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振り返ってみれば、KiKi がこのブログの中で何度も言及している
正義とは立場が変われば変わるもの
という考え方の原点にあったのはこの物語だったように思います。 もちろんこの物語を読んだ初期の頃(要するにお子ちゃま時代の KiKi)はまだそこまで確たる想いは抱いていなかったんですけど、この物語の白眉とでも言うべきあのブルータスとアントニーの演説の場面にはそれが色濃く出ていると思います。
と同時に、一般大衆というものは「英雄」や「強いリーダー」を求めがちであり、盲目的にある個人や思想を崇拝しがちで、それに相容れない者との軋轢はいつの世にもありうるものだなぁ・・・・と。 「英雄」・「強いリーダー」に相容れない者の背景にあるのは「嫉妬」だったり「信念」だったりするわけだけど、それを大衆にアピールする際にまこと便利に使われるのが「正義」という一見もっともそうなその実得体の知れない概念であるというのは人間というしょうもない生き物が先天的に持っている「他力本願思考」の証左なのかもしれません。
KiKi はね、初めてこの物語(というよりあの2名の演説シーン)を読んだとき、あまりにも変わり身の早い民衆の姿に憤りに近いものを感じたんです。 と同時に恐怖心も。 でもね、もしも自分があの場所にいたとして、「大衆と一緒にならずに自分なりの判断ができる自信を持っているか?」と問われれば全く心許ないことにも気が付きました。 1つには煽動された大衆の力に対する恐怖もあるけれど、それ以前の問題として「自分なりの判断を下す価値観」みたいなものを自分が未だに持っていないことを知っていたからです。 何と言っても小学生の頃のお話ですから・・・・・。
そしてその頃思ったのです。 そんな「自分なりの判断を下す価値観」を持つには自分はまだ知らないことが多すぎる・・・・・と。 大人になるまでに多くを学んでそんな「価値観」、その言葉が大仰に過ぎるなら「価値観の軸になる羅針盤」を持てるようになろう・・・・・と。
そして今、4年制の大学も卒業し、社会人としての経験もみっちり積んで、「部長」と呼ばれる経験もそこそこ積んで、世間的には「いっちょまえの大人」になったわけですが、今回の読了後に「もしもあの場面で自分があの演説を聞いていたら、どうしただろう??」を考えた際、あの初読の子供時代よりは自分のスタンスは明確ではあるものの、あっちへこっちへと流される大衆の真っ只中にあって、結局は「何もできないだろう自分」を再認識させられました。
こういう物語を読んで、評論家の如くに「無知・無定見の群集」を批難したり恐ろしく感じたりするのは人間として普通の感情だと思います。 又、「衆愚政治」という言葉を思い起こすこともあるかもしれません。 でも、何よりも大切なのは「自分がもしもこの場にいたらどうする?」を問い続けることなのかもしれません。
それにしても・・・・・
古代世界(特に古代ローマ)での一般教養の核に当たる部分に「修辞学」という学問分野があったことが思い起こされます。 ブルータスもアントニーもその学問分野をみっちり学んだ俊才だったんだろうなぁ・・・・と。 だとすると、シーザー暗殺前夜にして尚、逡巡するブルータスに勝ち目は最初からないわけで、自分の論拠の弱さに最後まで気が付かなかったブルータスは悲劇的な人物だなぁ・・・・・と。
巻末にある「解題」の中の以下の言葉が KiKi には重苦しく感じられます。
彼(ブルータス)の演説の論旨は要するに、シーザー1人が生きて、我々が皆奴隷として死ぬか、それともシーザー1人が死んで、すべての者が自由人として生きるか、という二者択一に立脚している。 (中略) 問題をこのように単純化し、感情的な二者択一の形に還元したのは、もともとブルータス自身が、みずからの内面の声に対して弁明する必要があったことの反映であって、その弁明の方式を、今、そのまま群集の説得に用いているのだ。
ブルータスの心の中の逡巡の問題もさることながら、KiKi は思うのです。 もちろん問題解決の1つのメソッドとして「単純化 → 二者択一」という方法はとても有効であることを否定するものではないけれど、そうであるだけにこの「単純化」がどのように行われたのか、「単純化」の仕方に果たして問題はないのかには注意を払う必要がある・・・・・・と。 現代社会にもこのテの「問題の単純化 → 二者択一」という弁法の例は掃いて捨てるほどあると思うんです。 そんな局面でその命題に安易に飛びつくのがいかに危険なことかをこの物語は語っている部分もあると感じます。
