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商品説明
20世紀前半、米国の女性雑誌において「アップルパイを完璧に焼ける主婦」こそ理想と謳われた。当時の家庭雑誌の記事や商品広告など、膨大な一次資料を元に、メディアが創り上げた20世紀型主婦神話の構造を読み解く。【「TRC MARC」の商品解説】
目次
- はじめに
- 第一章 ひとりぼっちの主婦
- 老嬢ヘプジバーの真情
- 台所技術者(キッチン・エンジニア)の誕生
- まるで工具店の店先!
- ハンナは私たちのもとを去った
- なんでもやる家政婦妻(メイド・オブ・オール・ワーク・ワイフ)
- 女性らしくない(アンフェミニン)指先
- 不安な顔と堂々とした姿勢
著者紹介
原 克
- 略歴
- 〈原克〉1954年長野県生まれ。立教大学大学院文学研究科ドイツ文学専攻博士課程中退。早稲田大学教育学部教授。専門は表象文化論、ドイツ文学。著書に「暮らしのテクノロジー」など。
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紙の本
むちゃくちゃ面白いアメリカ文化史
2023/05/28 13:58
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
神話とあるように、明るく献身的な主婦が夫や子どもたちのために自家製アップルパイを焼くという姿は作られたものであった。主婦像の変遷や人種問題などむちゃくちゃ面白いアメリカ文化史であり、また日本はどうかということも考えたくなる。
紙の本
アメリカ=アップルパイという文化認識がどう生まれ、そして終焉を迎えたかを描く野心的な一冊
2010/03/12 23:22
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は早大教育学部教授で表象文化論が専門の人物。
20世紀初頭から1950年代までのアメリカの家庭雑誌を丹念に読み込むことで、アメリカの近代的主婦像がどういう風に形づくられていったかを浮かび上がらせる一冊です。
著者によれば20世紀前半のアメリカの主婦は、台所用品の機械化が進むことにより「出来る主婦」、そして夫や姑に気に入られる料理を作ることのできる「かわいい主婦」として造形されていったというのです。
そしてそんなモダンな主婦が作ることを特に求められたのはアップルパイなのだとか。
やがてアップルパイはアメリカを象徴する料理として個人的記憶のレベルから社会に広く共通した記憶へと昇華していった様が描かれます。
食という個人的な体験が、国家レベルでの同一性へと変容・認識されていくというと、随分と大仰な物言いに聞こえるかもしれませんが、本書の刊行(09年2月)に7カ月遅れて出た石原千秋著『国語教科書の中の「日本」』 (ちくま新書)でも同じことが述べられていて、読みながら大きく頷いた覚えがあります。
石原の著作では日本の国語教科書に掲載される文章に「おにぎり」が頻々と取り上げられ、それは古き良き時代のお袋の味として子どもの潜在意識に働きかける機能をもっているというのです。やがて少年時代の思い出という「個人的文化資本」が「共同体的文化資本」と接続可能になる。
そうして日本の社会や国家といったものを、同一性を保持したものとして再認識させる役割を担うおにぎりと、アップルパイがアメリカ人の心理に施す作用とがまさに重なって見えるのです。
そして著者は最後に、アップルパイに象徴される古き伝統のアメリカの終焉をドン・マクリーンが1970年代に作った『さよなら、ミス・アメリカンパイ』に見ると綴ります。
豊かで強く、衰えを知らぬアメリカの興亡を主婦像に託して描くなかなか興味深い一冊です。
紙の本
アメリカの台所で、孤独な主婦は、ウーマンリブの直前に何を見ていたのか
2009/06/06 18:25
