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2008年の単行本上梓から2年、本書は単なる文庫化ではなく、新事実によって大幅加筆され613頁の大著となって、ふたたび私たちの目の前に、もっと深く歴史の闇をえぐり取るべく切っ先鋭く突きつけられたのです。
いったい甘粕正彦という人物に特別の感慨を持っているのは私だけなのでしょうか?
こういう傾向の本を読んでいそうな38人の人に聞きましたが、特別という訳ではないけれど興味はあるという方が2人いるだけで、大抵は変な顔をされるのが落ちでした。
佐野眞一がこの本で紹介している過去の甘粕ものの中に2つ、私の出発点となるマンガがありますが、その意味ではかなり大衆的な広がりがあるはずですが、この2つのマンガ=安彦良和『虹色のトロツキー』と、村上もとかの『RON 龍』も傑作にもかかわらずあまり知られていません。
ところで、大杉栄たちを虐殺したのは憲兵大尉・甘粕正彦だというのは歴史的事実だと思っていたら、実際は集団暴行によるなぶり殺しだったということを、佐野眞一は幾人もの関係者と会い、膨大な資料を読んで真実を追究し明らかにしたのです。
なかで直接手をかけた憲兵達は大半が満州で短い一生を閉じている反面、首謀者達は大きな神社の宮司になったり少将や中将にまで出世したり。
甘粕自身は満州で満映理事長に就任して満州国の夜の帝王と呼ばれ、放漫経営で連続赤字だった満州映画社の経営を短い期間で建て直して、現地スタッフの給料アップ実施など実務家として有能なことを示し信奉者も少なくなかったのですが、周知のように終戦直後に青酸カリ自殺してしまいました。莫大な資金を思いのままにしていたのに、自らのためには蓄財しなかったという清廉潔白さには驚きますが。
ところで、私は暇にまかせて小説や評論の舞台となった場所に時として実際に行くことがありますが今回も、佐野眞一が書いている甘粕正彦が関東大震災時に出勤した渋谷憲兵分隊の跡地=渋谷区道玄坂2丁目6番地へ行ってみました。たしかに斜め前に109ビルがある繁華な場所で、とても88年前に憲兵隊があったとかいうことが嘘のように非現実的でした。
思い切って、佐野眞一が躊躇してやらなかった、道行く人に甘粕正彦とか憲兵隊だのという質問をしてみましたが、やっぱり誰も首を縦にする人はいませんでしたし、中には新興宗教かなんかの勧誘に間違ってくれた方もいました。
レビュー登録日:2010年11月19日
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戦時中は「満州の夜の帝王」とも呼ばれた甘粕正彦。戦前は「大杉栄虐殺事件」で「主義者殺し」の主犯として名を馳せていた。謎の多い甘粕正彦の実像を描こうとする渾身のノンフィクション。何と言ってもそのあたった膨大な資料、多くの取材先の数がすごい。これだけの資料を下にすると、下手な論文みたいにただ資料を並べるだけで終わりかねないのだけれど、佐野さんの視点にはゆるぎないものがあって飽きさせないで読めました。登場人物が多く、その取材先の方と登場人物との関係も細かく顕されているので唯でさえ多い人名がその三倍くらいになっています。当事者の子息、甥、姪といった方々がそろそろ80歳を超えようという時期の取材で、この時期以外には成しえなかったルポだと思います。特に、最後に明かされる「大杉事件」の真相証言については、もう、このタイミングで佐野さんが取材しなければ公には明かされなかっただろうと思われる貴重な証言。単行本刊行後に寄せられた資料による加筆修正もあります。詳しくは文庫版あとがきをお確かめ下さい。
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甘粕 正彦は大杉栄殺しのイメージを抱いていたが、満州に渡った後は別として、真実は軍部に利用された人物であった。時代は違うが賄賂で有名な田沼意次も同じように次の支配者、松平定信によって悪いイメージを作られた。主殺しの明智光秀も同じか。勝者からの評価がいかに真実を伝えてないかの典型だ。東京裁判で処刑された広田弘毅は気の毒だ。
野田次期首相の東京裁判で断罪されたA級戦犯は全員が戦犯ではないとの主張に同感。
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大杉事件の主謀者として“主義者殺し”の汚名を負い入獄。後年、満映理事長に着任後は一転、満州国の「夜の帝王」として君臨した、元憲兵大尉・甘粕正彦。趣味は「釣りと鴨撃ち、そして謀略」と公言し、現代史の暗部を彷徨した甘粕が、自死と共に葬ろうとしたものは何だったか?講談社ノンフィクション賞受賞の衝撃作に、新事実を大幅加筆。通説を大きく揺さぶる満州巨編評伝。
序章 “主義者殺し”
第1章 幕末のDNA
第2章 憲兵大尉の鳴咽
第3章 鑑定書は語る
第4章 獄中の臣民
第5章 浴衣の会見記
第6章 暗鬱のルーアン
第7章 謀略人脈
第8章 満州ひとりぼっち
第9章 人は来りて見よ
第10章 満映という王国
終章 八十五年目の真実
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関東大震災直後、大杉事件の首謀者として裁判にかけられ、
以後その事件の闇を背負いつつ
満州に渡り権力を得た甘粕正彦の生涯を追う伝記。
満州での活動においてはあまり資料がない中、
外堀を埋める形での執筆になったことが伺え、
具体的な活動内容が掴めず残念だった。
