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  3. よっちゃん さんのレビュー一覧

よっちゃん さんのレビュー一覧

投稿者:よっちゃん 

43 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

紙の本冷血 下

2013/03/04 15:10

思索の人・合田刑事に真実は見えたのか?人は虚無の世界にどう生きるべきか?

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

井上克己と戸田吉生は歯科医の一家四人を惨殺し、キャッシュカードと貴金属880万円相当を強奪、ATMにて現金12百万円を窃取した。取調べに対して、事実関係は認めるものの、殺意と動機については
「殺すつもりはなかった」
「金が欲しかったのではない」
と一貫しており、肝心なところは皆目不明のままに取調べは推移する。
ぐっすりと眠りついて気がつかない子どもまでやる必要がない過剰な殺人が
「なんとなく」「勢いで」「なにも考えずに」
とあいまいのうちに行われたようだ。
ところが、このような常軌を逸した犯罪も一般的にありうるのだと、現場感覚として、合田ら警察は気づいている。

取調べで同じような質問を繰り返され、なんども過去の細部を振り返るなら、被疑者はなにを本当にやらかしたのか自分でも訳がわからなくなるものだ。それを他人である刑事が聞いて、さらに解釈を加えた報告書が真実を示すはずがない。係長としての合田は調書を丹念に分析するだけでなく、供述録音の詳細を耳で聞き、直接、本人からの聞き取りも行うのだが、なお実体を確信するにいたらないのだ。
ところが裁判という秩序にあっては、検事、弁護士、判事等はこのようなあいまいのままではすまされない。「真実」は明瞭な言葉で説明されるものでなければならないのだ。

井上と戸田。彼らを取調べる刑事たち。その供述調書等の捜査資料を取りまとめて検察へ橋渡しする合田係長。合田らから提供され捜査資料に自らの調査を加えて起訴状を作成する検察官。あえて明瞭な言葉でもって「真実」を形づくりたいとする当事者がいる。度を越せば、警察に対し名文の調書を作成せよと内心をのぞかせることもある。刑事こそ強引なつじつまあわせをやりかねないのだ。しかし、真実がわからないなら、わからないままでいいのではないかと考える刑事たちもいる。そして合田はわからない真実にどれだけ近づけるかと事実の積み上げに徹底した拘りを見せるのだ。真実と言葉の相克という観点から、意地の張り合いを含めて階層間葛藤を描く警察小説は高村ならではの独壇場だ。下巻は「第三章 個々の生、または死」のすべてが合田雄一郎の独白で構成されているのだが、高村はここで、まず真実とは言葉では近寄りがたい実体なのだということを合田に実感させる。とにかく驚くほど多様な角度から執拗に穿っていくのである。

結論は「わからない。」ただ、それは恐ろしいほどの虚無感覚で語られている。

かくて、合田が彼らはいったいなにものであったかと迷妄するに至れば、今度は自らの生も死も彼らと重なり合い、己の存在も不確かなものに映り始める。まさに現代という不毛の荒野を彷徨するが如きの合田を見る思いがした。さらに言えばこれを読んでいるわたし自身にも引き込まれるところがあって、これはもはや警察小説の域を超えている。現代のある断面を切り取って見せた抽象的観念世界のお伽噺であり、人間世界の根源にある真実を語る文芸作品に他ならない。

地検が起訴状を裁判所に提出すれば警察の本来の仕事は終了するのだが、彼は起訴後も被告人との面会や手紙のやりとりをして、死の直前まで彼らの内面の真実に迫ろうとする。不毛の世界を覚めた目で見つめる彷徨者・合田ではない。合田と罪びとたち。人生において落ち着きどころを失った人間同士の情感がただならぬ気配のうちに寄せては返すそのうねりに心を奪われ、また混迷そのもの中にあって、ぼんやりとではあるが生命の確かさを手繰り寄せる安堵感の余韻をしみじみと味わうことができるのだ。下巻のラスト三分の一のこの物語のクライマックスがある。

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紙の本

紙の本冷血 上

2013/03/04 15:02

あの合田雄一郎はさらに深まる闇の中になにを見るのだろうか?

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「なぜ彼らは無意味と思える残忍極まりない殺人行為に至ったのか」とこれはカポーティが用意した大きな謎であった。カポーティには「綿密な取材活動でえたデータを再構築した作品である」という売りがあった。だからあたかもすべてが事実の積み上げであるかのように読者を錯覚させることがあっても、フィクションだった。そしてある閉ざされた雰囲気の中で死刑を決定していった裁判を批判的に見たのだ。
被害者家族は裕福で人もうらやむよき家庭であること、二人の犯罪者がまともな人格を持ち合わせていないことは両作品に共通している。
ただ「高村版冷血」はカポーティとは本質的に違う。ノンフィクション・ノベルでもなければ、それと思いつくようなモデルがあったものでもない。フィクションでありながら、高村ならではの正確無比なディテイルによって、本当にあった事件の詳細な資料入手した著者がそれを分析し、再構成したノンフィクションと見紛うばかりなのだ。想像力だけでここまで精緻に因果のありようを構築できるものなのか。実相をフィクションによって穿とうとする著者の気迫に圧倒される。
2002年12月20日深夜から21日未明、閑静な住宅地で歯科医の一家四人が惨殺される。上巻は2つの章立てからなり、第一章「事件」は12月17日から殺人事件が起こるまで、家族と犯人の足跡を描く。歯科医一家の幸福そのものの様子は娘・中学生の視線で語られる。
一方、携帯裏サイトで知り合ったばかりの犯人二人。井上克己31歳、戸田吉生34歳は池袋で初めておちあい、クルマ泥棒、郵便局ATM襲撃、コンビニ強盗など蛮行を重ねて首都圏を迷走した後、空き巣狙いで医師宅にめぼしをつける。この場面は交互になった二人の視線から語られる。妄言はあっても虚言ではなく、彼らなりに正直ベースで行動、言動、内心を表現しているのだが、読んでいるものにとって、その多くがでたらめであり、飛躍があり、理屈にあわないものなのだ。
第二章「警察」は警察の捜査プロセスが描かれるが、ここはほとんどが合田雄一郎の視線である。高村薫お得意の合田の独白と思念が延々と積み重なっていく。
読んでいるうち、この事件には無関係な合田自身の過去のプライベートな残滓がところどころで滲み出る。いまなおそのしがらみから抜け切れない合田の憂鬱が描写される。また上からの指示に納得しないまま、しかし、それに抗いはせず腰を引いてしまう軟弱など、最近読んだ横山秀夫の『64 ロクヨン』にある熱血とか佐々木譲の正義とかとは縁遠い、まるで警察小説らしくない合田警部がある。いかにもリアルな人間らしさにひかれながら、そんなこんなと気になることが徐々に重みを帯びてくる。

これはもしや『レディ・ジョーカー』の延長にある警察小説ではないのかもしれない。若い時分はバイオリンを演奏し、ダンテ『神曲』を読んだインテリ合田。過去にいろいろあった合田。『太陽を曳く馬』の世界を考察した合田、そこで不可解の領域に立ちすくんだ合田。左遷の憂き目にあった合田。高村薫は本著だけでは述べ切れていない要因を含めていまある合田雄一郎の全人格でもってこの事件を見つめさせようとしているのではないだろうか。とすれば無駄な叙述はない。

