紙の本
ソクラテスの弁明
2016/10/18 22:44
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:NAOKI - この投稿者のレビュー一覧を見る
思想史を勉強中に、古代ギリシア思想の理解を深めたく手に取った一冊。“ソクラテス裁判”の様子が弟子プラトンによって描かれている。ソクラテスによる他者への論駁は、絶対的な神から与えられた「人間的な知恵」への探求活動であり、「不知」の認識によって為されるもの。現代で言う「知ったかぶりはダメ!ちゃんと(本質まで)知っていますか?」というもので、至極当然な問いではあったものの、ソクラテスのその真っ当なやり方が、無知蒙昧(言い過ぎ?)な市民の反感を買う。この対比が面白い。解説とプラトン対話編への案内も充実している。
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プラトンの初期作。ソクラテスの没年が前399年で、この執筆時期が前390年だという。プラトンの師であるソクラテスが、アテナイの市民から不敬罪により訴えられて裁判にかけらた。その裁判において、原告や判事とのやり取りが描かれる。
ソクラテスは死を恐れない。人間にとっての不幸とは肉体の死のことではなく、魂の死であると。自らの思想は神託であるとの信念から、毒杯をあえて仰ぐに至るまでの雄々しい彼の姿が描かれる。一般にきかされるソクラテスの生涯のポイントが、この作品で本人の口を通して語られている。
このような場においても、ソクラテスはソクラテスであり、この「魂への配慮」があって、弟子のプラトンが生まれたのだとじっと考える。ソクラテスは思想家というよりは宗教家に近いかもしれないが、そのソクラテスの思想と信念をプラトンが体系化し、学園を築き教え説いたということが重要。いろいろと思い巡らす一冊。とっても読みやすかった。
17.9.23
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ソクラテスの裁判とは何だったのか?ソクラテス の生と死は何だったのか?その真実を、プラトン は「哲学」として後世に伝える。シリーズ第3 弾。プラトン対話篇の最高傑作。
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饗宴に続いて読了。
短い話だが読みごたえがある。
ソクラテスの裁判での弁明を弟子のプラトンが著述したもの。
無知の知。死を知らないのに恐れるべきではない。
問答による真理の探究。
死よりも己の信念を貫いたと言えば聞こえはいいが、亡くなったのは70歳だから当時としてはかなり高齢という見方もできる。
しかしそれでも文章を通して当時の知識人、哲人の考え方や生き方を知る事ができる貴重な一冊。
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友人からのお勧めで読みました。
ソクラテス文学(哲学)はまぁ有名なので常識的な範囲では知ってたけど実際読むのは初。
この本はソクラテス(プラトン)入門という感じですね。
新訳で読みやすいし、解説もしっかりしてて理解が深まります。
知とは
正義とは
善く生きるとは
西洋哲学のスタートであり根っことなった哲学的なテーマが扱われてますが、
裁判を舞台とした対話形式なので読みやすい。
面白かったのは、「無知の知」についての解説。
非常に有名な概念だし、意味するところはわりと理解しやすいと思ってたんだけど、この言葉自体が誤解を招きやすい、と。
ソクラテスが繰り返し表明するのは「知らないと思っている」ということであり、無知の知ということばから導かれるような「無知を知っている」とは態度がまったく違うという指摘。
けっきょく自分はあなたの知らないことを知っている、と言ってしまっては意味がなく、あくまでも「知らない」という謙虚な態度こそが「知」を求めるということである。
これはものすごい納得した。
「真実を語る」というソクラテスの言葉が、ただ語りの内容のみではなくその聴衆の態度反発やその結果導かれる死刑という判決まで含めた「真実」である、などこういう仕掛け的なすごさや気付きもあったけど、無知の知の捉え方の方が感動。
もう1個おすすめされてる「ゴルギアス」も面白そうなんで読んでみようかと思います。
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初めて読むプラトン
