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投稿者:ポンタ - この投稿者のレビュー一覧を見る
王虎の息子王元が主人公の物語。王元はアメリカへと行くことになる。そして、そこで運命の人メリーと出会う。どうも、この作品は評価が割れるところだと思うのだが、私はこれは凡作であると思う。どうも、どこか違うという感触を拭えない。
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物語は王家の三代目に。時代は近代に渡り舞台の雰囲気も一気に変わります。三代目の王淵は自分に正直で生真面目。一番好感が持てますね。革命が起こり;波瀾万丈です。読みごたえ充分。ラスト一冊が楽しみ。
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愛する妻に裏切られた王虎将軍は、自棄になって二人の妻を娶り、男児と女児が一人ずつ生まれる。王淵は祖父の血を引いて土地への愛着を持った青年に育つ。革命運動が中国全土を覆う中、王淵はいとこの猛に導かれて革命党に加わるが、捕えられ死刑になるところを、王一族に大金をはたいてもらって救いだされ、アメリカへと逃れてゆく。
時代はこの巻から大きく動き、旧社会から新中国への革命への機運が高まってゆく。
父との対立の末、自由を求めて妹の母のもとへ足を向け、そこで新たな生活を送る中で淵が感じる葛藤や、かねてから憧れていた農作業などが、少しずつ淵を変えていく様子がおもしろい。
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前半は王虎を中心に話が進むが、後半から主人公が王虎から息子の王淵へと移る。
読んでいて面白いと感じたのは主人公たちの親や生きがい、女に対する感じ方を3世代という長いスパンで見つめて比較できること。
これは読み手の年齢によって共感できる部分もかわってくるんだろうなと思う。自分が若者→中年→ばあさんになったときに読んでどう感じるかというのが知れたら面白そう。
とりあえず今読んで感じてるのが老人への興味。王虎の変化には驚いた。ほんとにこんな何事に対しても淡白になるのだろうか。
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王虎から王淵へ。
一地方の支配者としての地位を盤石にした王虎が自分の後継として期待をかける一人息子の王淵は、軍人として生きること(=父に生き方を支配されること)を嫌い、むしろ王虎が嫌う”大地と生きる”農民に憧れる。
世代(旧世代/新世代)や生活圏(都会/地方)の違いが、そのまま考え方の違いになっていて、互いが互いに不満や不理解を抱く構図って、どの世界にもやっぱり共通することなんやろうか。
物語が進むにつれて、個人的に設定していた時代背景が、近世から近代に修正された。
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前半は2巻から継続して王虎がそのまま主人公。
勇猛果敢だった王虎が老けて、だんだんと枯れて孤独になっていきます。
さらに息子を愛するあまり、執着して、彼からも離れられていきます。
けっこう悲しい前半。
後半から、その王虎の息子・王淵が主人公。
この息子、いままで主人公だった王龍や王虎と違って覇気がないタイプ。
でも、どの主人公よりも自分に近いタイプで、やっぱり悲しい後半……
中国が舞台の『大地』なんですが、巻が進むにつれて、目まぐるしく近代化していきます。
で、人も考え方もドンドン変わっていくんで、読んでいて、その変遷が面白いと思いました。
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王龍の孫である王淵は自分の土地こそが自分の故郷であることを悟り田畑を耕すことに専念する。しかし、息子に軍人になってほしい王淵の父は王淵に反発する。父の態度に嫌気がさした淵は逃げるように都市部に住んでいる母に身を寄せる。やがて、王淵はいとこである猛の誘いにより革命運動に参画する。しかし、革命は失敗し外国へ亡命する。
今回の第3巻において切望するところは自分の名誉に固執する淵の父と親から束縛されない自由を求める淵の対立から編み出されることを読者自身が読み取ることである。
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王龍の三男王虎、そして孫の王淵に主軸が移っていく。名誉、富とも生活に苦労しない孫の世代になってくると、家という強い意識より、若者から生まれてきている新しい思想や考え方に感化され、より個に、個の自由になっていくように思う。
虎のひげを引っ張るなとまで言われた厳格な父・王虎のがんじがらめの生活を嫌っていた息子王淵が、父を愛するようになる。子が親を超えたとき、親から開放されたと思う時から、その親を愛せるようになっていく過程があり、社会にあっては偉大でも、親として偉大である続けていると、危うい親子関係となり、王虎の失望と老いがこの危うさから抜け出ていく。世代交代ごとに繰り返されていくんだな、と思う。
結婚感の変化は時代の変化を思う。
ただ面白いことに、若者が「救国」の名のもとで革命を起こそうとすることに対して農民たちは自分達の暮らしに関係ないものと捕らえている。文革、近頃の「愛国」デモと重ねて見ても、主張を完全に理解しなくても熱くなってしまう国民性がみられた。
王淵も自分の問題を「救国」にすり変えてしまっている。
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最後の
『だけど、あの土地は-僕が帰朝しても、あれだけは必ず残っているんだな。土地だけはいつまでも残っているんだな-』
には感動した。
そうか、こう繋がるのか・・・。
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中学生の頃、母親に勧められて、夢中になって学校で読んでたの覚えてます。
しかし、もう忘れてしまった。中国の壮大な話しだった記憶はあります。
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王龍の子供達の時代から孫達の時代に変わり、いろいろな考え方の違いなど、新しい価値観へ世界が変わっていくなかで「最後には土地が残る」という王龍の思いが、王淵にも受継がれる不思議ですね。
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いつの時代の出来事なのか、正直年表がほしいと思った。
それと、なんといっても淵。彼の思い込み度といったら、どうしようもない。
まっすぐで努力家で地道であることを恐れないたくましかった王龍(女好きだったけどね)
義理深く愛に深く正義と力に生きがいを見出した王虎(先見の明がなかったけどね)
優しく思い込みが強く素直な淵。
一番魅力的だったのはやっぱり王龍だろうか。
それら若者が老い、愚かな老人へと変容してゆくさまを、作家は容赦なく書き出す。
それは中国という国もまた同じなのだろう。
国は若いほど力と魅力にあふれているのかもしれない。
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小さな村の一角から始まった物語は、海沿いの租界地へと移り、主人公も王虎(ワンフー)からその子王淵(ワンユアン)に変わる。古い世代と新しい考え方との板挟みで悩む。いつの時代も子どもは親の思い通りには決してならないものだと王虎は自分の若い頃を振り返って思わないのか、不思議だ。王虎が王龍の言うことを聞かなかったように、王淵も王虎の言うことを聞かない。しかし!この本の最後で劇的に場面は展開する。
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淵の逃亡劇の巻。
土地に縛られない生き方に憧れた人々だが、結局、裏切らないのは土地だけだった。
最終巻へ
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主人公は王虎から王淵へ。大地に固執し愛した王龍に対し大地への従属を嫌い武を選んだ王虎。王虎の子王淵は、王龍と同じく、王虎の道を否定し再び大地に戻った。しかし王淵の「大地」は憧憬であり生活ではなかった。王淵は馴染まぬながらも都市に生活し合間をぬって農耕に勤しむ一方、農耕を生活とする貧民層を嫌悪し蔑如する姿は、桃源郷への望郷に近しいものがある。
王龍と王淵の観念は同じようで本質は全く異なる。時代は繰り返さずとも螺旋に進む故であろう。本作品が出版されたのは1931年であるが、孫文による革命の気運と成就がなった時代でありそうした時代の空気の移り変わりを巧みに捉えた小説である。