結局、カポーティはカポーティの視線であの物語を語った。しかし、この『冷血』では直接に高村の語りはなく、合田雄一郎という人格がすべてを語っている。それだけ読み手は合田の人間を穿つ必要があるということだろう。
そう、これは合田が関わった事件の物語ではなく、事件と関わりながら彷徨する合田の魂の物語ではないだろうか。

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紙の本

紙の本64

2012/12/24 21:49

組織の壁に立ち向かう孤独の魂、あの横山秀夫の完全復活だ

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『半落ち』 『クライマーズ・ハイ』のエッセンスをさらに濃厚に味付けしたフランス料理のフルコースは腹にずしんとこたえます。

昭和64年にD県警で起きた少女誘拐殺人事件は「64ロクヨン」と呼ばれている。身代金2千万円が奪われ、少女が死体で発見された事件は未解決のまま、14年が過ぎた。

三上警視は刑事部・捜査2課の次席であったが、思いもよらぬ異動で、警務部広報官に追いやられた。鬱々とした毎日を送っている。一方、一人娘が行方不明になり、妻が精神的に追い詰められており、家庭は崩壊寸前にある。

捜査を担当するたたき上げの集団こそが県警の生命であるとプライドを持つ刑事部(荒木田部長)。管理組織の中枢で警察庁に近い警務部(赤間部長)。現場対管理、両者のいがみ合いは宿命的なところがあるようだ。もともと刑事魂を誇りに生きてきた三上だが、上司にあたる今の赤間・警務部長は本庁の顔色を見るだけのキャリア組で、広報には無理解ときている。記者クラブとは持ちつ持たれつで向き合いながらも、警務部と刑事部の板ばさみになれば、記者たちとは喧嘩腰もあれば屈辱にも耐える、とにかく身を切られるような葛藤の毎日である。

交通事故の加害者を匿名にした問題、留置場内での自殺に看守の監視ミスがあった問題など、警察の隠蔽体質を糾弾する記者クラブとこれに誠実に対処しようとする三上とのせめぎ合いが濃密に描かれ、その凄まじい迫力に圧倒される。元新聞記者である著者の面目躍如である。わたしは民間企業で広報が長かったことから新聞記者とはいろいろな付き合いもしたし、数多く記者会見の設営も経験している。広報担当と新聞記者とが四つに渡り合う場面をこれほどの臨場感で描写した小説にはこれまでお目にかかったことがない。

そしてどうやら「64」には抜き差しならぬ捜査段階でのミスがあったらしい。その隠蔽が歴代刑事部長のトラウマとして引き継がれてきたようだ………と三上は感づいたが何があったかはわからない。事実が暴露されれば、D県警刑事部が壊滅するのは明らかである。もしや、警務部は警察庁の意を受け、刑事部壊滅のシナリオを進めているのではないか………と刑事部上層は疑心暗鬼に陥る。こうした中、「未解決64」捜査に発破をかけるため警察庁長官が被害者遺族宅を緊急訪問することになった。赤間部長から無理難題を押し付けられ、広報の責任は大きい。ところがこれをきっかけに、刑事部と警務部との抗争はD県警の屋台骨を揺るがすまでに激烈になり、広報室は刑事部からの情報がシャットアウトされ、広報室と記者クラブの信頼関係も完全に崩壊した。そして「64」を模倣したかのような新たな誘拐事件が発生する。

三重・四重の対立構図があり、どこに真実があるのかが不明、広報官としての軸足が定まらない苦悩。正義はどこにあるのかとの迷い。刑事部からも警務部からも見放され、記者クラブからも追放された三上である。しかも娘からの連絡は途絶えたまま、妻との会話はない。三上は絶叫する。わたしの胸は張り裂けそうになった。
サラリーマンにとってまさに絶体絶命の崖っぷちに立たされた男の苦悩をわがことのように感じ、さぁどうすると、共にもだえる。

横山秀夫の描くドラマの背景に共通してあるのは個人の前に立ちふさがる冷酷な組織の論理である。そこで著者は主人公に徹底したストレスをかける。にもかかわらず、並々ならぬ苦闘の中で、自分の意志を貫いていく。いや、意地かもしれない。やせ我慢の矜持か。この男たちの熱い戦い描くのである。
わたしにとって、そういう男たちに共感できる世代であったことがうれしい。

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紙の本

新訳が出たと聞き、このガチガチの筋金入りに挑戦してみたくなったのだ。この作品は「なにがなんだかよくわからない作品」といわれているからだ。

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

登場人物は多数であり、それが苗字、名前、あだ名、コードネームが入り混じって、時と場所を違え、しかもあとでわかることなのだが全員が重要な役割を演じている。しかも著者が客観的に語る部分はわずかであり、それぞれの情景はそれぞれの人物の視点で語られる。読者にとってスマイリーだけはソ連の二重スパイ・Xではないと確信しているのだが、あとの人物はすべて怪しいのだ。
チェコでの作戦<テスティファイ作戦>、ソ連の情報源とされる<マーリン>とか<ウィッチクラフト>などのいかにも核心である言葉が説明のないままヒョイと顔をだし、読者には説明済みかのごとくに動き始める。

過去の事件で追放され、いまは引退しているスマイリーはXの探索を命じられるのだが、もともとXが存在するという情報自体が正しいのかどうか?もしかしたら、それが<サーカス>を混乱させるためのニセ情報かもしれないのだ。<サーカス>の幹部たちはXの存在など念頭にないので、ニセ情報だったとすれば探索というスマイリーの行動自体が裏切り行為となる。
スマイリーの敵カーラとXの浸透工作はあまりにも巧みなものだから、<サーカス>全体が彼等のために知らず知らずに汚染されている。英国情報局が正しいと確信する愛国行為が実はソ連の思う壺で英国民に対する裏切り行為であるとすれば………。カーラの企みは<サーカス>を機能不全にすることなのか?そうではないだろう。これだけヒトモノカネと時間を費やした大仕掛けである。採算にあうカーラの究極の企みとは?当時の国際情勢を思い浮かべれば、なるほどと単なるスパイ冒険小説では味わえないその迫真性のインパクトは期待通り確かなものだった。

全体構図はこうかと、物語の半分近くまですすんでようやくたどり着くことができた。枝葉末節を微細に象ること延々としてみえるが、実はどこにも隙がない完璧な伏線なのだ。その積み重ねでやがて森が見えてくることになる。タイトルの意味することが知らされる。これほど緻密な構成のミステリーは珍しい。

本格のハ-ドコアスパイ小説だった。情報機関をシステムとして浮き彫りにして、リアルに詳述している小説はほかにあるまい。システムの構成は幹部上級職と現場の工作員に分かれるが、ここは一般の会社組織と同様、忠誠と裏切り、確執と功名争いが混沌とするところだ。現場工作員は対象国内にそれぞれ独自の情報ネットワークを築き上げている。これが彼らの主要任務であり、彼らのパワーの根源である。情報ネットワークには対象国の要人が組み込まれている。当然、情報源は内部でも秘匿される。もしリストが敵の手に渡れば容赦なく抹殺される。そして工作員はシステムの一員でありながら、システムとは距離をおいた単独行動は、成功を前提にして暗黙のうちに認められている。大きな成果はそういう独自の判断からうまれるものだ。幹部上級グループは原則として現場の情報を集中させている。一方、工作員は上級幹部から指令を受け、忠実に実行する。ただ、何のための行動か、指令の目的は知らない。
要は、個性を捨象したところで機能するシステムでありながら、個性の働きに負うところが大きいという矛盾をもつのが情報機関である。システムの一員として沈着冷酷に任務を果たしながら、死地に向かっては自分の判断がすべてになる。ましてやシステムそのものへの猜疑心が芽生えれば、寄って立ってきた基盤が崩れ、自己喪失する。このギリギリの葛藤を一人一人の深層部までメスを入れて細やかに描いている。これがル・カレの魅力なのだ。

間違いなく読み通したことの醍醐味が味わえるだろう。

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紙の本

紙の本冥土めぐり

2012/09/30 15:34

冥界をさまよう魂を救済するものとは?

