紙の本
歴史的な認識の重要さ
2012/02/18 00:28
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Kana - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本を読んでみると,最近の大学論のおおくがいかに近視眼的だったかがわかる. おおくの本がここ数 10 年のスコープしかもっていないのに対して,この本は中世からの歴史をひもとく. そして,現在すすめられている改革のおおくがすでに 1971 年の 「四六答申」 で提案されていることが指摘されている. 大学問題にかぎらず,現代がかかえる問題をかんがえるうえで歴史的な認識が重要であることを,あらためて感じさせる.
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「大学は今後とも意味を紡ぎ続ける。それが可能であるためには、大学は「エクセレンス」と同時に「自由」の空間を創出し続けなければならない」(256p)。
「大学とはメディアである。大学は、図書館や博物館、劇場、広場、そして都市がメディアであるのと同じようにメディアなのだ」(258p)。
18歳人口の5割が大学など高等教育機関に進学する時代。それをユニヴァーサル時代と呼ぶらしい。
その大学が揺れている。デジタル情報時代を迎えたこと、学生の習熟度が低下したこと、少子化時代を迎えたのに大学の増設が続いていること、大学教育が私学によって支えられながらも多くの大学が定員割れで存続の危機にあること。
大学の現状を肯定したうえで「大学の未来」を論ずるのではない、書いている。
そのうえでキリスト教との緊張のうえに誕生した中世の大学は、一度、死んでのち復活したのだと、述べる。
その契機をルネッサンスと広範な印刷術の普及のその後で、出版を教官が書き、学生が読み、大学のもつ専門的な図書館が出版の半永久的収蔵庫となる役割、さらには大学自体が出版社をてがける(246p)ように、大学の存在と出版は密接な関係を構築している、とする。
そのうえで、圧倒的なデジタル情報時代に転換する時代の局面で、多チャンネル情報時代に研究・教育・地域貢献は大学のみの専管事項でありつづけるのか、どうか。大学人である著者自体が自問自答しているように思える、が(岩波書店 2011年)。
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この新書版一冊で、中世の大学誕生から、アリストテレス、カントから・・・、またまた1960年代の大学紛争、さらに国立大学の法人化まで、なんと、すべてが網羅。これ一冊で、大学のことならわかる・・・という本。大学とはメディアである。これが著者の結論。共感を覚えますねぇ。
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図書館で借りた。
大学という仕組みはどのように始まったかからスタートし、日本への導入、大学の置かれている状況を説明して、大学に求められていることや大学とは何かを考えている。
大学がもともと建物ありきの発想でないことを知り驚いた。師と弟子のような感じで先生のもとに学生が集まり、各都市を渡り歩いていたらしい。その後、学生が多くなり、学生の組合のようなものが先生を雇うところもあった。地元住民と大学との対立はこの時代からすでにあり、大学に建物がなかったため、全員別のところに移るという言葉で大学に有利な条件を得ていた。
大学は印刷革命が起きたときにうまく対処できず、学問の主体を本の著者に奪われたらしい。それが今のネットワークの発展した状況と似ていると指摘していた。
アメリカ型の大学、フンボルト型の大学というような各国の大学のあり方の歴史も概観できる内容だった。
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中世の印刷革命において、大学での学問の幅は大きく広がった。
哲学であれ、人文学であれ、リベラルアーツであれ、自由の理性の場を大学の学部として制度的に確保した場合、果たしてそのような確保が自由の維持の自己目的化、つまり新しい大学で理性の自立性の組織的維持が自己目的化されるのか?