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:うみひこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本を手に取ったなら、表象学って何?と考える前に、とにかく96枚に及ぶ図版、アメリカの科学技術雑誌と家庭雑誌とに掲載された広告の数々を楽しんでみよう。気の利いた短い解説を読みながら、図版を見ていくと、20世紀前半のアメリカ、特に、1950年前後のアメリカで、何が起きていたかが実によくわかる。
まずは、機械を駆使する女性。でも、そこは工場ではなく、台所だ。台所で途方に暮れ、涙を流し、顔をゆがませる女性の図。タキシードとドレスの男女。シャツを持って怒鳴りつける夫の前で、ソファに泣き崩れる妻。おいしい料理に微笑む男たち。大粒の涙を浮かべる女性たち。顔をゆがませ、憎らしくも指を下に向けて料理に文句を言う夫と息子。うろたえる妻。様々な料理を前にして得意満面の老婦人。慈愛に満ちて嫁に微笑みかける姑の像。愛と名誉だけのメダルを送る夫と息子。それを手にして幸せ一杯に微笑む女。
戦後の日本人が憧れた、アメリカ人の姿が描かれた、奇妙に懐かしいようなイラストが一杯だ。ここにあるのは、電化製品に囲まれ、食べ物がぎっしり詰まった冷蔵庫を持ち、仕事が終わればドレスを着て、カクテル片手にホームパーティを開く、そんな恵まれた白人中流階級の人々だ。彼らは、何を求めて、泣いたり笑ったりしているのだろう。
そこで、作者はまず、広告の中の彼女たちは、ひとりぼっちで家事をすることになった女性たちだという。親の時代に台所いた家政婦たちは、工場や百貨店やウエイトレスになって台所を去り、残ったものたちも大恐慌によって立ち去ることになる。ひとりぼっちの主婦は、どのようにして家事をこなすようになっていったのか?
作者は、科学雑誌に掲載された、科学的管理による家事の合理化のすすめに注目したと語る。やがて、その広告は、合理化と省力化による自由時間の発生を説くようになる。その自由といっても、又別の家事をするだけの自由時間なのだが…。そして、次に雑誌に登場するのが、モダンな主婦という像である。それは、できる女で、かつ、かわいい女である理想の主婦像なのだ。彼女は、家庭内技術者として、様々な便利器具や家電製品を使いこなし、さらに、皿洗いで荒れた手を新発売の薬で治して、夫をその白い手でうっとりさせ、新発売の様々な調理器具や調味料を使って、夫や子供のために料理をする。モダンな主婦は、一人でも、何でもやりこなす。そして、女らしさを失わず、理想の母で、隣人で、嫁である。
読み進むに連れ、これらの広告が、いかに女たちを脅し、不安にさせ、幸福像を示し、そこへ到達させる方法を指示していったかが、実によく見えてくる。
広告は、男たちにも、ありもしなかった懐かしい少年時代のお袋の味を求めるようにそそのかす。挙げ句の果てに、「懐かしの味」は「新発売の」缶詰、既製品、調味料等々で、完全に再現されるということになる。
男は料理で幸せになり、女は、夫の笑顔だけで幸福になる、はずなのだといわんばかりの広告が、示される。
この広告の中の理想像が生む危険性は、現代も同じだろう。読み進むに連れ、様々なことを思い出してしまった。例えば、1973年に出版された『飛ぶのが怖い』のなかで、エリカ・ジョングは、
「アメリカで女として成長すること。たいへんな負担!…良き生活の広告業者たちがどれほど連祷を唱えてくれたことか!」
と、家庭雑誌の中の広告に脅かされることについて書いている。当時、広告のぎっしり載った女性誌を読み始めたばかりのティーンエンジャーだった私にも、すぐその危険性は感じられた。魅惑と不安による奇妙な洗脳が、少女から大人の女性になるまで、ぎっしりと女性雑誌の広告の中に詰めこまれて与えられるのだ。
広告の絵の中で、泣いたり脅えたり笑ったりしている女たち。理想の女として、幻の懐かしいお袋の味「アップルパイ」を、新発売のショートニングを使って作ることを競い合った彼女たちも、パイを放り出して、外に出る時代が直ぐそこに来ようとしていた。公民権運動の、第2波ウーマンリブの直前の時代。アメリカが変わる寸前の表象を作者と共に読み込んでいってみよう。