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

奈津子の夫・太一は結婚してまもなく脳を患い手術を受けた。奈津子は頭の働きが鈍麻し、四股が不自由になった夫を介助している。パートで貯めたお金を持って奈津子は一泊二日の小旅行に連れ出す。東京から新幹線で近い距離の観光地。一泊5000円の区の保養所。今でこそ安上りの宿泊施設だが、かつては高級リゾートホテルで、奈津子の母が幼い時分、祖父家族と贅沢な生活を送っていた頃の象徴である。奈津子は母の栄光のなれの果てを訪ねることで「あんな生活」と呼ぶ結婚前の過去と向き合ってみたかったのだ。「冥土めぐり」とは奈津子が旅行中の列車、保養所、美術館、海辺などで次々と想起する過去である。

贅沢な生活が一変したあとも奢侈、驕慢の真似事を続けたため、借金が膨れ自宅を売り払うまで追い詰められた母と弟である。二人は過去にしか生きられない亡者なのだ。奈津子にカネをたかり、精神をいたぶり、彼女を徹底的に食い尽した。タイトルの「冥土」とはこの境遇を指している。いっぽうで奈津子はこのサディスティックな家族を忌避するだけの強い意思はなかった。結婚してなお奈津子はこのしがらみから抜け出すことができないでいる。彼女もまた亡者の一人であったのだ。

思いもよらなかった転落。努力しても這い上がれない現実。救いを求めることもなくただ現状にもがいている。抽象的な言い方をすれば、どこにでもありうる情況ではないか。奈津子はどこにでも存在する人物なのだ。………と読み進むにつれこういう見え方がしてきたのです。

このどうしようもないやりきれなさが保養所に向かう新幹線での次の一文に表われている。
「太一の頭越しに新幹線の窓から見える山々、浅春ののどかな景色のそれぞれは、奈津子の心の静寂を乱す雑音そのものだ。奈津子はそこから逃れるように、深い追憶に浸った。」
常識からすれば煩わしさをまぎらす旅行のはずなのだが、のどかな景色を「心の静寂を乱す雑音そのもの」と受け止め、逃れるように深い追憶に向かうというのである。未来はない、未来につながる現在もこれほどまでに希薄なのだ。逃れるように向かう過去は亡者に食いつくされた冥界の日々。こんなみじめなことがあるのだろうか。

だが夫・太一との旅で何かが起こったのだ。
洗練された印象的な文体がその何かを語っている。
奈津子は過去が断ちきれそうだと思えるようになった。現実に足を置けるようになった。少しだけ前を向けるようになった。そしてまるで空気のようであった夫・太一という存在の質量にあらためて手ごたえを感じることになったのだ。これは「救済」というものなのだろう。

母と兄から屈辱的仕打ちを受けた太一はそれを我慢するのではない、もちろん反発するものではない。ただそれをそのまま受け止めるに過ぎない。一方で太一は人に好かれる。障害者になってからは特にそうなった。奈津子はこの太一を見る。
「人生でこんなにも理不尽に嫌われ、理不尽に愛されることがあるだろうか。少々の理不尽は誰にでもあるだろう。だけど、こんな理不尽を体験したまま、淡々と生きていられるものだろうか。」

わたしは全く脈絡なく遠藤周作の『沈黙』、そこに描かれるキリストあるいは神を思い起こしたのです。救済といっても奇蹟を起こすことはない神です。拝んでも御利益を期待できない神です。ただ弱いものにそっと寄り添ってくださる神です。

閑話休題。

太一。それは神でもなく仏でもないのだが、祈りというべきものかもしれない。そしてこれは信仰の起源なのかもしれない。

この作品は宗教的清浄さの余韻を残して爽やかなラストがあった。

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紙の本

紙の本天使のゲーム 上

2012/08/27 21:54

20世紀初頭、呪われた都バルセロナを語る第一級のエンタテインメント

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2007年に読んだ前作『風の影』のバルセロナは1945年だった。嫉妬、憎悪、不信、裏切り、暴力のなかで、人々の善意、友情、愛の絆のたくましさを、繊細、流麗な文体で高らかに歌い上げていた。特にスペイン文芸文化の光と影を象徴するかのように人知れず浮かび上がる「忘れられた本の墓場」は強烈な印象を残した。「忘れられた本の墓場」シリーズとなるのだろうか、『天使のゲーム』は同じバルセロナを舞台している。
時代は前作の1945年より遡った1917年に始まるのだが、しかし趣は前作とはまるで違う。「第一章 呪われた者たちの都(まち)」の表現は比喩ではない。文字通り悪夢の都としてバルセロナがある。主人公の作家・ダビッド・マルティンが見上げる天空は黒雲に覆われ、赤い光が毛細血管のように網状にひろがっているのだった。

むしろ主役はこの呪われた都そのものだと言って差し支えないだろう。著者はカタルーニャ地方のバルセロナがたどった歴史を語ることはしないからある程度の予備知識は必要だ。
13世紀には王権に対する自治を確立していたバルセロナは、市民自治の伝統、固有の言語(カタルーニャ語)・文化をもち、スペインの先進地域の中心都市として発展した。だが光と陰は交錯してしかも闇は深かった。繰り返された内乱による血塗られた歴史である。15世紀以降、王権に対する都市反乱。またフランス、ハプスブルグの代理戦ともいえる内戦の主役でも会った。18世紀後半スペイン第一の工業都市となっていったがこれと並行して労働運動が活発になる。19世紀末におこったカタルーニャ自治運動も加わり、20世紀には左翼運動の砦となっていた。1900年生まれのマルティンがつぶやく「悲劇の1週間に炎上するバルセロナ」とは1909年の徴兵反対ゼネストと大規模な教会焼打ちにより街中が血まみれになった暴動ことである。