現代語訳のため大変に読みやすい
はじめプラトンは、弁論家や実業家達と対話することで彼らに恥をかかせる意図はなく、ただひたすらに真理の追求をしていたのだと主張し、その証明のためにさまざまな例を出している。
しかし途中から真実の追求は神によって下された使命だと論旨を切り替える場面がある。
個人的意見だが、論理的説明では会場の理解が得られず、神という絶対的権威で説得力を持たせようと切り替えたのでは無いかと思った。
人は論理では動かない、ということを改めて感じる構成だった。
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この作品は、プラトン作品の中でも、厳密な論理展開で相手を煙に巻く、ソクラテスの得意な対話・論駁の場面が少なく、その意味ではとても読みやすく理解しやすい。しかし、メレトスとのやり取りだけでも、ソクラテスがなぜ裁判にかけられて死刑に処されなかったのかわかるくらい、彼の底意地の悪さがわかる(あるいは、ソフィストは皆このような話しぶりであったのか)。
日本人がこの作品に格好良さを感じるのだとすれば、それは邪気眼的なものであって、善き生き方に対する共感ではないように思う。西洋においては特に、ペルソナの下に隠れた本音を見せるのは恥ずべきこととされており、社会においてふさわしい所作を身につけることが当然とされている。そのような文化においては、ソクラテスのやっていることは、社会的な身の振り方を意識するあまり、抑圧され無意識に追いやられてしまっている自分自身を知ろうと努力すること、ユング風にいえばアニマ・アニムスを発展させ、自己をよりよく知ることの指摘に他ならないであろう。そして、その指摘の重要性も明白である。
翻って、日本おいてはどうかといえば、建前と本音(実際は疑似本音)を使い分け、要領よく生きることが美徳とされている。本音を漏らす場面を設けてガス抜きし、無知のままに生きることが奨励される。無知という点では西洋と全く同じであるが、日本人の場合は、すでにして知らないと思っているのである。このような社会では、真っ向から真理探究の重要性を指摘することは、本音を語ることと混同され、子供の戯れごとと解され、苦笑のうちに、ここは建前をいう場であるから慎むようにと、諭されるのがせいぜいである。諭された側としては、道化に徹する他、道はない。本書を読んで、本気で怒りを感じる日本人がいるであろうか。したがって、ソクラテスのやっていることは、勘違いの正義感に基づくヒロイズムでしかなく、そうした行動に思いを馳せるのは強き者への追従による陶酔感に他ならない。
本書の内容は、良く知られるデルフォイの信託を受けて対話をして回っていた様子などがソクラテス自身によって語られる。前々から疑問に思っていたのだが、なぜソクラテスが追放刑を選ばなかったのかについて、今回ようやく疑問が解けた。ソクラテスを追放して、他のポリスで対話を続けさせることは、アテナイの人々の目を問題からそらすことであるし、それだけでなく、他のポリスに対して害悪をなすことでもある。それは悪に他ならない。また、一度問題が回避されれば、永久に回避し続けられることになりかねない。したがって、ソクラテスはアテナイの人々が自発的に真理の探究に取り組み、善く生きることを選択しない限り、自身が死ぬことで問題の不可避性を示さなければならなかったのである。
本書の日本語訳については、格別読みやすいかというと、プラトンの著書の場合、その読みにくさは論理の厳密さにあるのであって、判断が難しい。しかし、詳細な注釈と解説で、きちんと議論を追っていけば必ず内容を理解できるようになっている。また、巻末にはプラトンの著書の読書案内がついており、自身の関心と照らし合わせながらプラトンの他���諸作へ読み進む際の参考となる。
最後に、訳者のこだわりである「無知の知」が誤訳であるとの提起であるが、私は原語を解さないので本当のところはよくわからない。しかし、訳者のように「知っていること」を「明確な根拠をもって真理を把握している」と定義するならば、「知らないということを知っている」ことが、「知っていると思っている」と同様に「無知」に他ならないというのは、もっともであると思う。あくまで、「不知を素朴に自覚している」と解すべきなのであろう。
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ソクラテスが法廷で自分の無罪を主張した話、というイメージがあったけれど全く違った。
