- 販売開始日: 2017/07/01
- 出版社: 河出書房新社
- ISBN:978-4-309-01758-7
絶叫師タコグルメと百人の「普通」の男
著者 笙野頼子
美少女vsロリヲタ最終抗争!?悪徳栄える乱世の未来に、笙野頼子がついに放つ最狂の超哲学小説。アニヲタ必携!フェミ必携!病的心性日本を告発する、新たなる文学の金字塔がここに...
絶叫師タコグルメと百人の「普通」の男
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商品説明
美少女vsロリヲタ最終抗争!?悪徳栄える乱世の未来に、笙野頼子がついに放つ最狂の超哲学小説。アニヲタ必携!フェミ必携!病的心性日本を告発する、新たなる文学の金字塔がここに。
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傷つきたくない男たちの楽園は誰の地獄か
2006/05/07 18:10
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る
一言でいえば、これは、「だいにっほん、おんたこめいわく史」(群像一月号掲載)の前哨戦だ。
「だいにっほん、おんたこめいわく史」(以下「めいわく史」)で全面展開される、オタク男たちが支配するディストピア国家が、ここでは八百木千本の視点から観察され、批判され、ぶった切りにされている。近未来小説というよりは、現代日本の知識人批判とでも言うものに近く、同時に彼ら自身の権威主義や暴力性を隠蔽しながらグロテスクな少女趣味に耽溺する心性の構造を剔抉して、現代日本の無責任体制を撃つ、という構図。
これはそのまま「めいわく史」に引き継がれているテーマで、「おんたこ」という言葉こそ使われていないが、ここで批判の俎上に上っている男たちの基本的な心性の構造は同じものだ。さらに、語り手八百木千本は、「説教師カニバットと百人の危ない美女」の語り手でもあり、その彼女が今作では「だいにっほん」から「ウラミズモ」に移送されることになる。その意味で、「カニバット」「水晶内制度」と「めいわく史」とを相互につなぎ合わせる蝶番のような位置にある作品でもある。
今作で問題にされているのは、たとえば以下のようなことだ。
「小さい共同体の中に埋没してしまい、自分の自我と大きい世界を対決させる事の出来ない「祈りなき人々」これが私の見つけた次の新しい素材、現代日本で頂点を究めた、日本人の病的心性でした」
欲望や所有という行為の中で生まれたはずの「私」というか自我を、そんなものは存在しないと主張する事で、そこから生まれるはずの責任や苦悩を、なかったことにする、それが「知感野労」、「おんたこ」だということだろう。さらに、その責任を共同体全体がなかったことにすることで、誰も責任をとらなくて良いという空気、状況、構造が存在しているという指摘だと思われる。自我が生まれ、内面が生まれ、共同体の神祇祭祀から独立した個人となったはずなのに、そこから生じる苦悩をなかったことにしたくて、共同体に再度潜り込もうとするグロテスクさを描こうとしている。
こういうと面倒くさいけれど、今作で批判されている「普通」の男というのを一言で言うと、「傷つきたくない男」のことだ。傷つきたくないというのは、この場合ダブルスタンダードの自分だけは傷つきたくないという意味で、まわりの人間が自分のために傷つくのはかまわない、という人間のことを指している。笙野頼子が「知感野労」や「おんたこ」という名で指し示そうとしたのは、この性格類型そのもので、知識人だろうがオタクだろうが差異はない。
その意味で、今作で批判の対象にされているものを、ある二人の人物に代表させるとすると、それは大塚英志と本田透だ。具体的にどういう事かははまあ実際に読んでみて欲しい。
笙野は近作で「傷つきたくない男」たちが権力と野合したときの脅威を書き続けているのだろう。その脅威とは、男が決して傷つかない世界を作り出したとしたらどうなるか、という実体験にして思考実験であり、「私」を隠蔽しようとする構造の歴史的経緯の探索でもある。
この試みがどこまで行くのかはまだ未知数だけれど、三部作になると言う「めいわく史」の第一部は「タコグルメ」をさらに進化させていて、宗教、歴史の問題に踏み込んでいっている。「金毘羅」を書いてしまって、これからいったい何を書くのか、と思われた笙野頼子の、次の段階のとっかかりが今作だ。
「壁の中」から