物語は1917年、新聞社で雑用を務める17歳のダビッドは運命に導かれるように短編を書くチャンスが与えられる。やがて独立したダビッドは旧市街(ゴシック地区)にある20年間空き屋敷のまま放置されていた「塔の館」で執筆活動を始める。28歳で謎の編集者・コレッリとの出会いがあり、30歳までの奇怪な体験談が物語の中心である。
この間のバルセロナは戦乱・暴動のない小康状態であるが、来るべき暗黒期を予感させる逢魔が時だったと言えよう。
コレッリは語る。
「この都に、たまにしか来ない人たちは、いつも晴れて暑いところだと無邪気に信じているのです。だが、わたしに言わせると、バルセロナの空は不穏で暗い昔ながらの魂をいずれ映し出す時がくる」
この物語のあとに、1931年の共和政宣言、1934年の中央政府に対するカタルーニャ自治政府の反乱、1936年~39年のスペイン内戦、1939年のフランコ占領と、バルセロナ市民は最悪の時を迎えることになるのだ。

次々とダビッドに降りかかる禍福は現実なのかそれとも彼の妄想の産物なのか、歪みに歪んだ時空をダビッドの魂はさすらっているのか。愛は破壊され、関係者は善意の人々も含めみな死んでいく。格調高い文体に酔わされながら、複雑で大仕掛けのプロットに読者の頭はとことん混乱させられる。読後も落ち着く先が見当たらない。いったいこれはなんだったのかと、まるで悪夢を見たかのような気分である。にもかかわらずこの作品を成立させている多様なモチーフについて、わたしは勝手に思い巡らせて、大いに楽しむことができた。この作品は『風の影』を越えるミステリーであり、思索に富む文芸大作である。

下巻に続く

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紙の本

紙の本等伯 下

2013/03/24 18:42

天下一を目指した男のあらぶる魂が救済をうるまでの波乱万丈

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信長、秀吉が天下をとったころ、安土桃山文化である。城郭は単なる軍事施設ではなく、覇者の富と権勢の象徴となった。雄大、壮麗な城郭を装飾する絵画は豪壮にして華麗なものとなり、金碧障壁画が盛んに行われる。その第一人者が狩野永徳であった。下巻は狩野永徳一門と信春(等伯)の命をかける抗争が縦軸になって展開する。狩野永徳らの陰湿、執拗な妨害工作の裏に石田三成派と反三成派の抗争を絡めているところもドラマティックでまさに歴史小説ならではの面白さだ。狩野と等伯、ただ作品の優劣を競うことだけでない広がりと深みをもたせた抗争を描いている。
大徳寺三門の増築を千利休が寄進する。上層の天井画と柱絵などの壁画であるが、もともと大徳寺は狩野一派の牙城であり、石田三成も狩野を推す。しかし、禅宗・大徳寺の住職、春屋宗園(しゅんおくそうえん)とスポンサー千利休が狩野永徳の画風を厭い、すったもんだの末に等伯が選ばれたのだった。山門の落慶法要は秀吉以下諸大名が参列し、この作品をもって長谷川等伯の名は一躍天下にとどろいた。

次々に大ピンチに見舞われる。それをクリアしても、自信喪失。常にあせりを感じている。 お家大事の武士の血が騒ぐこともある。家の主として家族を守るために金は稼がねばならない。一流になりたいとの出世欲に突き動かされる。いわれなき悪口雑言に喧嘩を売るのはおのれの矜持が許さないからだ。とにかく俗にまみれた野心家が失敗しては反省する、その繰り返し。絵を描くことが好きで好きでたまらないという一念を除けば、このどこにでもある凡庸さが等伯の魅力ですね。

しかし、彼には助言者、援助者がいる。妻であり、息子であり、春屋宗園・古渓宗陳・千利休ら大徳寺に集う「侘び」世界の文化人、日蓮宗系の高僧、堺の大商人、宮廷文化の担い手・近衛前久 たちが挫折を繰り返す彼を支援するのである。また彼の歩みから死者も出る。だが、亡き者たちのために生きようとする意欲がわいてくる。秀吉ですら彼の理解者になった。

そして秀吉を前に伏見城で披露された六曲一双の『松林図』でクライマックスを迎える。

観ていないこともあり、残念ながらわたしにはこの作品を絵画芸術の視角からはなにも言えない。ただ、この物語にいざなわれて、『松林図』には歴史上安土桃山といわれる文化のエッセンスが凝縮されているのだということが確信できるのだ。説教の視覚表現である仏画や人物の内面までもあらわす細やかな肖像画にも優れた作品を残し、そして豪華絢爛の黄金に極彩色の障壁画、さらには牧谿様式に基づいた水墨画等、この多様な傑作群はまさに時代そのものである。このように幅広いジャンルで多数の傑作を残したのだが、彼の絵画芸術の到達点は『松林図』なのだろう。それは絵師としての奥義を窮めた証であるのだが、それだけではない。物質的な貧しさのなかに精神的な豊かさを求める求道者の美意識でもある。同時にそれは彼の精神が到達した無上の高みであり、宗教体験を伴った仏の道へ至る悟りの証しでもある。
さらに安部龍太郎は
「………六曲一双の屏風を立てると、霧におおわれた松林が忽然と姿を現した。霧は風に吹かれて刻々と動き、幽玄の彼方へ人の心をいざなっていく。」
と表現し、孤独の衆生を彼岸に導く曼荼羅であると解釈している。

「色即是空 空即是色」、日常生活にある秩序や価値観は本物ではない。その桎梏から自由になって、世界内のいっさいの事物をあるがままに映し出したい。彼は究極の哲学をする人物でもあった。

混迷を深める現代人にもう一度原点に帰れと呼びかけているような気がする。

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紙の本

紙の本等伯 上

2013/03/19 15:51

能登の片田舎、一人の絵仏師が天下一の絵師をめざして上洛する

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

浅井・朝倉連合軍対織田信長の合戦がまだ勝敗の見えない頃である。奥村家が仕えていた畠山氏の再興を企てた兄・奥村武之丞が朝倉と手を結ぼうとする謀に巻き込まれ、身代わりのように養父母が非業の死を遂げた。信春(のちの長谷川等伯)は追われる身となって妻子(静子・久蔵)と共に敦賀まで逃れ、単身、上洛を企てる。ところが比叡山焼討ち(1571年)のさなか、織田勢に追われる子連れの僧侶をみて、武術の心得があるものだから、数人の兵をたたき伏せ、僧侶たちを助けた。織田信長の恨みを買い、京入りして、厳しい探索の目を逃れながら食うや食わずの生活が始る。

冒頭から主人公の運命を左右する戦国の緊迫感がギリギリと伝わってくる。本筋はきっと絵師として本質を究める求道のお話だとは思うが、冒険小説のような波乱のスタートに好感を持った。さらに、信春の人物像を「義を見てせざるは勇なきなり」と猪突猛進するおっちょこちょいという好人物から始めているのがよい。そしてお互いに愛と信頼で固く結ばれている夫婦である。駄々をこねる男とこれを諌めるよくできた女房の組み合わせは昔からある人情話なのだが、要所要所でホロリとさせられる。

歴史小説の醍醐味は史実を背景にして、その背景を著者の歴史観で工夫するところもあるからこそ楽しめるのだが、人物を生き生きと描出し、現代人の共感を誘うところにある。
本著では脇役として登場する公家の近衛前久 がダントツに魅力がある。歴代関白の座を占める五摂家筆頭の近衛家嫡男であるから、文化、文芸の第一人者であるのは当然、塚原卜伝から剣術の鍛錬を受けた武芸の達人として腕自慢だった信春の度肝を抜く。そして実は裏舞台で暗躍する実力政治家だったということになっている。近衛前久 は下克上の戦国の世を鎮め、有力大名を糾合し朝廷と幕府の連立政権を再構築しようと深謀遠慮の画策を続けている。当面は打倒信長であった。そして晴信は前久のバックアップを得て洛中に名を高めていくのである。

