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紙の本
知の分類史 常識としての博物学 (中公新書ラクレ)
著者 久我 勝利 (著)
分けるとは、すなわち知ること。では、古来、人々はどのように森羅万象を分類してきたのか? 有史以来、世界中で行われてきた分類の営みを辿りつつ、知の本質を問い直す、異色の世界...
知の分類史 常識としての博物学 (中公新書ラクレ)
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商品説明
分けるとは、すなわち知ること。では、古来、人々はどのように森羅万象を分類してきたのか? 有史以来、世界中で行われてきた分類の営みを辿りつつ、知の本質を問い直す、異色の世界史。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
久我 勝利
- 略歴
- 〈久我勝利〉1955年神奈川県生まれ。専修大学文学部卒業。科学・情報を中心に幅広いテーマで執筆活動を行う。テレビの科学番組の企画・リサーチを担当。著書に「そこが知りたい!遺伝子とDNA」など。
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紙の本
「分ける」=「分かる」
2007/02/17 00:03
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:濱本 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書では、帯に「分けるとは、知ることだ」と大上段に構える。「分かる」の語源をご存知であろうか?「分ける」→「分かる」即ち、「分ける」事が「分かる」事なのである。これを理解していない輩が多い。私の会社でもそうである。偉い人ほど、「分ける」をしたがらない。即ち、複雑な事象を複雑なまま処置をしようとして、一向に進展しないというジレンマに陥るのである。複雑な事象を細分化して、単純化して、問題解決を図ろうとすると、決まって、「そんな単純な問題じゃ無い」という言葉が返って来る。問題の本質を意図的かどうかは分からないが、分かろう(分けよう)としないのである。
本書は、古今東西の分類術について、詳細している。博物学のそれ、西洋の百科事典、東洋の百科事典、図書分類術と詳説している。これを読み終えると、人類の「知」の歴史は、「分類」の歴史のような気がする。分類という大きな命題に対して、学問として確立していないのが、不思議だと本書で言っているが、全くその通りだと思う。
私の経験から言っても、分類の上手いのは仕事が出来る事だと言える。私は、若い頃、分類が下手で、書類を捜すのに多大な無駄な時間を費やしていた。今は、全く違う。今では、適切に分類が出来ており、必要な書類は、一発で見つけられる。昔は、仕事が出来なかったが、今は違うという一つの証拠である。
本書で、トマス・アクィナスの「神学大全」という書物を知った。キリスト教神学の集大成のような書物だが、是非、読んでみたいと思った次第である。
紙の本
人類の全体知の変容
2007/08/25 20:44
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:萬寿生 - この投稿者のレビュー一覧を見る
博物学、百科事典、類書、図書分類、に関する、古今東西の本と著者の概要紹介である。各書の分類項目を見ると、その本が作られた時代の人々の人類の知の全体の捉え方が解るという方針で、各書がどのような分類項目のもとで配列されていたかを紹介している。
このように、地域別、時代順に紹介されると、おのずと人類の全体知の変容が明かになる。新書判での紹介であるから、個々についてはほんの骨格的なものでありものたりないが、入門書としては適切であろう。興味が湧けば、さらに紹介された本の一部でも断片的でも読んでみれば良い。