紙の本
読みやすい本
2016/03/24 14:49
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投稿者:JPN - この投稿者のレビュー一覧を見る
ラカンというと哲学者で、なんとなく気にはなっていたものの、本を購入することはありませんでした。この斎藤環先生の本はとてもわかりやすく、読みやすかったです。
紙の本
非合理な「こころ」あるがゆえに愛が生まれる?
2022/02/15 12:32
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あごおやじ - この投稿者のレビュー一覧を見る
斎藤環先生の書籍は、難解な事項を平易な語り口と効果的な比喩で上手くかみ砕いたものが多いですが、本書もラカンについての大変分かりやすい解説書です。「文庫版あとがき」によると、本書は大学の授業のテキストとして用いられたこともあるようですが、エディプス・コンプレックスやヒステリー、ファルスやジェンダーなどを取り上げ、私にとっては「ラカンを通じた精神分析全般の入門書」であり、非常に内容の充実した一冊です。
比喩という面では、人間のこころを作り出しているシステムを分類した「想像界」「象徴界」「現実界」を、それぞれ「(アニメ映画の)画像イメージ」「(イメージを作り出す)プログラム言語」「(プログラムが動作する)PCのハードウェア」になぞらえています。さらに映画「マトリックス」を題材に、仮想世界であるマトリックスが想像界、そのマトリックスの夢を見ながら人間が眠っているのが現実界、そして、主人公ネオが覚醒した際に目にしたプログラムコードそのものが象徴界、といった具合です。
ただ、この三界はあくまで「常に位相的な区分でしかない」もので、「ある対象がどの『界』に属するか」が一義的に決まるものではない、とされます。また、我々が普段話している現実とは「想像的なスクリーンに映し出された『日常世界』」に過ぎず、日常にしても「たまたま『リアリティ』を少々濃いめに割り当てられた『虚構』の一種」だとします。まさにマトリックスの世界観そのものですね。
こういったラカンの視点、フレームが、様々な病理(とされるもの)を読み解く上で有効であることが、過去の事例などを参照して明らかにされます。
ラカンは、健常者も含めた人間一般を「『神経症』呼ばわり」した、とのことですが、資本主義社会における分裂症の合理性を指摘したドゥルーズ=ガタリに通ずるところがあるのではないでしょうか。また、神経症と精神病の違いについて、前者は象徴界が正常に機能した状態で、自己の内/外の区別が保たれているのに対し、後者は象徴界が故障した状態であり、「自分が向き合うべきひとまとまりの世界」が崩壊している、とされます。
なお、斎藤先生はひきこもりについての書籍も多いですが、本書でひきこもりは、資本主義社会における際限のない「欲望追及の空虚さにいちはやく気づいただけの人たちかもしれない」、「『ひきこもり』の状態こそが、もっとも『症状』の少ない、つまり人間本来の状態」かもしれない、と指摘しています。浅田彰の「スキゾキッズ」を思い出しましたが、生きにくい世の中、ラカンの視点・フレームは、虚構との向き合い方を考えるヒントになるのではないか、と思いました。
本書の最後では、こころは非階層的で不合理で不便なものであるが、しかし、その不便さや愚かさが、一人ひとりの個性を生み出している、と述べています。「愚かしさゆえにこそ愛しあうことができる人間」ということですが、この言葉に何やら救われた気がしました。
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「吸血鬼と精神分析」理解の肥しになるかと思い読んでみたが、なかなかにラカンは難しい。ある程度は理解できたと思う。これが「日本一わかりやすいラカン入門」書だとするとぞっとするなあ。象徴界、想像界、現実界の件が良く頭に入ってこなかった。それにしても表題の「生き延びるための」ってどういう意味なんだろう。
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とりあえずとても読みやすいことは間違いない!良書だと思う。
ラカンが(精神分析が)何となく分かったような気分にはなる。
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ハードカバーで読んで、今回文庫本でも、読み返した本。
何度も読み返したくなるのは、本書でも述べていたよう、知れば知るほど分からなくなるという、ラカンに魅了された心理からきているかもしれない。世界一分かりやすいが、まだ自分の中で掴めていない部分も多々あり、やっぱり難しい論議でもあった。人間は、言葉を獲得した瞬間に、象徴界へ介入し、言葉を操る人間は、みな神経症である という事柄に納得させられた。疑問に思ったのは、性愛も、ケースによっては、転移?なのか知りたくなった。難しいので、誤読していないか、心配です。