中央の動乱に揺さぶられる片田舎にあらわれた等伯が有力なスポンサーも理解者もなくどうやって洛中画壇に進出できたのかは定かでない。その経過は波乱にとんだものだったにちがいない。が、それは史実として証明するものがない。だが史実にない空白をなにくわぬ顔で埋めるのも歴史小説である。そしてこれは傑作の歴史小説である。

安部龍太郎は長谷川等伯という独自の画風の背景に武家の血脈を感じ取っている。それは勇猛果敢な行動力である。また、あの世よりは現世利益である。信長・秀吉により急速に統一が達成され、海外交流、自由闊達な気風、そして豪華な絢爛の文化が好まれるようになった。ただそれよりも日蓮宗や禅宗の高僧たちの教えから学びとった宗教的自己完成、それを一流の絵師として同時達成しようとする強い意思が表れている。また峻厳枯淡を護持する大徳寺に集う文化人たちの「わび」の精神も加わり、独自の画境を開いた………と安部龍太郎はとらえているようだ。
絵画芸術。わたしはあまり得手な分野ではないので、作品の写真集など眺めながらも鑑賞眼を高めるということはなく、著者のドラマティックな語りに魅了されて、失敗と反省を繰り返す人間信春の生き方を身近なものに感じた。

本能寺で信長は打たれた。上巻ではまだ信春は広く知られる絵師には至っていない。そしていよいよ狩野永徳との対決が始まる。

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紙の本黄金を抱いて翔べ

2012/10/06 09:59

高村文学の原点をここに見る。

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映画化され、まもなく公開と聞く。これが氏のデビュー作であるにもかかわらず、どういうわけか、わたしは読んでいなかった。いまさらではあったが、途方もなく新鮮な衝撃を受けた。これほどリアルで暴力的でシリアスで、魅力的な大型の犯罪小説だったとは知らなかった。不条理の世界で生きる人間を穿つ高村文学は『太陽を曳く馬』へと飛翔したのだが、原点はすでにこのデビュー作に埋まっていたことに気づいたことである。

メンバーそれぞれの得意技を活かしたチーム型強奪作戦である。手に汗を握るアクションが期待されるから、それだけであれば、小説よりは映像表現のほうが間違いなく受けるテーマである。まさに映像化にはふさわしい見せ場がいたるところにある。ダイナマイト輸送トラックの襲撃、変電所爆破、通信ラインの共同溝爆破、そして金庫襲撃と後半立て続けのアクションシーン。地形、建物の構造、爆薬製造、エレベーターシステムなどディテイルの積み重ねは映像のほうがわかりやすいとは思う。そして国際的謀略を背景にした、殺るか、殺られるかの激闘、暗闘。
20年以上前、1990年の作品なのだ。とにかく当時、これだけ荒唐無稽な犯罪を細部にこだわって迫真力ある重量級バイオレンスに仕上げたのが新人の女性作家だったことは信じがたいことである。

ところで『黄金の七人』や『オーシャン』、ハリウッド製のチーム型強奪モノというのは、オシャレで女性にモテモテのダンディたちが、陽気に派手にふるまう持ち前の性格をちょっとオーバーにした程度の、生活の臭いとは無縁な楽しいゲームであった。まさに痛快冒険活劇!フランス映画、ジャン・ギャバンとアラン・ドロンが共演した『地下室のメロディ』だって渋いフランス流ダンディズムが一貫していた。

ところが『黄金を抱いて翔べ』はこれらとはまるで異質である。この異質なところは映像化が難しそうであり、映画は原作とは別物になるのではないだろうか。

時は1988年と推定される。昭和63年。昭和の最後の年にあたる。北川浩二(計画の首謀者)、幸田弘之(行動のリーダー)は29歳から30歳。二人は学生時代に左翼ゲリラに武装部品等を売買していた仲間であり、公安の監視対象者。幸田は母親が神父と不倫関係から孤独に育ち、家族や神を憎悪する人物。二人とも頭脳は明晰、繊細な感受性を持ち、自分を冷静に見つめることができる男である。社会の枠組みを認めず、虚無の中で希望は持たず、この世に未練がないが、ただ湿り気のある生命力だけは旺盛なのだ。そして暴力の臭いを発散させ、女よりも男を引き寄せる。

冒頭、目的のビル周辺を観察する幸田。単なる大型娯楽小説ならばこんなムードのスタートにはしないものだ。 『太陽を曳く馬』の合田雄一郎を髣髴させ、高村薫らしいドストエフスキーやニーチェにあるなにものかが全編を漂い始める。処女作からこういう雰囲気を宿した作品だったんだ。

なぜ金塊なのか。札束ではないのか。なぜ無用な殺人を犯すのか。なぜここまでの悲劇を身内に与えるのか。細密な計画遂行に比較して犯行後の展望がないのはなぜか。そもそも何のために?………にもかかわらず彼らは死を覚悟した行動に挑んだ。
すべてが価値のないことなのだ。それをわかった上で途方もなく強大な壁に向けて、限界まで力をぶっつける。そこに自己の存在があり、確信できるなら死んでもいい。
現時点でみれば時代錯誤の発想でしかないだろう。だから今、彼らと同世代人には理解しえない状況ではないだろうか。

これは遠い昔の物語なのだ。ラスト昭和の崖っぷちに立って、振り返れば残照に長く引いた己の影があった。

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紙の本ふくろう

2012/09/09 19:29

江戸後期 「千代田の刃傷」を素材に、武士社会のイジメを描いた傑作の時代小説

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江戸時代後期の「千代田の刃傷事件」は全く知らなかった。
学校でのイジメがあとを絶たない。自殺にまで追い込まれる。陰湿さはエスカレートし、肉体への暴力行為だけではない。無視蔑視、罵詈雑言・誹謗中傷・流言飛語、責任転嫁で精神的にダメージを与えるものが増えている。よってたかって弱いものを痛めつけ、それを楽しんでいるのである。
許せない!文政6年、ついに堪忍袋の緒が切れ、彼は江戸城内にて非道のものらを討ち果たした。3人が即死、2人が重傷、本人は自刃。

現代のイジメの構図をそのまま江戸時代の武士社会に無理にはめ込んで作ったお話かと思っていたら、その逆であった。「甲子夜話」等の古文書を考証し、当時の武士社会こそ典型的なイジメ社会だったという認識で書いたものと思われる。わたしには驚きの物語だった。知る人ぞ知る。

「松平外記 江戸時代後期の武士。幕臣、西丸書院番士。裃の紋に墨をぬられるなど、古参者のいじめにあい、文政6年(1823)4月22日殿中で刃傷におよび、本多伊織ら5人を殺傷し、自刃した。享年は33歳。18歳、27歳説もある。江戸出身。名は忠寛。(日本人名大辞典)」