アテナイの法廷では、有罪か無罪かを決める時と、刑を決める時、2度の投票を行っていた。
ソクラテスは、1度目の投票では有罪になったものの、「無罪の票がこんなに僅差になるとは思わなかった」というところまで持っていけたのに、なぜ2度目では大差をつけて死刑判決になる、というようなことになったのだろうか。
「悪に堕ちるくらいなら死を選ぶ」というソクラテスの言葉からは、生きながらえるために「弁明」したのではないということがわかる。
アテナイの人々に問いを残すことが彼が生きながらえることよりも「善」だと考えていたのだとすれば、大成功だ。2000年以上も後の時代を生きている人間にも問いを残すことができているのだから。
ソクラテスの弁明は、真実にも屁理屈にもどちらにも取れる。「話し方にとらわれないで欲しい」と願っていたが、彼の話し方はもしかしたら、多くの人に不快感を植え付けた可能性もあったのではないかと思う。
彼の言うことは全て真実だと素直に信じてもいいのだろうか。そんな波紋をも残している。
ソクラテスの弁明はとても短いので、これだけの薄さの本であっても後半半分は解説になっている。
その辺りは斜め読みで何となく流れを追った程度ではあるが、本文を読んだ時に湧いた疑問を解消させてくれたことは読後感をある程度スッキリとさせてくれる気がする。
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弁明の邦訳、解説のほか、プラトン対話篇を読むための手引きもついているので、プラトンやソクラテスに興味があるといった方には特にオススメします。納富訳の特徴としては、写本に忠実であり、プラトン研究者の指摘する語句の削除や追加、変更などにはあまり従わない傾向にある、といったところでしょうか。
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子どもの頃から言われてきた偏見や思い込みを、一つ一つ吟味して、正しく知る事が重要と、認識しました。また知ったか振りではなく、きちんと理解することも必要、と。
…とはいうものの、実際一つ一つ物事を吟味してくのは時間的にも厳しいので、なんとなーく分かった体で進めてくのが多いのが現実かと(え、私だけ?)。
本の内容自体は、ソクラテスが裁判中に民衆に語りかける口調なので、非常に読みやすかった(理解したかは置いといて)。
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神を信じない罪と若者を堕落させた罪で告発を受けた哲学者ソクラテスの、裁判での弁明(告発者との問答を含む)、判決、そして判決に対する「遺言」をまとめたものです。
訳者解説によればこれはプラトンが著したソクラテスに関する真実であり、裁判記録ではありません。実際、おもにソクラテス側の言い分が書かれており、告発者との問答も、ソクラテスがいかに反駁したかに重きが置かれているようでした。
最低限必要な知識はまえがきに書いてあり、註もあるので読み進めるのに支障はありませんでした。
読み終えて思ったのは、ひとつには神を信じていないのはソクラテスではなく告発者と民衆(裁判員)だということ。ふたつには、これを過去のこととして素通りしてはいけないということです。
都市国家では守り神を信仰するのが当たり前だったそうですが、裁判当時は形骸化していたのではないでしょうか。本当に皆が守り神を信仰していたなら、神を信じていないと告発されることもなかったでしょう。自分と同じようにソクラテスも神を信じていると実感できただろうからです。
ソクラテスがおこなった弁明や問答も、至極真っ当な内容だと私には思えましたが、裁判員には当時跋扈していたソフィストの言うことと区別がつかなかったのかもしれません。ソフィストの語は現代でも、詭弁を弄する人という意味合いで使われます。しかしその場にいる全員が神を信仰していたなら、ソクラテスの真に言おうとしていることが理解できたのではないかと思うのです。
罪をでっち上げられて告発され、有罪になってしまうことは、現代でも十分あり得ます。当時の裁判では有罪か否かを判断したあとに量刑が判断されていたそうで、告発者が死刑を求刑したのに対し、ソクラテスは当時のVIPにのみ許されていたことを刑罰として提案するなどしたため、裁判員の反発を招いてしまいます。
弟子たちの助言もあってソクラテスの主張は最終的に罰金に落ち着きましたが、それまでの悪印象を拭い去ることはできず、告発者の求刑どおり死刑が決定します。