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自称「日本一わかりやすいラカン入門」。そして、おそらくそれは間違いのないことなのだと思う。にもかかわらず、なんと難解なことか。「日本一わかりやすい」けれど、「わからない」。その事実が「ラカン」がどれほどムズカシイものなのかを示しているわけだ。
斎藤さん自身、ラカンの理論について「わかればわかるほどわからない」と評しており、またそれがラカンの魅力だとも言う。そう言えば、内田樹さんは著書のなかで「ラカンはあえて文章を難しくしている」というようなことを書いていた。
正直なところ、ラカンの理論について、僕にはドヤ顔でこのレビューにはまとめることができない。「日本一わかりやすい」本書ですら、到底理解できているとは思えないからだ。しかし、斉藤さんの語るラカンの魅力、「なぜ『ラカン』なのか?」という点については納得がいくし、大変に参考になった。しかし、そういなってくると「わかりやすい」理論を構築しようとする心の向きと、「わかればわかるほどわからない」理論を構築しようとする心の向きとの板挟み状態に陥ってしまう。さしずめ、両手両足を双方向からトラックに引っ張られてしまう状態だ。あえて難しくする、という思考が僕にはスッポリ抜けてしまっていることを再認識。
【目次】
Lecture1 なぜ「ラカン」なのか?
Lecture2 あなたの欲望は誰のもの?
Lecture3 「それが欲しい理由」が言える?
Lecture4 「こころ」はどれほど自由か?
Lecture5 「シニフィアン」になじもう
Lecture6 象徴界とエディプス
Lecture7 去勢とコンプレックス
Lecture8 愛と自己イメージをもたらす「鏡」
Lecture9 愛と憎しみの想像界
Lecture10 対象aをつかまえろ!
Lecture11 すべての男はヘンタイである
Lecture12 欲望はヴェールの彼方に
Lecture13 ヒステリーはなにを問うか
Lecture14 女性は存在しない?
Lecture15 「精神病」とはどんな事態か?
Lecture16 「現実界」はどこにある?
Lecture17 ボロメオの輪の結び方
Lecture18 転移の問題
Lecture19 転移・投影・同一化
精神分析の倫理 あとがきにかえて
文庫版 あとがき
ラカン主要著作リスト
解説 日本一まともなラカン入門書 中島義道
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ラカンというフランスの精神分析家の思想を分かりやすく紹介ししたもの、とはいうものの、そこそこ難しいと思う。著者は知的に早熟な中学生なら分かると書いていたけど、それはないだろ。
「去勢とコンプレックス」とか「すべての男はヘンタイである」とか、ちょっとキツメの言葉が並び、興味をそそられる。注意深く読まないと途中で分からなくなってしまうけど、部分部分で「あっ、なるほど」と思うことがあるはず。しかし、入門書でさえそこそこ難しいんだから、ラカンの著作そのものはかなりハイレベルなんだろうなあ。もっと読解力がついたらチャレンジしてみたい。
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「ある理論が正しいかどうかは、あらゆることへの答よりも、リアルな問いをたくさんもたらしてくれるかどうか」
「わかればわかるほどわからなくなるのが倫理的かつ優れた理論の症候群」
というわけだから依然としてラカンは難しく、それゆえに魅力的で興味が尽きなくなってくる。
学問というのはそうあるべきなんだろうと思うし、それは受け手のあり方によるんだろうし、ひいては生き方の問題かもしれない。
しかしまあラカンの術語や言いまわしの理解にはずいぶん助けになる。「シェーマL」も一刀両断だし。
著者は現代若者論や精神病理を専門としているようだが、これは若者に限ったことではなく、現代病理の中心に「本当の自分可能性幻想」があるという指摘には感心。自分探しや癒やしへの欲望、自分は特別意識。
こういうのへのクスリとしは宮沢賢治がよいということもちゃんと本書は教えてくれます。
「よろしい。しずかにしろ。申しわたした。このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ」(どんぐりと山猫)
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ラカンは難解、とは思っていたけれど、わかりやすく読めました。
