのをためらっていた。旅に出て宝物が見つかる保証はどこにもないからだ。いま持っているものを失う恐怖と、新しいものを手に入れる希望のあいだで心は揺り動く。
人は夢を持ってしまうと、それを実現できない苦しみを味わってしまう。最初から広い世界を知らなければ、あるいは無視すれば、いまあるものだけで満足できる。夢や希望を持つことは危険なことなのだろうか。
この本を読むと、不可能だと思えることに挑戦する勇気の大切さがわかる。何かを手に入れるために必要なのはその勇気だけだ。いろんなことをあきらめてしぼみかけていた心が、風船のようにふくらんでいくのを感じる。
2007/01/23 17:37
理想と現実を両立させたハイブリットな起業家たち
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
たとえば、環境的、人道的な問題が完璧にクリアされて、尚且つ採算がとれる事業があったとしたら、心ある人は誰だってそっちを望むに違いない。そんな夢のようなことが地球上には数多く存在しているのだ。
シルヴァンとマチューという若者ふたりは、そういうハイブリッドな起業家を訪ね歩いて話を聞いてきた。まさに問題山積みの地球を救うスーパーヒーローばかりだ。といっても、彼らは自分たちのまわりの問題を解決しようとしてたどり着いた道なのだけれど。
ノーベル平和賞を受賞した、マイクロクレジットの創設者ムハマド・ユヌスを筆頭に、フェアトレード、エコロジー洗剤、害虫の天敵の虫を使った農業、ゴミから資源を生み出すシステム、劣悪な雇用状況を改善して生産性を上げる、トウモロコシからプラスチックを作るなど、とても採算がとれそうにない事業なのに、みんなちゃーんと儲かっているのだ。
私たちはこれで理想と現実が両立するということを知ることができた。こういう社会が広がってくれたらどんなにすばらしいことだろう。
あとは私たちが何を選んでいくかということだ。もう自分さえよければいいという時代ではない。世界の大部分の人たちは、地球をそこに住む生物を守っていきたいと思っていると思う。少しずつ、正しい選択を積み重ねていけば光が見えてくる。
願わくば、この発端から戦争のない世界へとつながっていきますように。
紙の本春になったら莓を摘みに
2006/03/14 15:09
理解はできないが受け容れる。ということを、観念上だけのものにしない、ということ
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
ため息が出るほどの上等な人々と著者の交流。こんなにも静かに美しく生きている人がいるんだとあたりを見回してみる。
ページのほとんどは英国(イギリスとはいわない)のウエスト夫人とのことなのだけれど、この人がどんな国の人でも、どんな境遇の人でも、どんなに悪人でも、献身的に面倒を見て、裏切られてもまったく懲りずにまた渦中の栗を拾うような人物なのである。それも大げさにではなく、ごく自然に。
『理解はできないが受け容れる。ということを、観念上だけのものにしない、ということ』
「理解はできないが受け容れる」ということすら難しいのに、ウエスト夫人はすべて受け入れ、行動する。それがどんなに大きくすばらしいことか。世界の人々がこの気持ちを少しでも持つことができたら、本当の平和への光が見えてくるにちがいない。
紙の本対岸の彼女
2005/01/14 11:15
彼女たちの行く末
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小夜子は三十代の主婦。子供を遊ばせようと公園に行くが、ほかの主婦たちの派閥に入れずにうんざりしている。母親友達もできず、娘のあかりも同じ年の子と仲良くできない。苛立ちから逃れたい彼女は仕事をしようと思い、偶然にも同じ大学の同級生だった葵が経営する会社で働くことになる。
葵は独身で自由に見えたが、そんな葵も高校時代はクラスの派閥からはじきだされまいと必死だった。人の目を気にして、仲間ばすれのターゲットにならないように慎重に気を配っていた。唯一、信用できる友達のナナコはどこの派閥にも属さず、自由に動き回っていた。葵はナナコについていったら、どんなところでも行けそうな気がした。
一方、小夜子は葵といると理解のない夫や姑から解放されるような気になる。主婦である自分も何かできるんだという展望が見えてくる。
