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- カテゴリ:一般
- 取扱開始日:2012/03/29
- 出版社: ワイズ出版
- サイズ:21cm/479p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-89830-252-1
紙の本
いつもそばに本が
著者 田辺 聖子 (ほか著),大島 渚 (ほか著),北 杜夫 (ほか著),吉本 隆明 (ほか著),城山 三郎 (ほか著),首藤 幹夫 (撮影)
田辺聖子、北杜夫、中島らも、水木しげる、井上ひさしなど、73人の表現者が綴った本にまつわる思いと、各人のスナップ写真を収録。『朝日新聞』読書一面連載を書籍化。【「TRC ...
いつもそばに本が
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商品説明
田辺聖子、北杜夫、中島らも、水木しげる、井上ひさしなど、73人の表現者が綴った本にまつわる思いと、各人のスナップ写真を収録。『朝日新聞』読書一面連載を書籍化。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧
田辺聖子 | 田辺聖子 著 | 8−13 |
---|---|---|
大島渚 | 大島渚 著 | 14−19 |
北杜夫 | 北杜夫 著 | 20−25 |
著者紹介
田辺 聖子
- 略歴
- 〈田辺聖子〉1928年生まれ。
〈大島渚〉1932年生まれ。
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紙の本
その人が読んできた本の話
2023/11/30 11:31
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:a - この投稿者のレビュー一覧を見る
朝日新聞に掲載されたものを書籍化したものでした。73人分が載っていました。本の厚さにちょっとびっくりでしたが、1人分6ページ、その内2ページは写真だったので少しずつ区切って読むことができました。新聞に掲載されたものだからか、文章はちょっと堅苦しい感じでした。
紙の本
著者名を隠す実験読みから何が生じたか
2012/02/11 10:09
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る
著名人73人による「本への愛」論集である。途中から著者が誰か分からないような読み方を試みることにした。写真と著者名のある見開きページを見えないようにめくり、さらに左上に印刷された著者名の「柱」を適当なもので、さっと隠せば、後は書かれた文章だけが残る。読みながら、この人は誰なのだろうと推測する。何かを読んでいる人は、たいがいどこかで判明するが、科学関係の著者など本を読んでいるどころか名前もよく知らない人は結局、最後まで見当がつかない。
その人をよく知っているのに、最後の文章を読んでも分からないケースがあった。スクリーンで何度も見ている映画スター、岸惠子である。彼女の本を何か読んでいれば、推測できたかもしれない。《初めての小説『風が見ていた』の執筆が大詰めに入り》あたりで気づくべきなのだろうが、それまでの文章と文体のせいで思いつかなかった。岸惠子の文章自体が「女優」色を少しも出していないせいもあった。
それにしても最初から著者が分かっていて読むのと、誰か知らずに読むのとでは奇妙な読後感の差が生じるのに気づく。岸惠子の場合でいえば、へえー、という驚きの気持ちが強くなる。著者知らずのまま文章そのものに感心した後に、あの人がこんなことを、という別の感心も生じるのだ。途中《私がプロペラ機で五十時間、七つの国を経てパリという街へ降り立ったのは二十四歳の時だった》という文章があるが、それ以前にディーネセンの『アフリカの日々』にふれたところもあるためか、なんとなく旅客機ではない単独飛行のようなイメージを抱いてしまった。とても『おとうと』の主演女優を想像することなどできなかった。
著者が誰かを知らずに読むという行為はインターネットのさまざまな閲覧において自然におこなっている。だがそれは、なんらかのレベルにおいて私が知っている特定の著者というか人物に行きつくわけではない。ネット世界の執筆者の大半は、あえていえば膨大な匿名の著者である。そこでは文章そのものに感心することはあっても、今回私が変則的な読書を通して覚えたような気持ちになる機会はまれであろう。
朝日新聞で1999年から2004年のあいだに連載されたものの集成であり、連載開始が十年以上も前なので、執筆者73人のうち亡くなっている人が数えると13人もいる。私はこの連載を知らなかったが、古井由吉の熱心な読者であるため、その部分は(たぶん)エッセイ集に収録されたものだろうか、すでに読んでいた。その内容にも憶えがある。連載が本書に見開きで紹介されている写真つきのものだとは知らなかったが、その写真が見開き2ページ、文章部分が(一人3回分の連載をまとめて)2見開き4ページというこの本のパターン化された構成は、前述したような変則的な読み方に都合がいいことは別にしても、簡素なつくりで、とても好ましい。
著者あるいは作者を知らずに作品に接するというのは、映画の場合にもある。8日深夜、BS無料放送で『ラッシュライフ』という映画を観たのだが、監督のクレジットが最後になるまで出てこなかった(テレビ画面の解説にも一切表示なし)。監督を知らないままに充実した画面の連鎖にやや圧倒されて、オムニバス的なその映画を最後まで観てしまった。監督は真利子哲也、遠山智子、野原位〔ただし〕、西野真伊の四人、東京芸大でつくったものらしい。芸大で教えている(と思う)黒沢清も浮浪者役で登場していたが、少なくとも私は黒沢清が今回WOWOWでつくった『贖罪』シリーズよりも、『ラッシュライフ』のほうに興味をおぼえた。原作伊坂幸太郎というのは知らなかった。
もっとも映画の場合は本と異なり、スターやジャンルなどへの関心から、中心的な責任者である監督(の名)を知らないで観るケースが多い。また山田太一脚本作のTVドラマのように、監督以外の存在が中心的にクレジットされることもある。
その名も知り、本も読んでいながら分からなかった著者として種村季弘がいる。私は彼のあまりいい読者ではないようだ。庄野潤三も気がつかなかったが、「第三の新人」時代とあまりにも異なるイメージの内容だったせいだろう。弁護士というヒントもあったのに、中村稔も当てられなかった。三木卓も柳田邦男も駄目だった。いずれもほとんど読んでいないせいである。
《いま、私は毎晩一冊ずつの本の感想を綴っている。「千夜千冊」という。》という最初の文章で分かる人もいる一方、西澤潤一、米沢富美子、堀田力、長新太、森村泰昌、松井孝典、小関智弘、中村桂子、河合雅雄などは私の趣味の範囲外の人たちであり見当がつかなかった。ただし初めて読む著者たちの文章から得るものは多い。
「いつもそばに本が」という課題だが、著者たちは、いつも身近に置いている本について語っているわけではない。辞書類を別にすれば、そうした本があるほうが珍しいかもしれない。愛書を語る文章がなくはないが、全体的には、幼いころから、いかに本というものに付き合ってきたかというエッセイが多い。著者たちの写真は二点ずつだが、新聞では二回目のときに《若い頃の写真を複写して掲載》と全体を撮影したカメラマンによる説明が巻末にある。レイアウト的には面倒だろうが少し残念だった。