これがどこまで自分の身になったかは、わかりませんが・・・。
p.14
いうまでもないことだけど、言葉に実体がない。つまり、言葉は空虚だ。その空虚な言葉でできあがっている僕たちの心も、本当は空虚だ。僕たちが互いに語り合えるのは、言葉を共有しているから。言い換えるなら、おなじ空虚さを共有しているからなんだ。
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すごく面白かった。ラカンの概念が初めてすっと頭に入ってきた気がする。
言葉の世界としての象徴界。イメージ(それがかなり身近である)の想像界。不可触な現実界。
鏡像段階と想像界の優越。ファルスとしての象徴界。
欲望の原因としての、不在の対象a。享楽と快感原則。
ここらへんの概念の理解をより厳密に、深めるために別の本に進みたいところ。
あと、己の欲望を自覚せよ、というメタメッセージを受信した。
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SNSの普及により、ネット上には「他者の欲望」が言語(象徴)や写真(想像)で溢れかえっている(まさにボランティアから犯罪までの存在証明で)。一方で、欲望追求の空虚さに気がついた「ひきこもり」も増えている。この現状についての著者は両面を懸念しているように思える。
コミュニケーションの発達により欲望を先送りしそれだけで満足しているか、隣人の存在無き状況において欲望がリアル化されずに行動できないという両極端の問題が発生しているのではないか?。で、書名の「生き延びる」とは「生の欲動」すなわちエロスの必要性を説いており、要するに「生身の人間と恋愛しろよ」(但し、無欲を装え)って事なのかな?と。ヘテロ・ホモ・バイなんでもいいんだろうけど。
男は「存在を問う」から引きこもり、女は「性別を問う」から関係を重視するし、そもそも男女は非対称なので、「(一般的な)女は存在しない」ってのが、「女はわからん」って事なのかなと。また、おたくと腐女子の比較も、同一化および立場重視と関係重視の対比説明で納得できる。
シェーマLの説明は不十分ではあるが、欲望の原因である、対象a≒カネであるという説明はわかりやすい。まさに空虚で幻影を投影可能なものだし。
このように、理論で現象を鮮やかに説明してくれるのは快楽であるのだが、著者があとがきで述べているように、「わかりやすさ」や「正しさ」の度が過ぎるとカルトになってしまう危険性には留意しなければならないと思う。
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フロイトの弟子筋にあたるラカンは、精神分析を通じて人間というものを深く探求していった。
嫌悪感、欲望、言葉、性差…様々な現象を「ラカン的」な解釈をすると、世界はどう見えるのか。
たしかに難解であるけれども、その先には人類が識るべきものが確かにあるように思う。
なかなか一読しただけでは…とてもとても。
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最近面白い本に良く出会う。
幸運。
斎藤環さんの著書が好きで、最近立て続けに読んでいる。
彼は、精神分析における、池上彰だと私は思っている。
精神分析というカテゴリーを、我々素人に分かりやすく説明してくれる。
本書もそういった本のひとつで、ラカンとその思想について、語りかける口調で説明している。
私が一番印象に残ったのは、以下の箇所
「ラカンの言った言葉でいちばんよく引用されるのが、『欲望は他人の欲望である』というものだろう。そう、ラカンは欲望が僕たちの内面にあらかじめ備わっているわけじゃなく、常に他人から与えられるものだ、ということを強調したんだ。」(p.25)
私自身は旅行に行くのが趣味であるが、よく考えると、自分が楽しむことも面白みのひとつであるが、それを自慢して、周囲の反応をみるのも面白い。そういうことなのだろうか。
余談ですが、表紙を荒木飛呂彦先生が描いています。
パッと見、全然荒木先生らしくないのですが、よく見ると、ラカンの締めるネクタイの柄が「キラークイーン」…
にくいっ!!
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とっつきやすい文章。しかし明快さではないなにものか。
精神分析的な考え方の有用性、その一端はつかめたのではないかと思う。
もしかしたらこの本は、ラカン関連の本を遍歴した後に再読すれば、ああこういうことを言いたかったのねとさらに楽しさが増すような類の本ではないかと思った。
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参加やめよかな。
精神分析系は苦手。答えになってないし、あまり慰められもしないから。
男女は非対称、性愛は人工的な幻想。