しかし多くのインタビューやエピソードから
甘粕正彦の人となりを伺え面白い。
一読したのちに最も印象に残っていたのは、
やはりあの裁判で見せた甘粕正彦の涙と供述だった。
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大杉事件の実行犯ではなかった。ということは、私の中では本書を読む前から受け入れられていた。だからこそ何故、甘粕は満州で諜報活動に邁進したのか?に興味を持っていた。佐野氏は甘粕には満州にしか生きる道はなかったと肯定的に満州での甘粕を描いているようにすら感じられた。それは、大杉事件で無実の罪を背負ったからだと延々と書かれている。甘粕正彦が著者の言うような人物であったなら、何故あの戦争に、満州に、疑問を持たなかったのでしょうか?と問いかけたくすらなる内容に、正直、残念。
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「甘粕正彦」より「佐野眞一」の名前で読んだ1冊です。このところ、佐野氏の仕事に関して、その手法が問題になっています。
徹底した執拗な取材に基づく数々の労作のいくつかを読み、それによって蒙を啓かれてきた一人としてはやや落ち着かない気分ではあります。
本書に関しては、大杉事件における甘粕、満州における甘粕を、いつものように膨大な資料と、芋づるを手繰るような取材でじわじわと浮き彫りにしていきます。なかなか魅力的な人物像が浮かび上がってきますが、その背後には底の知れない闇を感じさせます。そして、その闇を生み出したのは、やはり戦争です。
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(*01)
昭和史の前半を綴る上で、甘粕はキーマンとなりうる。ただ甘粕については経歴が示すように正史には現れないため、怪人性などを纏って様々に語られ(*02)ていたように思う。著者は、甘粕本人の親族を始め、彼が関係した人々の遺族にもあたり、その実像らしき像を本書に描き出すことに成功している。
(*02)
引用や証言は多く、これらを本書の意図や時系列にそって構成し編集することは、伝記の著作とは別の行為であるかもしれない。バイオグラフィというよりは書類の集成という点でドキュメントに近い。全く同じ史料と材料で別の甘粕像を描き出すことは、あるいは可能なのかもしれないし、読者が読む時点で、甘粕の巨魁な誘惑に巻き込まれる事なく読み込む必要があるのかもしれない。
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大杉栄・伊藤野枝夫妻を殺害し、かつ満州国建国に関わった甘粕正彦という人物について綴った一冊。
満州に行った後は、満映という国策映画会社で理事長を勤める傍ら、裏金作りと諜報活動に奔走してたみたいで、単なる暗殺者だけではなく多面体の彼について知ることができた。
また、今でこそ中国では偽満州国と言われ、侵略戦争の象徴みたいな見方をされてるけど、少なくともその当時は真剣に夢を追って活動してたのがよくわかった。
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何回かに分けて読んだのは失敗だった。この本は一気読みするべき本だった。
正直なところを言うと、甘粕正彦だけでなくその周囲も大杉栄一家を殺したことをいつまでもくよくよと悩み続けていることが意外だった。でもそれは、第二次世界大戦やスターリンや毛沢東を知っているからそう思うことであって、大正時代の感覚ではやはりえらいことだったのだろう。そしてその感覚の人がその後の大殺戮の時代を牽引したのかと思うと、そこに、著者の好きな精神の「底光り」を感じる。
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私にとって、満州について知りたいという意識もなかったのだが、成毛氏の著作からの推薦で本書にたどり着いた。
この間亡くなった母も満州生まれだったが、もう詳しい話を聞くことができない。
甘粕氏に対する事前の知識もなかったので、何を期待して読み進めた訳ではないが、これを読む限りは、甘粕氏に好意的になるだろう。
ある意味ロマン。満州をもっと知りたくなってしまう。
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(目次)
序章 “主義者殺し”
第1章 幕末のDNA
第2章 憲兵大尉の鳴咽
第3章 鑑定書は語る
第4章 獄中の臣民
第5章 浴衣の会見記
第6章 暗鬱のルーアン
第7章 謀略人脈
第8章 満州ひとりぼっち
第9章 人は来りて見よ
第10章 満映という王国
終章 八十五年目の真実
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戦中の満州国において、夜の帝王として名をはせた甘粕正彦氏を追ったノンフィクション(!?)作。大杉事件で背負ったものを死の瞬間まで背負い続けたであろう甘粕氏の、奇妙な人生を多くの資料・証言をもとにくみ上げた労作。前半は窮屈な印象だったが、満州入りしてからの後半は意を決してのことか伸びやかな印象が残る。
それにしても、甘粕正彦という人物は、輪郭が捕らえにくく、分からない人には妖怪のように見えるのであろう。実際には当時の一般人よりさらに天皇崇拝の程度の高い人だったのだろう。それゆえに、数奇な一生を歩んだということだろうか。