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毒殺魔の教室 上 (宝島社文庫)
著者 塔山 郁 (著)
那由多小学校で起きた児童毒殺事件。小学6年生の男子生徒が、クラスメイトを毒殺。その後、同じ毒で服毒自殺を遂げ、動機がはっきりしないままに事件は幕を閉じた—。あれから30年...
毒殺魔の教室 上 (宝島社文庫)
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商品説明
那由多小学校で起きた児童毒殺事件。小学6年生の男子生徒が、クラスメイトを毒殺。その後、同じ毒で服毒自殺を遂げ、動機がはっきりしないままに事件は幕を閉じた—。あれから30年。ある人物が当時の事件関係者たちを訪ね歩き始める。食い違う証言、見え隠れする思いもよらない人間関係、そして事件当日に仕組まれたある計画…。第7回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞受賞作。【「BOOK」データベースの商品解説】
【『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞(第7回)】【「TRC MARC」の商品解説】
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第7回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞受賞作
2010/05/15 01:21
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:惠。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「『告白』を読む際はぜひ、『毒殺魔の教室』と『ユージニア』もご一緒に」とお薦めいただいたので読んでみた。
読んでみてなるほどなるほど―― 教室という舞台設定、独白形式で進行するストーリー、そして「毒」――確かに『告白』と似た点が多い。これは比較されるのも仕方ないだろう。『ユージニア』は未読だが、彼の作品にもきっと、これらの要素が含まれていると推察する。
あらすじは裏表紙にある通りだから割愛するが、30年前に小学校で起こったクラスメイトによる児童毒殺事件と動機を語らずに自ら命を絶った加害児童の自殺事件の真相の解明が本作の核である。
小学生が小学生を殺したこと。加害児童が服毒自殺を遂げたこと。この二点は紛れもない事実である。しかしそこに至るまでは様々な人間の想いが複雑に絡まっていて、下巻の半ばにならないと事件の真相が見えてこない。加えてドンデン返しの繰り返し。謎解きという点では『告白』に比べて格段に難しかったし、先が読めなくてどきどきもした。
しかし…どうも好きになれない。その最たる原因は、上巻の半ばで登場する櫻井忍というミステリ作家にある。彼女はある男から事件の調査を引き継ぎ、関係者を訪ね歩く。そして「あの事件で落命したふたつの魂のため。」、「そして、また、傷つき、苦しんだすべての被害者と関係者のために」、「私はすべてを捧げて」事件の真相を明らかにすると決意する。櫻井のその様がどうしても好きになれないのだ。
櫻井は事あるごとに「誰々のため」と言う。しかしそれは真実ではない。櫻井は気づいていないのだ。櫻井は「自分のため」にだけ、「自分が事件から解放される」そのためだけに調査をしていることを。それはエゴにしか過ぎない。
櫻井の場合は自覚症状がないだけにタチが悪い。真相がわかったらわかったでこんなことを思いもする。「私はもっと早くに行動を起こすべきだった。そうすればもっと早くにあなたを楽にしてあげることができたのに―――。」
なんなのだろう、この上から目線。「楽になりたい」のは自分自身。櫻井はは自分のために事件の調査をしているに他ならない。それを勝手な使命感にすり替えて、そこからくる達成感に心を満たすことに精いっぱいで他者に対する思いやりや労りの気持ちが伺えない。いや、櫻井は自身にとっての「思いやり」を体現しているつもりなのだろう。しかしそれは櫻井が思う「思いやり」であって、他者にとっての「思いやり」ではない。
重要な語り部である櫻井にに魅力を感じないので、作品に対してもそれほどの魅力は感じられなかった。どんでん返しはすごいとは思う。先が読めないのも楽しい仕掛けだと思う。しかし、(わたしにとっては)それだけだ。
『告白』では「何かひとつ違っていたら、事件は起こらなかったのかもしれない」と思ったのだけれど、本書ではそういった印象を受けなかった。それはきっと、事件の黒幕の成熟度の違いにあるように思う(ネタばれになるので回りくどい書き方になる。そしてこれ以上は書けない。)。
最後に宝島文庫に対して言いたいことをふたつばかり。
まず一点目。これは数多のレビューでも訴えられていて、たくさんの人が感じていることだけれど、無理に上下巻に分けることはぜひ、止めていただきたい。上下巻合わせて478ページなので一冊にまとめることは十分可能だろう。なぜこれほどまでに上下巻に拘るのか。その真意をお伺いしたい。
そしてもうひとつ。それは、単語にもっと注意を払ってもらいたい、ということ。まず、小学生に対して「生徒」は現代日本語では用いない。細かいことだけれど読み手が誤りに気付きにくい誤植だけに、タチが悪い。
言葉は変わっていくものだし、それが自然の流れでもあり、悪いことだとは思わない。しかし出版物に関しては、刊行時における正確な日本語を用いるよう気を配ってほしいと思う。「児童」と「生徒」は未だ使い分られるべき単語であろう。