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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2009/04/04
  • 出版社: 講談社
  • サイズ:20cm/253p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-06-215419-2

紙の本

私とは何か さて死んだのは誰なのか

著者 池田 晶子 (著),わたくし、つまりNobody (編)

自分なんてものは、いったん死ななけりゃ、わからない。私を考え、私を突きぬけ、普遍に至る−。「考える」ことの大切さを語り続け、2007年2月に没した文筆家・池田晶子の未発表...

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私とは何か さて死んだのは誰なのか

税込 1,650 15pt

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商品説明

自分なんてものは、いったん死ななけりゃ、わからない。私を考え、私を突きぬけ、普遍に至る−。「考える」ことの大切さを語り続け、2007年2月に没した文筆家・池田晶子の未発表・未収録原稿からたどる、思索の原点。【「TRC MARC」の商品解説】

●刊行の趣旨
ベストセラーとなった『14歳のための哲学』をはじめ、専門用語や権威によらず自らの言葉で「考える」ことの大切さを説き、世代を超えた愛読者を持つ池田晶子氏。
本書は、池田氏の著作権者であるNPO法人「わたくし、つまりNobody」の編集協力により、残された貴重な未発表・未収録作品を集めた「最後の新刊」となるエッセイ集です。
最初期から晩年までの作品を通して、池田氏の哲学の出発点であり、哲学にとって永遠のテーマである「私が存在するとはどういうことか」「考えるとはどういうことか」を伝える本書は、ファンのみならず初心者の方にも読みやすい一冊となります。

●主な内容
池田晶子氏が残した単行本未収録の講演原稿、産経新聞連載コラム「はてなの深度」ほか新聞および雑誌掲載エッセイ、池田氏の哲学の原点を記す幻の初期名編「わたくし、つまりNobody」、小学生のときに書いた短編小説「空を飛べたら」までを収録。池田晶子氏の「原点」にして哲学の原点を伝える、「最後の新刊本」。【商品解説】

著者紹介

池田 晶子

略歴
〈池田晶子〉1960〜2007年。東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科倫理学専攻卒業。文筆家。著書に「14歳からの哲学」「人生のほんとう」「知ることより考えること」など。

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評価内訳

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紙の本

「書く」とは何か

2009/05/23 08:16

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 彼女は「書く人」であった。

 本書は、2007年2月に亡くなった文筆家池田晶子さんの、未発表原稿や書籍未収録原稿を三つのテーマにして編まれた三冊のうちの一冊です。
 日常の言葉で「哲学」を語り、「哲学エッセイ」という分野を確立した池田晶子さんならではの「産経新聞」に23回にわたって掲載された短文などが収められています。一般紙での掲載ですから「哲学」が前面に出ることはありませんが、池田さんの読みやすい文章は多くの読者を得たのではないでしょうか。
 池田晶子さんが「考える人」であると同時に、実は「書く人」であったという証(あかし)でもあると思います。

 本書に「読書と作文」というたいへん興味深い文章があります。
 その中で池田さんは「おそらく私は、本を読むのもむろん好きだったけれど、自分で書くことのほうがもっと好きな子供だった」(113頁)と、自身の少女時代をふりかえっています。このことは「文筆家」池田晶子さんを語る場合、忘れてはいけない側面です。
 先の文章に続けて、「そのときまでは漠としていた思いとか考えとかいったものが、書きつつある自分の鉛筆の先から言葉となって明らかになる面白さ、うまく言葉の流れに乗っかって遠くまでゆけたときの快感」(同頁)と、「書く」ことの魅力を綴っています。

 面白いことに本書では、巻末付録として池田晶子さんの文章の原点とでもいえる、彼女の小学六年生の時の「卒業」作文が収載されています。
 「空をとべたら」と題されたニワトリが主人公の物語ですが、書き終って得意満面だったにちがいない聡明な少女の姿が目に浮かぶようです。
 この作品に編集事務局はこう記しています。「書き出された言葉によって世界が遥か彼方まで運ばれてゆく快感がすでに如実に現れている」(247頁)と。
 とべないニワトリを描きながらも、少女の思いは空高く飛翔していたのではないでしょうか。

 池田さんは「書く」ということについて、「文学では「物語る」、哲学では「記す」とでも言われるべきもの」とした上で、「哲学者は、言葉の核へ向けて凝集してゆく自分の微分を観察しつつ、反省の極みに立つ」(46頁・「わたくし、つまりNobody」)としています。
 「考える」ということを「書く」ことでさらに深めていく、池田さんがたくさんの文章を書いてこられたのもそういう確信のようなものがあってのことだと思われます。
 「「書く」ということは、この指で、この力で、一字一字を書くことだ。掴まえた考えを言葉に封じ込め、この世の地面に刻み込むことだ」(『死とはなにか』・205頁・「転ばぬ先の知恵」) と書く、池田さんの文章にどれほど勇気づけられるでしょう。

 ◆この書評のこぼれ話はblog「ほん☆たす」で。

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紙の本

3つの問いは1つの問い

2009/04/10 00:03

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:wildcat - この投稿者のレビュー一覧を見る

『魂とは何か』、『私とは何か』、『死とは何か』は、
文筆家・池田晶子の残された未発表原稿と
書籍未収録原稿を3つのテーマに集成したもので、
著者が記した墓碑銘、「さて死んだのは誰なのか」を
共通のサブタイトルとする「最後の新刊」である。