あかりに友達ができないのを気にしていたことも、「ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね」という葵の言葉によって救われる。
世の中に存在する多くの「彼女」たちは、仲間からはじき出されることを恐れ、誰かをけなして自分の位置を確立する。自分で行き先を決めることもなく、その中で漂っている。でも、ひとりがこわくないと思える何かを見つければ、そこから抜け出すことができるのだ。
角田光代はこの物語を通して「彼女」たちに伝えてくれている。いつかあなたたちも自分が選んだ場所に歩いていけるんだよ。こっちの岸に早くおいでよと。
2007/06/16 18:35
〈おれちん〉かく語りき
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
かつて、ニーチェはツァラトゥストラに「超人」を語らせた。著者は〈おれちん〉に「おれちん」を語らせる。
「おれさま」=自分が一番偉く、支配欲が強い人間
「ぼくちん」=依存症で自閉的な人間
〈おれちん〉=自己中心的で、しかも自閉的な人間
さらに、〈わたし〉という人間。〈わたし〉とは共同体の中に存在し、すでに崩壊している共同体がいまだ「個」よりも重要だと思っている人間である。
かつて、ツァラトゥストラは「神は死んだ」と言った。そして、〈おれちん〉は「〈わたし〉は死んだ」と言う。『〈わたし〉という古くさい一人称は、すでに死んだのだ。これからは〈おれちん〉の時代である!』
もっと個性をと言われ続け、〈おれちん〉は育ってきた。ナンバーワンより、オンリーワン。だから、共同体なんかはとるに足りないものだ。しかし、著者はナンバーワンですら〈おれちん〉だと言う。日本のナンバーワンには共同体を守ろうという品性はない。
〈おれちん〉ナンバーワンは小泉純ちんである。純ちんは「ココロのモンダイ」と言った。「人生イロイロ」とも言った。それを訳せば「それが何か?」だ。純ちんはアベちんにバトンタッチした。
ホリエモンも中田英も〈おれちん〉だ。〈わたし〉勢力に何かしてやることはない。〈おれちん〉さえよければ、それでいいのだ。
〈わたし〉勢力が既得権を振りかざして人間の振り分けをしようとしたとき、こっちはどう対処したらいいのだ。他者の評価から逃れるために、内に閉じこもり、傷つかぬよう〈おれちん〉になるしかないではないか。かくして、若者は自分の身を守るため、パソコンの前に座り、〈おれちん〉になる。
ツァラトゥストラは最後に歓喜を経験する。〈おれちん〉も然り。それでは、この先、〈おれちん〉はどう生きていったらいいのか。〈おれちん〉のまま進めばいいのか。それとも、〈わたし〉勢力に融合すればいいのか。
知らぬ。
2006/02/03 10:17
「現実」っていったい何ですか?
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
この人のエッセイを読んでいない人は損していると思う。世間というものから遠いところにいる人間のおかしさ、哀しさ。歌人である著者が文学的に描くダメぶり。今回も何度も笑ってしまった。
海外旅行も、独り暮らしも、髪型を変えることも、お年玉をあげることもしたことのない(人並みに経験したのは「就職」と「しゃぶしゃぶ」くらい)、『人生の経験値』が極端に低い著者が、日常にあるいろんなことを体験してみるというエッセイだ。
献血、占い、合コン、ぶどう狩り、ブライダルフェスタ、一日お父さんなど、著者の視点を通すとそこは異次元の世界に見えてくる。
その中でも健康ランド体験が一番おもしろかった。フロントで「健康わくわくランド」のテーマ曲を歌うと入場料割引という文字に『私の心のなかのわたせせいぞうが、ばたっと倒れるのがわかった。頑張れせいぞう、ハートカクテル』と思い、アロハムームー貸出無料に『私の心のなかの片岡義男が、がくっと膝をつくのがわかった。頑張れ義男、スローなブギにしてくれ』とくじけ、とうとうテーマ曲を歌うはめになって『私の心のなかの村上春樹が泣きっ面になるのがわかった。頑張れ春樹、風の歌を聴け』と真っ白な灰になる。
最後まで読み進めると、もしかしたら著者の白昼夢につきあわされたのではと不安になる。おそろしくでかい妄想ではないのかと。
「現実」っていったい何ですか?