KiKi があの「つぶやき(ツイート)」という行為に感じるある種の胡散臭さはまさにここにあります。 ツイッターというツール自体は使い方次第では本当に有用だと思うけれど、KiKi 自身はそのツールを使いこなせるほどに賢明ではないと感じるのはだからこそ・・・・なのかもしれません。 まあ、ブログもそういう意味では大差ない・・・・かもしれないのですけどね(苦笑)
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ブルータス、おまえもか あまりにも有名なセリフですねーー。シェイクスピアってあまりにも有名だから、タイトルや大まかな内容は知ってはいても、実際にじっくり腰を据えて読んだことってなかったんですが・・・。 おもしろいっ!!今更ながら、シェイクスピアの素晴らしさを痛感しました(笑) なんとも・・・読んでるだけで胸が締め付けられるというか、言葉では表現できない感情が胸に溢れてきますね。 あと、新訳ってところがいい。昔買ったシェイクスピアの本を読み返していたんですが、これは訳が古めなのもさることながら、字が・・・。字が細かく、行間狭く、字体も読みにくい。だから読むのに二の足を踏んでしまうんです。 でもこれは、字も大きめだし、行間もいい感じにあいてて、字体もいい。これなら読む気が起こります。
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「ブルータス、お前もか」の有名な話。
しかしその有名なセリフは話の中盤くらいでした。思ったより短い。
群衆のころころ変わる同調具合が、昔からこういうものなのだなぁ…とうすら寒い。
ブルータスが高潔な人のまま、というのが逆にやるせない。友人に裏切られなかった人生、というのはシーザーとの対比のような。
しかしシーザーは結局人望があったのかなかったのか、の判断はできないね…
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「もう終っちゃうんだ」というのが読後の最初の感想。
これ以上話は続かないとは思うけど。
いつの世も世論は恐いってことですかね。
渡る世間は鬼ばかり。
月並みな感想だけど、今の世の中も似たり寄ったりだなと。
「お前もか、ブルータス!」
いいね。大声で言ってみたいね。
解題もいいすね。どういう時期に、どういう背景があってこの戯曲が書かれたのかがよく分かりますね。
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「ブルータス、お前もか」以外はなにも知らずに読みましたが、それなりに面白かったです。
てっきりシーザーが死んで終わりだと思っていたのですが、違うんですねw ……ってくらい物を知らない人間でも読める本でした。
ただ、登場人物が多くて最初は混乱しましたが(;・∀・)
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ローマ人の物語#13からの流れで読んだ。想像以上におもしろい(威光のある作品なだけにあたりまえかもしれないけど)。訳(やく)がいいのか分からないが、臨場感あふれる台詞まわしに場面が手に取るように見えて、アントニーの演説のシーンや、追討の合戦のシーンがとてもリアルに思えて、胸が震えた。
しかしながらあとがきを読むと、ブルータスの演者っぷりや、前半のシーザーの演説→病気で卒倒→回復後のExcuseが中盤のブルータスの演説→アントニーの演説とつながっているとか、色々と「ほぉ〜そうなんだ〜」と思えるところが多々あり、さすが歴史のある文学だなと思い、自分がまだまだの読者だなと再認識した。
これを機会にいろんなシェイクスピアを読んでみようと思った。できれば原文も...
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読みやすかった。引き込まれた。やっぱりすごい!!!
There is a tide in the affairs of men.
