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クラッシュ (創元SF文庫)
六月の夕暮れに起きた交通事故の結果、女医の目の前でその夫を死なせたバラードは、その後、車の衝突と性交の結びつきに異様に固執する人物、ヴォーンにつきまとわれる。理想通りにデ...
クラッシュ (創元SF文庫)
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商品説明
六月の夕暮れに起きた交通事故の結果、女医の目の前でその夫を死なせたバラードは、その後、車の衝突と性交の結びつきに異様に固執する人物、ヴォーンにつきまとわれる。理想通りにデザインされた完璧な死のために、夜毎リハーサルを繰り返す男が夢想する、テクノロジーを媒介にした人体損壊とセックスの悪夢的幾何学を描く。バラードの最高傑作との誉れも高い問題作、初文庫化。【「BOOK」データベースの商品解説】
6月の夕暮れに起きた交通事故の結果、女医の目の前でその夫を死なせたバラードは、その後、車の衝突と性交の結びつきに異様に固執する人物、ヴォーンにつきまとわれる。理想通りにデザインされた完璧な死のために、夜毎リハーサルを繰り返す男が夢想する、テクノロジーを媒介にした人体損壊とセックスの悪夢的幾何学を描く。バラードの最高傑作との誉れも高い問題作、初文庫化。訳者あとがき=柳下毅一郎【本の内容】
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だれが本書を正しく読み解き、評価できるのだろうか。万人向けではない。チャレンジ精神旺盛な方向けの本である
2008/06/12 21:22
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:JOEL - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、『太陽の帝国』の映画化によって広く知られるようになったJ・G・バラードの代表作のひとつである。今や、イギリスの現代文学史を理解するのに避けて通れない作家であるバラード。しかし、通俗的な見方で近寄る読者なら、軽く跳ね飛ばしてしまうおそろしい力量を持つ。
バラードは60年代のSFシーンに、ニューウェーブというジャンルをひっさげて現れた。それまでのSFが外的宇宙に関心を向けていたのに対して、内的宇宙へのまなざしを強調し、SFに新たな次元を切り開いた。『結晶世界』をはじめとする特異な世界観は、熱狂的なファンを生みだした。
バラードは、そこにとどまらず、実験的な作品を書き上げた後、70年代に、テクノロジー3部作といわれる作品群をものにした。本書は、このテクノロジー3部作の中心に位置する。
人間は自然界から遠い存在となったが、身の回りに生み出された人工的空間にすっかり適応したとする。その解釈を文学的に表現して見せたのが、この3部作である。
この3作品は、各々個性が強く、実はひとくくりにするのがむずかしい。ただ、現代社会を舞台に、人間とテクノロジーの関係性を描いて見せた1点のみにおいて、まとめて理解される。
本書は、自動車という現代を象徴する存在と人間の抜き差しならない関係をテーマにしている。自動車が衝突する瞬間にエクスタシーを感じるという倒錯した世界が展開される。それも、これ以上ないという濃密な描写で。ほとんどの人は、ついていけないだろう。著名な作品だからといって、必死に食い下がろうとしても、振り落とされてしまう。そのくらいアヴァンギャルドな作品である。
3部作を構成するほかの作品『コンクリートアイランド』などは、本書とくらべれば、よほど読みやすい。そのために習作扱いされることもあると聞くが、本書にはじき飛ばされた人には、むしろ向いている。
バラードの作風は年代ごとに異なる。そのことを理解するのに、本書を読破するのは必須なのだろうが、途方もないエネルギーと忍耐力と倒錯的世界を受け止めるキャパシティを要求される。
おそるべき作品なのだろうが、決して万人向けではない。正直なところ、バラードには白旗を揚げざるをえない。
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テクノロジーとの婚姻
2010/08/26 23:09
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
自動車事故にエロスを感じるというヘンタイさんのお話なのだが、はたして本当にそうなのかということだ。テクノロジーは人間そのものも変容させる。火の利用によりより多大な栄養を摂取できるようになって体位は向上し、顎の容積サイズに脳が収まった。人間は自ら改変し、作り出した環境に適応する。20世紀にもっとも大きな変革はモータリゼーションだ。空間の移動手段であるとともに、その人間の生活空間であり、むしろ外骨格とでも言うような位置を占めてしまっている。
つまり現代人にとって自動車は、テクノロジーによって与えられた環境でもあり、肉体の延長でもある。例えば衝突によって車体に加えられる刺激や損傷、車体が人体に伝える衝撃、そして人体は痛みを感じるどころか、大きく変形、破損してしまう。こういったことを認識することは、刺激の拡大であり、自我の拡大ということだ。
舞台は1970年頃のロンドン郊外、空港とを結ぶ高速道路とその周辺で、あるいはこの頃に交通事故の増大が社会問題化していたのかもしれない。その中でむしろ事故に歓喜を見いだす人間が現れるというのは、逆説的な文明批判、変化しすぎる人間への警鐘でもありつつ、しかし高い順応力を持つ怪物性、予見される混迷、そういったあらゆる現代の姿を謳っている。
車の正面衝突事故を起こし、相手夫婦の夫は即死。妻は病院でしばしば顔を合わせるが、彼女につきまとっている人物に気づく。その男は、事故当事者の周囲のみならず、ずっと高速を流していて事故があると見るやその現場に現れる。そしてその嗜好と行動に引き摺られ、感化されて行く。彼らはそういう素養があって巡り会ったのか、それともある種の条件さえ整えば誰でも同じになるのか。その世界に深入りするにつれて、同じように感化された人間が他にもいることが分かってくる。
男が夢見るのは、エリザベス・テイラーと事故死すること。見事にミーハー、俗情そのままであって、スノッブなところなどまったくない。自分の趣味を特別とも高尚とも思わず、飾りもしていない。本能のままに行動していると言っていい。事故現場にたむろし、写真を撮り、関係者につきまとい、車のシートで行為に及ぶ。むしろ汚らしい印象の男。ただ彼が見せるビジョンの描写、そのフォルム、車体と人体の動き、痛みと苦しみは鮮烈だ。決して親しみを感じることのできないグロテスクさは、クローネンバーグが映画化したというのも分かる。ダイアナ皇太子妃の事故の際には、バラードに取材が殺到したという。
筒井康隆が予言したように未来は必ず悪夢的なのだろうし、そしてバラードの作品は悪夢的だ。