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商品説明
太平洋戦争下、若者はどう生き、どう死んでいったのか
昭和20年11月、原爆の2次被爆によって19歳という若さで逝った粟屋康子。粟屋仙吉・広島市長の次女である。東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)附属専攻科の女学生だった康子は、原爆で瀕死の重傷を負った家族を助けるために、東京から焦土と化した広島に向かった。
戦後60余年を経て、作家・門田隆将が、康子の残した日記と手紙をもとに関係者を訪ね歩き、生と死のはざまで揺れた若者たちの青春群像をノンフィクション作品として初めて描き出した。亡くなるまで克明な日記をつけていた康子の悲壮な日本への思いと家族愛とは——。
「特攻に行く人は誇りです。でも、それを強いるのは、国として恥だと思います。特攻はあくまで“目的”であって、“手段”であってはならないと思うの」
刻々と戦況が悪化する昭和20年、東京・十条の第一陸軍造兵廠に勤労動員された学徒たちには、次々と召集令状が舞い込んでいた。その中で康子に思いを寄せ、特攻を志願する台湾青年に向かって康子はそう言った。死ぬ「意味」と生きる「価値」……揺れ動く若者の感情が溢れ出る日記は、当時の若者たちの毅然とした生き方を現代に伝えている。康子を思い、青年が台湾に植えた赤いバラは今も咲き続ける。世界的ベストセラーになった「アンネの日記」を上回る感動の実話。【「TRC MARC」の商品解説】
太平洋戦争下、若者たちはどう生き、どう死んでいったのか。原爆で即死した広島市長の父を追うように亡くなった康子。生と死のはざまで揺れた若者たちの青春群像が彼女の遺した日記と書簡をもとに蘇った。世界的ベストセラー「アンネの日記」を上回る感動の実話。【商品解説】
著者紹介
門田 隆将
- 略歴
- 〈門田隆将〉1958年高知県生まれ。中央大学法学部卒業。出版社に勤務。雑誌メディアを中心に政治、経済、司法など幅広いジャンルで活躍。退職後、ジャーナリストとして独立。著書に「神宮の奇跡」など。
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紙の本
あらためて家族を思う。
2009/08/03 20:13
11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Y.T.Niigata - この投稿者のレビュー一覧を見る
心がパサパサになったとき、私はいつも家族から届いた手紙を手にする。その中に、母からの一通がある。大学受験のときに届いたものだ。
夜更けに弟が何も言わずどこかに出かける。ひと月ほど続いたときに、父がこらえきれずに手をあげた。「この不良が!どこへ行くんだ」。それでも弟は口を割らない。毎夜、雪のなか、傘も差さずに出かける弟。母が明け方、寝入っている弟の足を見ると、しもやけで赤くただれていた。母は思い出した。「ねえ、お百度って、どうやって踏めばいい?」。そう弟が尋ねたことを。母は忠告した。「誰にも言わずにやらないと、御利益がないんだよ」。母が神社の境内に行くと、雪の中、小さな足跡が点々と境内に続いていた……。
中学校を卒業するまで、私は父の言うとおりの娘として育った。成績は良かったし、書道や作文、ピアノのコンクールでは賞を取った。体育祭ではプラカードを持って先頭を行進し、進級や進学をすると「あなたが○○先生の娘さんね」と言われた。でも、そんな自分が嫌だった。高校に入ると、早く父のもとを離れたい、そればかりを考えていた。何事にも細かくて生真面目で一本気。娘の冗談を真剣に受け止め、本気で怒鳴る父がずっと嫌いだった。そんな気持ちを父にどうにか伝えたくて、夜遅くまで遊んだり、たばこを吸ったりした。成績も落ちた。書道もピアノもやめた。何か言われたら言い返し、殴られたら涙も見せず白目を剥いて、ただ父を軽蔑していた。そんなふうに父を失望させようとする姉を、弟はいつもかばってくれた。
母の手紙を読んだとき、雪に残る弟の小さな足跡を思い、号泣した。「家族っていいな」としみじみ思った。
私は戦争を知らない。広島に行ったことがない。しかし、初めて『アンネの日記』を呼んだとき、悲惨な戦争に怒りを覚えた。初めて『夜と霧』を呼んだとき、人間の残酷さに戦慄が止まらなかった。そしてこの本を読んだあと、いつも主人公(粟屋康子さん)に問い質されているような気がする。「お前はきちんと生きているか」「お前は家族を愛し、感謝しているか」「お前は明日に希望をいだいているか」──。
第二次世界大戦下、日増しに敗戦が色濃くなる日々のなかで、これほど希望をもち、これほど強い意志をもった女性がいたのだろうか。原爆で家族を失おうとも、「私、猛烈に強くなりたいの」と、遺された家族を守るために命を賭けた十九歳……。あの愚かな戦争のなかで「特攻に行く人は誇りだが、それを強いる国は恥である」と毅然と言い切った若き女性、粟屋康子さん。この本が7月10日に発売されるや、すぐに読み終えた。そして1カ月、何も手につかなくなった。主人公・粟屋康子さんが「お姉ちゃん」の一言を遺して逝ったラストシーンでは、声をあげて泣いた。そして思った。「日本人であってよかった」「この本を読んでよかった」と。
「小説を書かない人は希望をもたない」と語ったのはフラナリー・オコナーだった。私は言いたい。「小説を書かずとも、事実を書くことで、この本は私たちに希望の明日、日本の明日を問うているのではないか」