理性の大学から、文化、教養の大学に変貌しつつある。
文化=教養である。
感との哲学から、ニューマンらのリベラルな知への大学の理念のイングランド的展開において重要なのは、やがてこのリベラルな知の中核が哲学ではなく、むしろ文学へ移行していったことである。
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大学の誕生と死、その再生と移植、増殖といった世界史的な把握により、大学とは何か、あるべき大学とはいかなるものか、を考察している。また、コミュニケーション・メディアとしての大学という場を考えるところや、リベラルアーツと専門知の関係についての新しい認識の地平を提供するところに本書の特色がある。
大学の歴史を世界史的に振り返ることにより、本書では、「中世的大学モデル」、国民国家を基盤とした「近代的大学モデル」、「帝国大学モデル」、近代的大学モデルから派生した「アメリカの大学モデル」といった大学の理念型を抽出する。そのうえで、国民国家の退潮が進む現代においては、国境を越えた普遍性への指向を持ち、横断的な知の再構造化をはかる場としての「ポスト中世的国家モデル」が大学のあるべき姿ではないかと主張している。そして、エリート主義の「教養」ではなく、専門知をつなぐリベラルアーツが重視されるべきとしている。
著者の考える「大学とは何か」という問いへの答えには、共感するところが多いが、その理念を、今、爆発的に増殖している大学のすべてに適用しようというのは無理があるのではないかと思う。G型大学、L型大学の議論はいきすぎとしても、今よりも数を絞った本来のあるべき姿の「大学」を目指す大学と、職業訓練に主眼を置いた大学(大学という名称を残すかどうかは検討が必要)への分化を軸に高等教育機関の再編成が必要ではないかという感想を持った。
本論とは外れるが、本書で紹介される大学の歴史におけるエピソードには興味深いものが多かった。例えば、東京大学の前身となりうる組織には、儒学を主とした大学本校、洋学を主とした大学南校、医学を主とした大学東校があったが、本来、メインとなるはずの大学本校は、儒学派と国学派の内部抗争で自滅して、大学南校と大学東校の合同だけで東京大学が誕生したといったエピソードといったものだ。
本書は大学について考えるうえで、なかなかの良書だと思うが、やや議論が観念的・理想論的に過ぎる気はした。本書の議論を実際の大学改革などに活かそうとすれば、もう一段階のブレイクダウンが必要だろう。
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今更ながらに読了。大学成立の歴史から、現代の大学に至るまでの歴史的な経緯を分かりやすくまとめている。特にメディアとしての大学という観点は、これからの大学の在り方を考える時に必須の視点ではないか。大学にかかわるすべての人に読んでもらいたい。
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研究とも関連して興味あるテーマなので面白く読んだ。
ヨーロッパにおける大学の成り立ち(1章)から国民国家と大学の再生(2章)、舞台を日本にうつして帝国における大学(3章)、戦後日本の大学改革(4章)という今までの、最後の章では「それでも、大学が必要だ」とのタイトルで今後の大学のあり方に関する提言が書かれている。
今後の日本に置ける大学の形を考える時、既存の大学概念の中で中世の都市ネットワークを基盤にしたポスト中世的大学モデルが参考になるのではないかと提言している。その理由として、1、世界で多数の大学が国境を越えて都市間で密接に結びついていること、2、高等教育のアメリカ化の中で
学術言語としての英語の世界化がおきており、北東アジアなどの近隣諸国の学生と知的交流をすすめるのにも英語でのコミュニケーション能力が必須であり、それを単純な英語支配と捉えず共通言語以上の可能性を持ったものとして認識することが重要であること、3、今後人類が取り組むべき課題はすでに国民国家の枠組みを越えており、ナショナルな認識の地平を超えて地球史的視座から人類的課題に取り組む専門人材を社会に提供することが大学に求められていること、などを挙げている。(pp.240-243)
面白いのだが、取り立てて目新しいものではない。
それよりも、未来の完全なインターネット社会で大学が生き残ることができるのか、との懸念をぶっこんでたことには、その懸念は理解できるもの、もう少し大学がキャンパスをもち、人と人との直接的な交流が生まれることの意義を聞きたかったなあと思う。最近のキャンパスの国際化や、地域連携などの点についても触れてほしかった。そして、すべての大学教員がマイケル・サンデルのような「白熱」議論ができるわけじゃない、という部分には素直に笑ってしまった。
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中世の大学の起こりから、現在に至るまで、大学の歴史を知るには情報がコンパクトにまとまっていて良かったです。天皇の大学、「天皇のまなざしと国民の知性が遭遇する場所」としての帝国大学の「帝国」が、明治初年岩倉使節団が日本に招聘した学監が日本のことをエンパイアを読んだことがきっかけでそれを文部省が「帝国」と訳して定着してきたという話にはへえと思いました。グローバル人材育成の文科省のかけ声が大きくなる以前の出版ですが、今日的な人類の課題(環境、エネルギー、貧困…)が、国境を越えた課題であるがゆえに、国民国家と一体の大学からこれらの課題解決に貢献する大学へ変わる必要がある指摘を覚えておきたいと思います。おわりににある「大学とは、メディアである。」のとおり、大学とは何かと問いは、その時代と課題と大学の持つ実験の場において出てきたものにより答えが変っていくものなのかなと思いました。