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最初にこの本を手にとったときは、
てっきり、シーザーの暗殺で
すべてが終わると思っていました。
だけれども、ある意味いい意味で
裏切られることとなりましたね。
メインとしては、シーザーの信頼していた
ブルータスです。
彼は彼の怠惰さに
疑問を覚え、なすがままにシーザー暗殺へと
加担していくこととなります。
しかし、その後に待っていたのは
彼らの意図する事柄ではなかった、ということ。
そして、人を束ねる存在は
苦心をするものの、
それを享受する側の心は変わりやすい、
ということ。
それがアントニー側の人間の発言のくだり。
人とは何なのでしょうね。
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「ブルータス、お前もか」
情景描写がそこまで多くなく、登場人物の心情にスポットを当てていてよみやすい。
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有名な「ブルータス、お前もか」が書かれていて、世界史に対して興味が湧きました。
■歴史は繰り返す■
聴衆の恣意性、政治家判断基準の不確定性がカエサルを殺す悲劇となったのかもしれない。結果、優秀な皇帝がいなくなり、ローマ人にとっての悲劇をも呼んだのかもしれない。もちろん、このローマ人の恣意性というファクトだけが、今の世界史教科書を作っているというわけではないものの、それ(聴衆の恣意性、政治家判断基準の不確定性)がいかに世界を変えうるかという点で興味深かった。
日本人の政治的無関心、政治家のばら撒きをはじめとするパフォーマンス政治が連想された。"Gulliver's Travels"のLilliput編で、小人がロープの上をジャンプし一番高く飛んだ者が重用されるといった場面でSwiftが英国のパフォーマンス政治を風刺しているところからも、このような政治の在り方は歴史上繰り返してきたことなのかもしれない。今後も歴史は繰り返されるのだろうか。
衆愚政治となっている部分が多分にあることも否めないが、私たちにできることは何だろうか?政治ネタを「重い話」や「この場ではタブー」と一蹴することだろうか?
この史劇は「歴史は繰り返す」を教えてくれる格好の教科書だと認識できた。
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タイトルはシーザーですが、内容は「ブルータス、お前もか」で有名なブルータスを中心としたもの。
登場する政治家たちの誰もが、市民へのウケを意識しつつ、虚虚実実なやり取りをする。それをセリフだけで表現する戯曲という形式がまたいいですね。以前読んだ、同じシェークスピアの「リア王」あたりより、私はこちらのほうが面白かったです。
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群衆はおそろしい。その中で権力や名誉を求めることは悲劇になるにせよ喜劇になるにせよ、人をまともな感覚ではいられなくする。古代ローマの有名な話をもとに、その様をシンプルに描いている。タイトルはシーザーだが、主役はブルータス。
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学生の頃、読んでもストラッドフォードで芝居をみても全くピンとこなかった。今回再読して、民衆の無定見や政治のあり様などを漸く面白いと思えるようになった。
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ローマ人の物語を読み終え、カエサルに興味を持ち、読んでみた。
予想以上に面白かった。
古典も読んで見るものだ、次は、アントニーとクレオパトラでも読むか
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古典だからなのか?脚本形式だからなのか?
セリフ一つ一つが長く、すごく修飾語が多い、コッテコテの文ばっかり。
すごい新鮮でした。
「近頃の君はよそよそしい態度でどうしたのか心配だよ」
「よそよそしくしたつもりはないんだ。悩んでいて君に思いやりが足りなかったように感じていたならごめん。」
みたいな内容を1ページ近く仰々しいセリフにしてやりとりしてるっていう…。
このお話読んで、嫉妬って恐ろしい…!
って思いました。
領地を拡大して国のトップに君臨するシーザーに嫉妬した部下たちが、シーザー暗殺をもくろむ。
シーザーが昔病気になった事を引っ張り出してきて、国のトップが病気なんて情けない。あいつはその器じゃねえ。
というような事を言ってるのを読んだとき、めちゃくちゃ言ってんなあ。
そんな風に人をしてしまう嫉妬って…と思いました。
シーザーの信頼していたブルータスもが暗殺に加わるのですが、
ブルータスは他の者たちと少し違って、この先シーザーがトップでいると、危険かも…?
という国の行く末を案じる考えがあっての事でした。
「ブルータス、お前もか。」
は、読んだことなくても聞いたことあるセリフだと思うのですが、
このお話のクライマックスはそこではなかったのがちょっと意外でした。
シーザーを討ち取ったからってうまく行くかって言ったらそんなことはなかったんですね。
そして群衆のバカさが際だつ。
言われることを鵜呑みにして信じてしまう。
これは読んでいて自分も気をつけねばと思いました。
たまにはこういうのも読んでみるもんだなー