旗本には人気のあった就職先である。その西丸書院番に番入りした外記が古参のものから受けるいやがらせの数々が詳細に描かれる。読んでいていたたまれなくなるほど凄まじい。江戸後期ともなれば武士社会の綱紀は乱れ、書院番には武士道という矜持はなく、古参が新参を悪習の中に押さえつけ、ただ酷使する職場だった。身分が固定し、出世のチャンスは限られている。だが、外記は家柄がよく、剣の使い手でもある人格者、いわば見所のある清廉の士だった。だから、理不尽な悪意と憎悪、妬み、嫉み、蔑み、謗り、皮肉、嫌味、集団化したワルの仕打ちが集中した。現代でもそうだが、イジメは絶対に反抗できないものに対して行われる。反抗できないことがわかっているから、笑いながら他人を陥れて、涼しい顔をしていられるのだ。外記は反抗できない。外記にとってはまずお家大事である。そして妻と子を守ることであった。だから、満座の前で恥をかかされ、カネをふんだくられ、盗人といわれて、毎日屈辱にまみれながらも、彼らには決して逆らおうとはしなかった。それがまた彼らを増長させる悪循環。この病的で残酷な地獄図はまるで今のイジメの構図そのままではないか。

遺恨で彼が白刃を振るうことになればお家の断絶は避けられない。残された家族の行く末を思えば………。手にかけるまでの心理の綾が女性らしい細やかな筆致で綴られる。タイトルの「ふくろう」は外記が自ら彫刻した木製の根付けである。誰にも内心を見透かされず、事に及んだ外記。生まれたばかりの次男に遺したこの「ふくろう」がいくつかの場面で実に効果的に使われている。読後振り返れば、誰知らぬ心底を表現したのがこの「ふくろう」だけであったことに気づかされる。プロットはアナクロで平板な復讐譚なのだが、この絶妙なしかけがあってはじめて、外記の武士として人間としての深さに胸をうたれるのだ。

二十数年後、伴鍋次郎は両親、身ごもった妻と幸せな家庭にあったが、西丸書院番を拝命したある日、出生の秘密に触れて………。というのが実は物語のスタートで、「千代田の刃傷事件」の後日談がこの作品である。

生みの親と育ての親。身ごもった妻。家族愛、そして武士の一分。伴鍋次郎もまた葛藤のうちにある決意をする………と、これもおなじみの人情噺なのだが、最近の人情話は変化球が多く、ここまでストレートな家族の絆は久々だったせいか、著者の巧みな語りにホロリとさせられました。

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紙の本雷の波濤

2012/08/08 21:25

戦争と人間の狂気を克明に描いた空前の侵略史ドラマ、ここに頂点を迎える

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昭和15年、ドイツがパリを制圧する。日本軍は北部仏印に武力進駐。大政翼賛会の発足。日独伊三国同盟。
昭和16年、日本軍は華北での治安強化を進める。ドイツのバルバロッサ作戦。日ソ中立条約。ドイツのソ連進攻。帝国国策要綱、関東軍特殊演習。南部仏印進駐。ABCD包囲網に対する戦争準備のための帝国国策遂行要領。尾崎秀美、ゾルゲ検挙。第三次近衛内閣総辞職と東条英機内閣。御前会議で開戦の決定。日本軍の英領マレー制圧の軍事行動開始と真珠湾攻撃。
昭和17年、そしてシンガポール陥落。

英米独ソ、そして中国の思惑。これに翻弄されるままの大日本帝国。リーダーを欠如した内閣、軍部により外交は混乱に終始し、マスコミの熱狂は国民を対米戦争へと駆り立てる。船戸は整然と史実をとらえながらも、驚くべき筆圧で歴史をドラマティックに展開してみせる。わたしらの年代なら、太平洋戦争へ向けて、秘話とか言われる通説も含めた断片的知識はある。だがそれは個々のエピソードの積み上げにしか過ぎなかった。いまさら恥ずかしいことだが、数々の断片が一貫した流れの中で浮彫りされた全体像を、わたしはこの小説で初めて把握することができたことになる。
とにかく読み応えのある第7巻だった。
間もなく終戦の日を迎える今、本書を読むには絶好のタイミングだ。
目下のわが国の末期的政治状況を重ね合わせれば、なおさらである。

引き続き、敷島四兄弟の見聞としてこの複雑な国際・国内情勢が詳細に語られる。そして彼らが体験するのは侵攻第一線の血なまぐさい現実である。

五里霧中のうちに軍部は南進へと舵をきる。英領インド、英領ビルマ、英領マレーにある反英勢力を組織化し、武器供与を供与する。仏領インドシナにおける反中国活動等、いくつもの帝国謀略機関が擬似的な独立運動支援を旗印に秘密裏の行動を展開していく。

元馬賊の頭目・次郎と信望厚い武人の関東憲兵隊大尉・三郎は、日本軍の南進作戦に沿って満州から華南、香港、海南島、仏領インドシナそして英領マレーへと移動していく。彼らの軌跡上にこの侵略戦争の犠牲者となる人の群れがある。

ヨーロッパを追われ、救いをこの地に求めるユダヤ人組織。インド独立の遊撃隊として次郎が軍事訓練するインド人の婦女子たち。731部隊の人体実験用に供される白系ロシア人捕虜。ビルマ独立義勇軍作りに海南島で軍事訓練を受けるビルマ人の若者たち。長い歴史の中で漢人に支配されてきた中国周辺の少数民族。英領マレーのマレー人、インド人、中国人。ほとんどがわたしの知らない逸話なのだが、次郎、三郎の命がけの行動の中で、いくつものエピソードが戦慄のディテールで語られていく。これが迫真力をもって読者に伝わるのは、次郎・三郎が訪れる町・村・地域の情景、大国に対して歴史的に抱くそれぞれの民族感情が実にリアルに描写されているからである。船戸は膨大な資料を検証したに違いない。そして小説家としてのセンスも抜群にさえている。

太平洋戦争の開戦を語るには真珠湾攻撃が当たり前だと思うのだが、船戸はこれをしなかった。その直前のマレー上陸作戦を詳述したのだ。戦闘機対戦艦の戦いであった真珠湾攻撃とは異なり、シンガポール陥落までの道のりは敵味方血みどろの白兵戦であり、反日華僑に対する虐殺もあった。

戦争と人間の狂気を直視した感性のエッセンスがダイナミックに描写された、この「雷の波濤」は全巻中白眉の出来栄えであるとして言い過ぎではない。

船戸与一氏は病気療養中と聞く。愛読者としてはただただ健康の回復を祈るばかりである。

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紙の本楽園のカンヴァス

2012/06/20 15:27

絵画芸術を愛する著者の情熱が生んだ本格絵画小説の傑作

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「キュレーター」という美術品ビジネスにかかわる職業もまるで知らなかった。スーパー大辞林には「欧米の美術館において、作品の収集や展覧会企画という中枢的な仕事に従事する専門職員。学芸員よりも専門性と権限が強い」とあった。美術館が経営として成功していくにはこの人たちの手腕によりかかっているような、どうやらこの世界のスーパースターらしい。ついでながらこの作品には「学芸員」という言葉もでてくる。わたしはなにかそれらしい一般的概念だと思っていたところ、読んでいる途中で固有の職業だとわかった。スーパー大辞林、「博物館法に基づき、博物館資料の収集・保管・展示などに関する専門的な業務をおこなうもの」だという。草食系が学芸員で肉食系がキュレーターか。なるほどキュレーターであればこの作品のようにドラマティックな主人公になれるはずだ。