現代でも、「心証が良くなる/悪くなる」と言います。神ならぬ身の人が人を裁く難しさは古代ギリシャの時代から少しも変わっていないのだなと、ため息が出ました。
この著作はプラトン哲学への入門書ということで、あらためてプラトンが何を言いたかったのかを考えると、ソクラテスがいかに真理の探究に熱心だったか、ではないでしょうか。それが神の意志に叶う生き方だと信じていたのです。
とはいえ自分の生き方を貫くのはとても勇気の要ることで、ともすれば日和ってしまいがちになります。プラトンは師の生き様を記すことで、自分が哲学の道を歩む際にぶれることのないよう、自身への戒めとしたかったのではないかと思いました。
解説も充実していて、本編を読み、解説を読んで、再度本編を読むといっそう理解が深まるように感じました。
プラトンのほかの著作についての案内も巻末に載っています。続編は「クリトン」と「パイドン」だそうなので、探して読んでみようと思います。
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読みやすい。饗宴や国家は長いので、まずは初期のものから。プラトンによって書かれたと言っても、2500年も前のソクラテスの人間性、温かみ、真実を探求し述べる声が伝わってくる。
「無知の知」「ソクラテスの産婆術」などよく耳にする用語が、こういうことだったのかと、短い対話ながら理解できた気がする。善きことをする、金や名声ではなく、魂や徳を多くするよう生きる、知らないと思っている。
一方で、有識者を問い詰めたり刑罰に会食を望んだり、場所を弁えていないかのような応対に、市民の反感を買うのも納得した。この本に「クリトン」も収録されていれば良かったのに、それだけが残念。
「死というものを誰一人知らないわけですし、死が人間にとってあらゆる善いことのうちで最大のものかもしれないのに、そうかどうかも知らないのですから。」
「そして、私にとっても皆さんにとっても最善になるように、私について判決を下されるよう、あなた方と神にお任せします。」
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昔学生のころ絶対に読んだのだが。(読んだことだけは
覚えているのだが)全く覚えていないもので。
大まかな内容は当然しっているのだが、詳細は全く
思い出せなかってです。でもまた読めてよかったと思います。
光文社のこの文庫シリーズは非常にいいと思うので、
もっと多くの古典を新訳で発売してほしいと思います。
ソクラテスの無知の(知)恥の本来の意味合いが、
少しわかったような気がします。
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フィロソフィア:「智を愛する」とはどういうことか。ソクラテスはその命を懸けて証明した。わかりやすい。
ソクラテスも知識人らしく、他人の気持ちを読めない空気を読めないアスペルガーっぽい所があったっポイな。でも、他社に迎合しないその姿勢は、高潔で、勇気があるようで、強い意志を感じる。
しかし、それだけでもなかったんだろうな。やっぱり対人関係が不自由だったんだろうな。でもそれゆえに死ぬことになった。
ソクラテスが最も愚かと言ったのは、「無知の恥」
知ったかぶりの人間ほど醜い物はない。「智識は無限」である。どんな知者でも、何でもは知らない。知っていることだけを知っているのである。羽川翼もそう言っている。持てる知識の多少をひけらかすのは愚か。謙虚に自分の知識を増やし続けること、学びを愛することが正しい態度。
「無知の智」を自覚しよう。学び続けよう。
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解説がいい。見逃しがちなポイントが照らされている。
無知の知、なんてソクラテスは一度も言っていない。
無知の認識、あるいは無知の疑惑を自覚しているだけ。
自分は無知なのではないか?という疑いを抱いて、本当かどうか確かめるため、色々な人に尋ねて回る。
それが結果的に他者の無知を暴くことになり、嫌われ、疎まれる。
確かに、嫌われるでしょうねー。
弁明でも、全く主張をまげず、挑発的ですらある。
昔からの批判に対する弁明が今でも古びない主張。後はおまけで、時代背景を感じさせるピントはずれな弁明。神関係ないし、政治家にならない理由なんて知りたくはない。