2003/05/02 00:15
訳について語るべきか、物語について語るべきか、それが問題だ
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
初めて「ライ麦畑でつかまえて」を読んだのは、たしか20歳くらいのときだったと思う。そのころ小説というものはどこか教訓的な意図がないといけないと思い込んでいた私は、この本を読んで胸のすく思いをした。
16歳の少年のシニカルな心の内を「イカした」話し言葉で描いたこの小説は、教訓めいたものを拒否し、その愚かしさをただ純粋に指摘している。それがとても新鮮だった。そして、何か生産的なことばかりしなくてもいいと頭の中のスイッチを切り替えられたのも、この小説がきっかけだったかもしれない。
そんな作品を春樹さんが訳し直すという。私にとってはベストマッチというものだ。
改めて旧訳を読み返してみると、あのころあんなに新鮮に感じた文章が、今ではもう16歳の少年の言葉としてはしっくりこなくなっている。これからも読み継がれていくであろうこの作品を、新たに翻訳するというのは必然だったかもしれない。
そして春樹訳についてなのだが、今回あえてそれを意識せずに素直に読んでみようと思った。読み進めるうちに、もう誰の訳かなんてことは関係なしにホールデンワールドにはまっていってしまったのだ。
ホールデンの目はある種の真実を写し出している。この世の中がいかにインチキに満ちているかということだ。そのインチキだらけの世の中を、非力な16歳はどうやって渡っていけばいいのだろう。アントリーニ先生にいわれた、『自分の知力のサイズを知る』ということを考えるべきなのだろうか(そのアントリーニ先生だってインチキ野郎なんだけど)。
そして、先生からはこういう一文も送られる。
『未成熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ』
20歳のころ、大人になんかなりたくないと思っていた。今ではそんなセリフは口にすることはできない。だけど心のどこか片隅で、大人になんかなりたくないという思いは残っている。そして願わくば、春樹さんの心の中にもそんな思いがあってほしい。そうあることで、私にとってこの本の価値は倍増する。
紙の本人生の旅をゆく 1
2006/10/27 22:49
思い出だけが人生だ!
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
「私たちは、死ぬときに、お金も家も車も恋人も家族も、何も持っていけない。(略)持って行けるのは、もう持ちきれないほどにたくさんになっている思い出だけだ。(略)そしてよき思い出をたくさん創ることだけが、人生でできることなのではないか、そう思う。」
ばななって、どうしてこんなに日常の些細な出来事から意味を見いだせるのだろう。そのアンテナと感受性にシンクロして、まるで自分が体験したことのようにかけがえのないことに思えてくる。
十二歳で死んでしまった犬の話からは、もう号泣。大切な人たちとのお別れに、号泣。
思い出とは、自分が生きてきた軌跡そのものだ。いいことも悪いことも、何にもなかった人生よりはいい。やりたいことをやりつくす、そこでできた思い出を胸に悔いなく死にたい。
思い出だけが人生だ!
紙の本ブラフマンの埋葬
2004/05/28 22:44
かわいくて、愛しいブラフマン
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
芸術家が集まる<創作の家>の管理人である「僕」は、森で茶色いラグビーボールのような生き物を拾う。
水掻きと、肉球と、尻尾を持ったその生き物に「ブラフマン」と名付け、管理人の仕事をしながら世話をする。
ときに机をかじられたり、トイレ用の段ボールをめちゃくちゃにされながらも、まさに寝食をともにしての信頼関係ははとてもうらやましく思う。
私もブラフマンと一緒に暮らしてみたい。目を見開いて首をかしける姿を、泉を自由自在に泳ぐ姿を、ひまわりの種をカリカリと食べる姿を見ていたい。かわいくて、愛しいブラフマン。
小川洋子の体温の低い文章が、とくとくとくと流れる血液のように、静かに体中をめぐる。
そして、いつしか自分がブラフマンと一緒にいるかのような気持ちになり、幸福感と喪失感で胸が一杯になる。