アンリ・ルソーという人物、彼の果たした絵画史上の意義、ピカソとの友誼など知らないことばかりであったが、作中作にあるドラマにはシロウトをグイグイ引き込むだけの魅力があふれていた。さらに絵画芸術鑑賞の要諦は難しい知識よりも自然に向かい合う素朴な感受性であるとの語りに力強さがみなぎっていた。全く知らない世界をそこに踏み込むようにしてとらえることができる。小説を読む楽しさはこんなところにもあるのだ。

著者の作家デビュー前は美術館で仕事をしていたという。フリーのキュレーターやカルチャーライターでもあった。なるほどこれは絵画を真に愛する人がその本領を発揮したところで生まれた傑作なのだ。

怪物と呼ばれている謎のコレクターが密かにバーゼルの大邸宅へ二人の男女を招く。ニューヨーク近代美術館所蔵のルソー「夢」とそっくりな「夢を見た」という作品を所有しているのだが、この作品の真贋鑑定が依頼目的であった。ニューヨーク近代美術館のキュレーター、ティム・ブラウンと若き研究家、オリエ・ハヤカワ。ルソーについては第一級の専門家である二人は7日間に「ある1冊の本」を読むことを命じられる。前衛的作風が世間の理解を得られず、貧しいながらに絵を描き続けたルソーの生涯が描かれていた。7日後、説得力のある判断を下した者にこの絵の処分権が譲渡されるのだ。これがルソーの真筆であれば絵画ビジネス界は激震する。それぞれになんらかの裏事情をもっているように見えるこの二人の一騎打ちの勝負が縦軸となって物語は展開する。得体の知れない人物や組織が登場し、二人への圧力が加わる。結局は誰の手に「夢をみた」は渡るのであろうか?

作中作に当たる「ある1冊の本」のストーリーはルソーの生涯であり、ルソーを敬愛した若夫婦のドラマなのだが、これがなかなか読ませるのだ。

二十世紀初頭のパリ。前衛芸術の波が押し寄せる中で、ピカソを中心としたルソーを理解するものたちの熱気をよく伝えている。ルソーの理解者・ジョセフ、その妻であるがさつな洗濯女・ヤドヴィガ。このヤドヴィガがルソーを通して前衛芸術の核心にふれるまでの成長を描いたものでもある。

ミステリーである。ミステリーとしての構成には稚拙さがあるから、拍子抜けを覚える読者もあるだろう。しかし謎の核心部分は著者ならではの専門領域で、しかもシロウトに説得力がある実に魅力的な謎だ。カバーはルソーの「夢」だが、この女性がヤドヴィガか、これは楽園なのかとか、なんどもなんども眺めることになる。むしろ本格絵画小説と呼ぶのがふさわしい、著者の絵画芸術への愛情があふれていた。

高樹のぶ子『マルセル』とならび今年のミステリー界に一石を投じることになろう。

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紙の本起終点駅

2012/06/10 19:32

どん底に生きる男と女が求め合う究極の安らぎとは?

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第一話の「かたちないもの」を読んだ限りでは、仮想の恋愛ごっこで無理矢理「粋な別れ」を演出したような味気なさが第一印象だった。

暇に任せて読んでいる途中で、特別手配されていた女が17年の逃亡生活の挙句に逮捕されたという報道があった。逮捕されホッとしたという心境には17年間の地獄がうかがえた。何人かの男と同棲し、最後の男にはプロポーズされたものの、断るために自分の正体を打ち明けたという。それでも同棲を続けていた男と女である。これは現実であって仮想の恋愛ゲームではない。
極限にある男女の求心と遠心の微妙な揺れを描いているこの短編集の気配は思いのほか実際にもありうる状況なのかもしれない。

物語にはいくつかの共通点がある。
まず、この社会からドロップアウトしたものたちであり、それぞれの孤独がある。ドロップアウトには「かたちのないもの」や「たたかいにやぶれて咲けよ」のように本人の強い意志で孤立する孤高のケースもあるが、「海鳥のゆくえ」は人殺し、「起終点駅」は家族を捨てた駆け落ち、「スクラップロード」は事業の破綻、「潮風の家」は殺人者を出した家族と、社会から咎められて追放されたことに始まる転落である。男も女も再生しようとする気持ちは失い、ただ沈潜という安らぎに生きようとしている。その孤独の慰めになる相手を、こころのどこかで求め、男と女の同棲が始まる(起点)のであるが、それぞれが結局は究極の孤独に生きようと別れを決意し、やせ我慢の人生を選択する(終点)。その先に自殺、病死、飢え死、事故死と様々な終末があるが、あえてここに腹をくくっている群像である。
読んでいてやりきれなさを感じる以前に「勝手にしろ」といいたくなるのだが………。全編を読み通すと、そうはならずにじわりと哀しさがにじみでるところが桜木紫乃の手腕である。
飾り帯に
「苦しんでも、泣いても、立ち止まっても、生きていさえすれば、きっといいことがある。」
とある。
「だからなんとしても生きよ」との前向きのメッセージがあるようにはとうてい思えない。仮に誰かが登場人物たちにこの言葉をかけてあげたとしても、シカトされ「慰めなんていらないよ」と乾ききった捨てゼリフがかえってくることだろう。
ただ、登場人物からは「これからは他人に迷惑をかけない生き方をしたい」という節度、それは矜持といってもいいのだが、うっすらと立ち上っているのが見えてくる。これがミソである。他人とは世の中一般のこともあり、残っている家族のこともあり、恋人のこともある。「だから余計な口出しをしないで欲しい。器用に生きようとすればどこかで他人を傷つけることになるのだから」と彼ら彼女等の内心をわたしはこう推察している。だから並の人より純であるかのようにも思え、その人生には哀しさがあるのだ。

もうひとつ哀切の思いを抱かせる共通点がみえる。主人公たちは究極の孤独死に向き合いながら、いずれもが、「私が生きていたことを誰かに知っておいてもらいたい」と、ささやかではあるがこの世へ名残を惜しむ心境であの世へ旅立つところがやるせない。
「たたかいにやぶれて咲けよ」の老婦人は極端にその思いが強い人であった。「かたちのないもの」の男も明らかだ。一方「海鳥のゆくえ」ではその思いが本人にはまったくないように見せつつ、残された元妻に投影されている描写も捨てがたい。

色彩のないザラットした基調の風景には見つめるものの哀調が潜んでいる。桜木紫乃の作風がギュッと詰まった傑作であった。

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紙の本一朝の夢

2012/05/20 16:58

朝顔に託した男たちの「夢」とはなんであったのか。安政の大獄、桜田門外の変をバックにした傑作の時代小説

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北町奉行務めであるが奉行所員の名簿作成役という閑職の筆頭。30半ばの独身で三十俵二人扶持。薄給の武士中根興三郎は朝顔栽培だけが生きがいで、人は彼を揶揄して「朝顔同心」と呼ぶ。