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中世から現代に至る高等教育の歴史を辿った本。
大学について語るためにまずは歴史から知りたい人にオススメ。
特に日本の現代史を綴った四章が面白かった。
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吉見俊哉『大学とは何か』岩波新書、読了。大学を知のメディアと捉え、中世における誕生と衰退、近代国家による再生、近代日本の移植と戦後の再編を概観することで、大学の理念を再定義する。懐古趣味的教養主義への回帰や社会へ阿る安易な対処療法を退け、見通しを提案する刺激的な論考。お勧め。
7割程度が大学史に当てられているが、200ページ程度でよくその概要をまとめたものだと感嘆。ヴェルジェやクリストフを紐解く時間がない人やざっくり概要を知る上では便利。知のコミュニケーション場=「メディア」として大学の歴史を俯瞰するのは現代的で面白い。
個人的に興味深かったのは、新制大学を創造するなかで、最大の抵抗勢力が、旧制高校を温存しようとする教養エリート。しかし教養エリートのひとり・南原繁がそれを退け、教養エリートの差別的「教養」主義ではない、新しい「一般教養」を立ち上げていくというところ。
付記。
吉見俊哉『大学とは何か』岩波新書、吉野作造への言及あり。かつて私学にあった「民権と出版の学知」が東京帝大に内在化していく象徴的人物として(大正デモクラシーと『中央公論』)。以降、出版と大学が相互依存へ、ただこの蜜月は治安維持法後、「自由の余地」は縮小していく。
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本書は2つの読み手によって異なる印象を持つだろう。高等教育の入門の段階で読む場合は、「より抜いたポイントの集約」かなと。多少高等教育をかじってから読む場合は、「いつまで先行研究のレビューまで続くのか、と思っていたら終章になってしまった」と思うかもしれない。
新書1冊に日本大学史を総覧した価値はある。参考文献リストも学習者に役立つ。ただ、筆者の考える新しい主張が終章の一部くらしか見当たらないのは、少し寂しい。教育学を専攻としない情報学環の先生だからこそ、このような本が書けたのかとも思う。2時間で日本の大学の誕生から今日までをかけ抜けることができる意味は大きい。
印刷技術の発展に伴う書物の爆発的な出版、インターネットによる知の洪水という各メディアが大学に与えた影響に触れられている。メディア論としての大学論を今後期待したい。
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岩波書店でこのタイトル。
しかも著者は教育学者ではない。
興味津々で読んだ。
目次だけ見ると「大学の歴史を振り返るのか」と思われたが、「メディアとしての大学」の視点があるため、これまで知らなかった大学像が立体的に浮かびあがってくる。
・キリスト教は、日本の大学システムの形成期と転換期の二度にわたり、ペリー提督やマッカーサー元帥以上に大きな役割を果たした (P186)
・(国立大の法人化について) 財務構造にすでに劇的な変化が生じているのに比べ、組織運営のあり方があまり変化していないように見える最大の理由は事務組織や職員の意識と能力が新しい体制に追いついていない点にある (P231)
・現在の状況に有効に介入しうるような新しい大学概念を、歴史と未来の中間地点に立って再定義していく (P239)
・ グーグルやアップル、フェイスブックといった新たなネット上の知識システムに対し、大学という相対的に古い知識形成の場が何を固有にできるのかを明らかにせざるを得ない時が来ている (P249)
など、多くの箇所を備忘録に留めた。
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大学の歴史をなぞるのに役立った。大学は普遍的なようであって実はそうではなく、時代や環境の変化とともに変わっていることは大事な事実だと思う。これからの大学がどうあるべきかは過去の延長上からは定義できないことだけはハッキリしたかも。
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「~とは何か」と問う人間にロクな人間はいない。という蓮實重彦に抗いつつ、究極の答えを追求するのではなく、定義の変遷を歴史的に解明する事を試みた力作である。
大学の歴史とはすなわち、人類が知や教養をどのよう捉え、扱い、関わってきたかの歴史でもある。中世型(アリストテレス)→近代型(カント)→帝国型(森有礼)→アメリカ型(南原繁)と大学のあり方が変化する中で、没落・復活等々を繰り返しているのだが、これは大学が政治と宗教の間で揺れ動きながら攻防してきた歴史でもある。また、その歴史過程では科学技術(印刷革命やIT革命)が知の広がりやネットワークに大きな影響を与えてきたという事も考慮すべきである。
著者は国民国家の退潮(資本主義の隆盛)による今後の大学のあり方を課題として上げている。しかしながら、本書出版後は、反グローバリズムに伴うナショナリズムの勃興により、国民国家が復活しつつあるように思える。また、コロナ騒動により大学の講義は全てオンライン化されるという科学技術による大きな変化や影響もある。他方、9月入学論といった、グローバルスタンダードへの準拠という流れも生じつつある。このような情勢中、大学のみならず、知や教養のあり方がどのように変容していくのかを注視していきたいとあらためて思う次第である。