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近代日本の右翼思想 (講談社選書メチエ)
著者 片山 杜秀 (著)
北一輝から簑田胸喜、西田幾多郎から長谷川如是閑まで。大正・昭和前期の思想家たちを巻き込み、総無責任化、無思想化へ向かう近代日本思想極北への歩みを描く。【「TRC MARC...
近代日本の右翼思想 (講談社選書メチエ)
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商品説明
北一輝から簑田胸喜、西田幾多郎から長谷川如是閑まで。大正・昭和前期の思想家たちを巻き込み、総無責任化、無思想化へ向かう近代日本思想極北への歩みを描く。【「TRC MARC」の商品解説】
躓きの石としての天皇 超克されざる「近代」
――近代日本のパラドクス
革命への赤き心は、なにゆえ脱臼され、無限の現状肯定へと転化されなければならないのか。躓きの石としての天皇、超克されざる「近代」――北一輝から蓑田胸喜まで、西田幾多郎から長谷川如是閑まで、大正・昭和前期の思想家たちを巻き込み、総無責任化、無思想化へと雪崩を打って向かってゆく、近代日本思想極北への歩みを描く。
[本書の内容]
●「超―国家主義」と「超国家―主義」
●万世一系と「永遠の今」
●動と静の逆ユートピア
●「口舌の徒」安岡正篤
●西田幾多郎の「慰安の途」
●アンポンタン・ポカン君の思想
●現人神【商品解説】
目次
- 第1章 右翼と革命
- ――世の中を変えようとする、だがうまくゆかない
- 第2章 右翼と教養主義
- ――どうせうまく変えられないならば、自分で変えようとは
- 思わないようにする
- 第3章 右翼と時間
- ――変えることを諦めれば、現在のあるがままを受け入れたくなってくる
- 第4章 右翼と身体
- ――すべてを受け入れて頭で考えることがなくなれば、からだだけが残る
著者紹介
片山 杜秀
- 略歴
- 〈片山杜秀〉1963年生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。近代政治思想史、政治文化論を専攻し、音楽批評等をてがける。共著に「日本主義的教養の時代」など。
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せめてこの本で,日本の右翼に関してだけでももそっとよく知っておこうかな,と
2009/03/10 06:42
12人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SnakeHole - この投稿者のレビュー一覧を見る
実を言えば永らく,左翼思想に比べると右翼思想というものをちゃんと理解してないような気がしてた。あ,もちろん左翼の方のヒトに言わせれば「オマエは左翼思想だって全然分かってない」と言われちゃうのかも知れないわけだけど,現在左翼のあらかた(例外もあるのかも知れん)がマルクス路線であるのに対して,右翼って違うぢゃん。
日本の右翼は天皇陛下バンザイだしアメリカの右翼はキリスト教が絶対だこの野郎,なわけでしょ。イスラム原理主義も左右どっちだと言ったら右っぽくて,つまりは昨今のアメリカとイランの対立なんて「右翼の内ゲバ」みたいに感じられる。そこでせめてこの本で,日本の右翼に関してだけでももそっとよく知っておこうかな,と。
著者は橋川文三(って誰だ?と訊かないこと)が1960年代に編んだアンソロジー「超国家主義」を出発点とし,ここに収録されている右翼思想家を時代や思想,その他あれこれの系譜で並べ,近代日本における右翼思想の潮流というものを概括していく。あとがきにその「まとめ」があって,それが実にとってもよくまとまっているので引用しておこう。
近代日本の右翼ってのは「今の日本は気に入らないから変えてしまいたいと思い,正しく変える力は天皇に代表される日本の伝統にあると思い,その天皇は今まさにこの国に現前しているのだからじつはすでに立派な美しい国ではないかと思い,それなら変えるような余計なことは考えないほうがいいのではないかと思い,考えないなら脳は要らないから見てくれだけ美しくしようと思い,それで様を美しくしても死ぬときは死ぬのだと思い,それならば美しい様の国を守るために潔く死のうと思」ったあげくに読み返しても分かるようになにがなんだか分からなくなってにっちもさっちも行かなくなってしまったんぢゃないか,と。個々の人々の思想の深淵はともかくとして,結局にっちもさっちも行かなくなったことはオレにも実によく理解できました。
あ,最後にこれは書いとく。前にもどっかで書いたような気がするが,オレは右翼にも左翼にもさしてシンパシーを感じてない。つうか,世の中のヒトってのは「右翼とか右寄りのヒト」と「左翼とか左寄りのヒト」の2種類に分けて考えるよりも,「右だの左だの自分がどーであるかはっきりさせ,ついでに他人にもそれへの賛同を強いずにはおれないハタ迷惑なヒト」と「そういうことをしないヒト」の2種類に分けて考える方が正解ぢゃないのか。つうか,そういうモノサシを当てると,右翼のヒトと左翼のヒトはまるで一卵性双生児のようにソックリでしょ? 結局にっちもさっちもいかなくなっちゃうところまで,さ。
紙の本
目次に全てが集約されている
2007/10/02 14:06
11人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:FAT - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書については、まず目次を見て欲しいと思う。著者の「近代日本における右翼」の見通し、パースペクティブがここに集約されている。
第1章 右翼と革命
世の中を変えてみようとする、だがうまくゆかない
第2章 右翼と教養主義
どうせうまく変えられないならば、自分で変えようと思わないようにする
第3章 右翼と時間
変えることを諦めれば、現在のあるがままを受け入れたくなってくる
第4章 右翼と身体
すべてを受け入れ頭で考えることがなくなれば、からだだけが残る
その後、まず本書の「まえがき」と「あとがき」を読んで欲しい。
「教義」が体系化され、「教典」を持っている左翼思想の一部としてのマルクス主義に比較し、右翼思想というのは、体系的な思想として見えてこないきらいがある。いわば、右翼には、行動主義と情念はあっても、思想はないということだ。近代日本の右翼思想の源流に日本流の陽明学を措定した小島毅氏の「近代日本の陽明学」にも、同じよう視点があるようにも見受けられる。
しかし、本書の視点からは、少なくとも近代日本における右翼思想は、どうしても思想として一本貫くことのできない宿命のようなものがあり、その結果、鵺のような存在になってしまったのだということがよく分かる。この視点からすれば、右翼思想を思想として存在感のあるものとして、改めて批判的に見ることができるよになる気がする。
なお、本書の「まえがき」における、左翼、保守、右翼の内包の整理は、大鉈過ぎるとも言えるが、これ位の整理からはじめて、更なる精緻化を議論するのが良いと思う。この点も、本書を繙いた成果であった。