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商品説明
攘夷か、開国か。困窮する故郷のために男たちは、結集した!幕末最大の悲劇「天狗党事件」を描ききる歴史巨編。【「BOOK」データベースの商品解説】
【歴史時代作家クラブ賞作品賞(第2回)】攘夷か開国か。困窮する故郷のために、男たちは結集した−。水戸藩から京を目指した貧しくも屈強な義士たちの血と涙の行軍。幕末最大の悲劇「天狗党事件」を描く歴史巨編。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
伊東 潤
- 略歴
- 〈伊東潤〉1960年神奈川県生まれ。早稲田大学卒業。外資系企業に長らく勤務後、文筆業に転じ、歴史小説などを発表。著書に「武田家滅亡」「天下人の失敗学」など。
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紙の本
水戸藩はなぜ回転維新の先頭に立てなかったのか?
2012/11/20 21:38
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルの「義烈千秋」には義公光圀と烈公斉昭の志は千秋に続くという意味が込められていると著者は述べている。 「千秋に続く」とは「永遠なれ」であろう。「君が代は 千代に八千代に………」と同意義かな。
幕末、明治維新。西南の雄藩では下級武士層から幾多の英雄を輩出したのだが、わが故郷の水戸藩からは一人の英傑も生まれず、血みどろの内ゲバばかりがまれている。あれだけの熱き魂のたぎりがあったのだ。タイミングに間違いがなかったらと思えば、この悔しさ、この切なさ。これぞ、幕末史上、最大の悲劇だ。
水戸藩は尊王敬幕でありつづけ、御三家という立場からも倒幕へと発想の転換ができなかった。また攘夷実行と声高に叫んでも、具体的には横浜討入り程度の矮小化された実践イメージであり、実態は烈公・斉昭様のご遺志に殉ずるという抽象理念先行の美学、言葉遊びの攘夷に自己陶酔したものとしか思われない。
本著によれば「天保10年(1839年)の水戸藩家臣団名簿には3449人の名が記されている。しかし慶応4年(1868年)にはそれが892人に減っている」とされるように、主導権争いの殺し合いにより人材が払底してしまったのだ。水戸藩にとって幕末とは藩士同士が血で血を洗った殺戮の歴史に他ならない。
なんたる愚行!幕末、明治に活躍できる人材などすでにこの世にいなかったのである。
横浜開港により安価な綿糸や綿織物が大量に流入、茨城の木綿栽培農家は壊滅的打撃を受けていた。伊藤潤は冒頭、郷士身分の木綿農家の親子に「このままでは(一家心中の)悲劇が繰り返されるだけです。われらは草莽にすぎませぬが、なんとしてでも、われらの力で幕政を正さねばなりませぬ。」と語らせ、筑波山へ向かわせている。そして、藤田小四郎は「幕府に横浜を鎖港させ、攘夷実行を促すべく、全国の有志に参集を呼びかける」激をとばす。伊東潤は天狗党の蹶起を深刻化する経済危機を打開するための義挙と解釈しているようにみえる。しかし、読み進めば「素志を一貫させるのだ」と藤田小四郎らは悲痛の叫びで軍全体を鼓舞するのだが、「素志」の意味合いもぼけて、どこまで本気で実質を語っているのか?わたしは疑問視せざるをえなくなってくる。
伊東潤は膨大な関連資料を消化し、詳らかにこの事件を追っている。特に行軍途中に展開された諸藩との戦闘に関連する叙述、加賀藩に投降した後の始末記は山田風太郎『魔群の通過』よりもはるかに忠実に史実を挙げ連ねている。ロマンというよりノンフィクションに近い語りだった。
しかし、史実に重点をかけたぶん、人物が描けていない。軍資金稼ぎのための強奪、放火で人々から恐れられていた田中愿蔵、はじめから倒幕強硬論で先を読めた男だった。この田中愿蔵だけは光っていたが、藤田小四郎、武田耕雲斎すら個性がどこにあるのか読めないほど人物は平板であった。天狗党の家族を皆殺しにする諸生派の首魁・市川三左衛門。捕縛後の志士たちにサディスティックな処分を下した幕府軍大将の田沼玄蕃頭。天狗が憎んでも憎みきれないこれらの人間性にも触れていない。
伊東潤の歴史小説は始めてであるが、史実を淡々と語る作風がそこにあった。
現代的意義はどこにあるかなどと主張する素振りを見せない方なのだろうか。
伊東潤はこの物語で天狗党の精神を美しいものとし、義挙を後世に伝えるべき悲劇としたかったのだろうか。
そうではなく見通しを持たなかったものたちの歴史的愚行としたかったのだろうか。
ただ、わたしには太平洋戦争の終わり、一億総玉砕という狂気の沙汰に似た思いが残った。