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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2007.8
- 出版社: 双葉社
- サイズ:20cm/205p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-575-23589-0
読割 50
紙の本
猫鳴り
著者 沼田 まほかる (著)
宿した命を喪った夫婦。闇にとらわれた少年。愛猫の最期を見守る老人。ままならぬ人生の途に「奇跡」は訪れた。濃密な文体で、人間の心の襞に分け入ってゆく傑作長編。【「BOOK」...
猫鳴り
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商品説明
宿した命を喪った夫婦。闇にとらわれた少年。愛猫の最期を見守る老人。ままならぬ人生の途に「奇跡」は訪れた。濃密な文体で、人間の心の襞に分け入ってゆく傑作長編。【「BOOK」データベースの商品解説】
ままならぬ人生の途に「奇跡」は訪れた−。宿した命を喪った夫婦。闇にとらわれた少年。愛猫の最期を見守る老人。濃密な文体で、人間の心の襞に分け入ってゆく長編小説。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
沼田 まほかる
- 略歴
- 〈沼田まほかる〉1948年大阪府生まれ。「九月が永遠に続けば」で第5回ホラーサスペンス大賞を受賞しデビュー。他の著書に「彼女がその名を知らない鳥たち」がある。
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電子書籍
「あらすじ」を読んだだけでは、この猫の物語は読んだことにならない
2018/06/23 05:39
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あられ - この投稿者のレビュー一覧を見る
生まれてこの方ずっと猫を飼っている友人が言う。「猫はストレスも悲しみも、全部吸い取ってくれる」――読後、そのことを思い出した。
3つの独立した物語から成る本書を一貫した一篇としているのは、第1章で夫婦のもとにやってきた猫。「モン」という名前だが、この名づけも一筋縄ではいかないし、そもそもこの夫婦のもとでこの猫が暮らすようになった経緯もなかなか……
この第一部の途方もない不快感(語られていることも不快ならば、語り口も30年前の昼ドラのようにベタで不快である)をやり過ごしたところに待っている第二部は、少年の「闇」というこれまたベタな主題と、あっと驚くような(ある意味でベタな)ことをのうのうとやってのける父親の物語。少年と父親と少年の同級生の女子(この子が第一部からのつながり)の口から出てくる言葉がリアルで、少年の上滑りしながらも高速な思考もリアル。猫の「モン」は、一見したところでは第一部とは断絶しているこの物語にも、しっかり存在している。
"空気が揺れて、行雄と有山の間を何かが音もなくかすめ過ぎていった。猫だ。有山のあの猫だ。行雄はポカンと口を開けたまま、猫の動きに見とれた。大きな図体の充実した重みが、跳躍の軽やかさをひっそう引き立てる。"
そしてすべてが収束していくのが第三部。さらに歳月が流れ、第一部の夫婦のうち妻は既に他界しており、夫は退職し、猫の「モン」と暮らしている。そこで流れていく最後の時間……猫は人間の指先から思いを吸い取って旅立ってゆく。
――描写のひとつひとつが研ぎ澄まされていて、「あらすじ」や「レビュー」を読んだだけではこの本は読んだことにならない、そういう小説です。ぜひ、最初からページをめくって、「モン」のこの世での時間をたどってみてください。映画やドラマではなく、読書でなければできない体験ができる本でした。
紙の本
平凡な死に最大の愛を。
2007/09/24 20:40
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:空蝉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
我が家にはペットが絶えたことがなく、殊に猫は常にいる。だから友であり家族であり共生者である猫という存在がどれほどのものなのか人よりはわかっているつもりだ。だから今は亡き彼女(猫)を思って本書に涙した。
本書に登場する猫「モン」はやっと授かった子供を死産してしまった夫婦の間にある日ひょっこり現れて、捨てても捨てても戻って来、とうとういついてしまった…という猫である。モンは大きく立派な毛並みの、体躯のいい番長のようなオス猫となり、その友禅とした最期は老父に看取られていく。
本書は3章からなり、第一章ではその飼われるまでの経緯と飼い主たる「命を失った」の夫婦、特に妻のどこか壊れたような心象が描かれる。過去を悔やみ、失ったものに引き摺られ、今を生きることすらおぼつかない脆弱な妻。彼女がモンと出会いモンを子供として認め「生き」始めるまでの物語だ。
続いて2章はまったく関係の無い、とある不登校少年と猫の話。無邪気で悩みの無い子供を嫌悪し、やりようの無い怒りを抱え「ブラックホール」に魅入られてしまういわゆる青春の悩み・・・J・ディーンの「理由なき反抗」のような話だ。そんな少年が公園で子供の殺傷未遂を目撃され警察に補導された。そして迎えに来た父が信じられないほどの勇姿?を演じ警察を丸め込み、彼を連れ帰ることに成功・・・と、成功も何も無いのだが、それが彼が初めて「父親」を知った瞬間であり、「ブラックホール」からの帰還であった。反抗期からの決別、少なくとも一つの区切り。そんなワンシーンだ。
そして第三章。妻に先立たれた老父と老猫との爺コンビが送る余生が描かれるのだが・・・モンの老衰にあわせて切迫してくるのは飼い主である老父の視点で描かれているからだろう。仮にこれがモンの視点で描かれていたなら「自然」である死に向かってゆるゆると流れる時間をゆったりと満喫したきわめて自然なペースの物語になっていたはずだ。老人は衰弱するモンに延命措置を施すべきかそのままにするかを何度も迷うが、モンの好きなように生かすことを決める。そしてそれでも又迷う。これぞ家族を看取る者の割り切れない感情ではないか。
私達はドラマや小説の中で何度と無くこうした場面を見ている。延命を中断する場合、残された者が慰められるコトバは決まって「あの人もこれを望んでいたよ」だ。 しかし。 彼に降りてきた言葉は「自然」である。
人間以外の動物はきっとそのままで死を自然に受け入れる。生の延長に死があり、死は自然なこととして訪れる・・・いや、違う。彼らはただ自然に生の道を歩いているのだ。気がついたら「死」を踏んでいた、そんなものかもしれない。
老父が老衰する猫を前にうろたえるのは置いていかれる事の寂しさであり、同じく近づいている「死」への恐怖でもある。しかし彼は「自然」という言葉に何度と無く納得し、目の前でその自然の死の瞬間が訪れるのを見届け、暖かくそれを見守った。
これほど克明にしかし平凡に一匹の猫と一人の老人との交流を描いた本を私は知らない。今、私の目には数年前に自然死を迎えたあの猫の安らかな顔が浮かんでいる。彼女もまた、自然な死を踏み越えたのだ。