3冊の帯の表は、それぞれの本の固有のメッセージが書かれ、
裏は共通メッセージが書かれている。

本文が終わってレファレンスの部分が始まる前に、
過去の作品から短い印象的な言葉が3つ引用されているのも同じだ。

ちなみに、『私とは何か』に書かれている3つの引用うちの1つは、こちら。

  自分と他人を分けられないのは、他人とは自分だからである

  愛とは、つまりこういうことである

  ― 池田晶子『リマーク 1997-2007』14 OCT. 1998

これが日記なのかと思うと、ぼーっとしてしまった。  

この人は、こういう言葉でできていたんだなと思う。

『魂とは何か』はすでに一度本としてまとめられたことがある内容に
新たに関連論考を加えてまとめた本だった。

それに対し、『私とは何か』と『死とは何か』は、
一度も本としてはまとめたことがない
未発表原稿と書籍未収録原稿のみで構成している。

そのためか、同じサブタイトルの3冊であるが、
3冊の距離感は、『魂とは何か』が少し離れていて、
『私とは何か』と『死とは何か』がより近いように見える。

3冊が3部作で、時間がどんどん進み、読めば読むほどにわかる、
というのとは、明らかに異なる。

例えるなら、螺旋階段。

共通に流れるものの中を何度も何度も歩いているような気がする。

でも、1度読んだからといって、簡単にすっきり、
はいわかりましたというものではないから、
さっき読んだよ、もういいよ、とはならない。

脳死、アンチエイジングなど、3冊のどれにも入っている
共通のテーマはあるし、
何度も何度も繰り返されている言葉もあるが、
当然、それぞれの本のその部分にしか入っていない言葉がある。

それは、他の場所ではなくて、その場所にあるのが、
まさにぴったりと思える輝きがある。

『私とは何か』の中で、印象的だったひとつは、
哲学と文学を比較した次の部分であった。

  一律に「書く」と名づけられているその行為は、

  正確には、文学では「物語る」、

  哲学では「記す」とでも言われるべきもので、

  文学は書くよりもうたうに近く、哲学は書くよりも考えるに近い。

  一方が、意識に遠心的なら、他方は極度に求心的である。

  文学者は、言葉が流れる時間の中へと自分を解き放ち、溶解する。

  哲学者は、言葉の核へ向けて凝集してゆく自身の微分を観察しつつ、
  
  反省の極に立つ。

  文学者の意識は、言葉と流れて一体となる。

  哲学者の意識は言葉の流れを垂直に貫いて、二重になる、

  あるいは言葉の彼方から引き返してきて、二層になる。

  完成された文学作品を、

  「我を忘れて」読み耽ることはできるけれども、

  哲学の文章を、我を忘れては絶対に読めない理由はそこにある。

  (p.46-47)

これは哲学書を楽しく読む奥義三点は、
「命名と定義に惑わされないこと」、
「内側からそれを読み全身で彼の思想に伴走すること」、
「何か正しいこと支えになりそうなことを彼に教えてもらおうなどの、
みみっちい考えをもたないこと」
である、というところにつながっていく。

そして、<私>とは何か。

  それなら、<私>とは何か。そんなの、私は、わからない。

  私はもうずっと、自分とは誰のことなのだが、

  さっぱりわかっていないのである。

  普通に人は、自分をその名前や履歴、性格や肉体などと同一とみなし、

  それらの言わば総元締めとしての脳と同一、と思うわけだが、

  右に述べた通り、明らかに脳は<私>ではないのだから、

  そんなもろもろが<私>であるわけがないのである。

  <私>は脳ではなく、したがって<私>とは何ものでもない、

  という本然の事実に、人々が残らず気がついた社会を想像するのは、

  少なからず愉快である。

  まず第一に、人々から「私は」という、あの意識が消滅する。

  (中略)

  きわめつけに、人は死を恐れなくなる。

  いや正確には、死とは何かがわからなくなる。

  普通に人が死を恐れるのは、自分を脳、

  すなわち物質と同一とみなすことで、

  その消滅を恐れるからだ。

  しかし、自分は脳ではなく、自分とは何だかわからないのだから、

  脳が死ぬことで死ぬのは何か、じつはわからないはずなのである。

  そんなわからないもの、恐れて生きるわけにはいかないではないか。

  (中略)

  一介の物質ではないところの自分とは、

  とりあえずこれを「精神」と呼ぶべきだろう。

  (p.117-119)

うまく要約はできないし、
引用するととてつもなく長くなってしまうので書けないのだが、
「魂」と「意識」の違いについても腑に落ちるところがあった。

『私とは何か』にしか収録されていないもので、
もっとも印象的だったのは、実は、付録、である。

「空を飛べたら」という童話で、
これは、著者が小学校の卒業記念制作として書いたものである。

ニワトリが、他の鳥たちとの関わりを通して、
自分が飛べないことを意識させられ落ち込むのだが、
数々の経験を通して、
空が飛べなくても自分なりにいいところがあることに気づく。

最後には、自分は飛べなくてもいいんだと
胸を張って言うところで話は終わる。

ここに、セルフエスティームを語る物語があった。

初期の頃に書かれたものは、一生のテーマを貫いていることがある。

著者の夭折がなければ、「メタフィジカルエッセイ」だけでなく、
「メタフィジカル物語」も読めたかもしれないという
編集事務局のコメントを読むと、確かに残念だなぁと思ってしまう。

  自分の目的を成し遂げる前に死なない者はない。(p.50)

非情にも思えるこの言葉。

だけど、死は誰にも平等に訪れているということなんだろう。

著者が生きている間、私は著者を知らなかった。

たとえ死後であっても、著者を語りを聞いている今の方が、
著者は私の中で生き生きと存在している。

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2009/05/21 20:20

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