朝顔といえば、いまでは不思議なくらい目にしなくなっているが、わたしたちが子供のころにはどこの家の軒端にもあったものだ。冷たい井戸水で洗った寝ぼけの顔をあげ、涼やかで生命力そのもののような朝顔に体が目覚める。子供心の記憶はそんなものだった。

早朝に開いてお昼過ぎにはしぼんでしまう。清楚で凛としたところがあってそれが、なんともはかない………これが朝顔にいだく大人のイメージである。

朝顔熱、この嘉永・安政年間には江戸を中心に大阪・京都にまでブームが広がったという。著者は興三郎の朝顔への情熱と栽培の工夫を丹念に語りながら、当時の大身の武士、豪商たちにあった熱狂振りを描いて面白い。全く知らなかった世界だけにこの切り口には惹きつけられてしまった。江戸のブームを支えた代表的人物は植木職人の成田屋留次郎と旗本の鍋島直孝(号を杏葉館)とされているが、この史実をたくみに取り入れて、ストーリーに迫真性を持たせている。
市井の凡人・興三郎は鍋島直孝や茶人・宗観との厚誼を深めるうちに安政の大獄という激動に巻き込まれる。おだやかな日々に生きたいと思いながらも、歴史の主軸として動かざるをえない過酷な宿命の人たちがいる。我利我利亡者の、人でなしもいる。朝顔を介したこの虚実の無理のない融合はみごとである。男っぽい骨太の構想に女性的な繊細な感性が調和して、ユニークな本格時代小説に仕上がっている。

人間にとって「夢」とはなにかとの重い問いかけがある。
興三郎は宗観に語る。
「しかし朝顔そのものが夢の花だと思っています。どんなに美しく咲いても、花は一日で萎れてしまいます。つまり………槿花(きんか)、一朝の夢、です。」
邯鄲の夢、一炊の夢。ここでは衰えやすいこと、はかなさを語っている。
伝説にある黄色の朝顔を作る夢をもつ興三郎に宗観は、失敗すれば出資者が反対するのを押し切って交雑に没頭したあなたは非難されるだろうと指摘するのだが、興三郎は
「そのときに出現しなくとも(性質は)必ず残っていて、次につながっていくのです。本当に失敗だったかどうかは、ずっとのちに判断すればよいことです。」
夢ははかないものだけではない。夢は希望であり、希望に向かう行動力と持続性が大切であるとする。結果は後世が判断する。やってみなければ何も変らない………と、夢を情熱的にとらえている。
そして「夢」を信念と言い換えるときもあった。黄色い朝顔をつくる………激しい風に揺さぶられても折れることのない信念に対し杏葉館は語りかける。
「だが、その信念がすべての人に通じるわけではないのはわかるの?お前でいえば朝顔か」

この作品は安政大獄と桜田門外の変の主役級がかりそめの姿で登場するミステリー仕立てだからこれ以上は述べないのが礼儀であろう。吉村昭『桜田門外ノ変』を読んでおいたからなるほどと著者の工夫に感心した。かりそめの姿で語り合う男たちの言外の真情には時代を超えて共通する真実が滲んでいる。長いことサラリーマンをやってきたものにとっては思い至るところ深くして、じわりと胸をうたれた。

ところで、時代小説にはなくてはならない剣戟シーンであるが、期待にたがわずしっかりと読ましていただいた。これまでの女性作家には見られなかった壮絶な立会いが見ものである。

子供のころの朝顔の印象のように、久しぶりに爽やかな気分にひたることができました。

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紙の本ジャコバン派の独裁

2013/05/17 14:05

この内憂外患を共和政は救えるか?

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内憂外患なんてなまやさしいものじゃぁない。複雑骨折で身動きができずまさに崩壊寸前のフランス国家である。その右往左往ぶりを笑い飛ばすように、佐藤賢一は革命という大義、あるいは変革という名分に内在する冷酷な本質を暴き出していく。

1973年1月ルイ16世をギロチン処刑し特権階級を廃したフランスは、自由主義経済と議会制民主義が一応始まったことになる。革命の成果と言ってよい。ところが………。
議会では圧倒的多数を占め、中間の平原派を抱え込んで、国民公会(国会にあたる)を牛耳るのがジロンド派である。ジロンド派が進めた周辺国との戦争はイギリスの参戦と対仏同盟の結成により、敗色が濃厚になった。さらにデュムーリエ将軍の反革命的裏切り、王政復古を唱えるヴァンデの乱が苛烈化し、全国に拡散するなど内外の軍事力を前にパリの命脈は風前のともしび。一挙に解決する道は王政に戻ることかもしれないと、反革命の軍事活動の裏舞台にジロンド派の内通者がいるとなれば、激昂派・山岳派・ジャコバン派などいわゆる左翼勢力ならずとも、読者であるわたしだって、「ジロンド派を議会から追放しろ」と叫びたくもなります。加えて、インフレと食糧不足です。物価の上限を法令で定めよという大衆の声もわからんではない。

ブルジョワを基盤とするのがジロンド派であるから当然に物価は自由であるべきとされる。自由主義経済は物価の統制などもってのほかです。また議会内の議論を尽くして物事を決めるべきだと議会政治の本質を正しく主張します。それは大衆政治主義とは一線を画している。全国民から選ばれたのが議員であるから、議会に対する外部勢力の暴力的行為に屈することなく………でありこれもわからんではない。無知なる貧民に政治の主導権を与える共和政はないというあからさまな主張も時代性からはうなずけます。とにかく革命の成果である自由主義経済、議会制民主主義を大切にしよう、である。わたしも正しいと思います。

最後の最後までロベスピエールは議会内での議論をつくすべきだとの姿勢を保っていたようだ。にもかかわらず多数派であるジロンド派に無視され、妨害された。やむにやまれず議会外勢力(パリ市民・サンキュロット)の「蜂起」に頼らざるをえなかったのだろう。少なくともロベスピエールの主観においてはそうだった。佐藤賢一は彼が積極的な蜂起のリーダーではなかったとして、その人物の悲劇性を語りたかったのだろう。

この革命のプロセスではこれまで民衆の蜂起が二回あったのだが、二度とも相手は専制君主だった。ところが、今度の相手は人民の代表なんだ、と、ダントンはロベスピエールに翻意を促した。
どれだけ腐っていても、国民公会の神聖な議員なんだ。これを排除しちまったら、もう民主主義の理想もなにもなくなっちまう。
読んでいてふらふらと自分の座標軸が定まらない、奥深い政治論が続くのである。やがてロベスピエールの立場に引かれていると、突然、このダントンの正鵠をついた指摘にぎくりとさせられました。

国家存続のためには王政復古か一党独裁か。
その二者択一でしかないのか。
サンキュロットの熱狂こそが革命の理想を実現させるエネルギーなのか。
そうではなく、革命を頓挫させる狂気でしかないのか。
民主主義とは議会政治を大衆政治に衆愚政治におとしめる風圧を内在するものなのかもしれない。
なんのための革命だったのだろうと読者は思いまどう。

そしてロベスピエールは自身で確信を得ないまま、ジャコバン独裁への舵を切った。

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