紙の本
李陵と蘇武の活躍
2016/08/01 20:28
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投稿者:しゅん - この投稿者のレビュー一覧を見る
武帝が年齢とともに暴君化し、臣下を見る目が曇り、悲劇を引き起こす。
李陵、蘇武、司馬遷それぞれが、死を深く考えることになり、そこから生きる道を進む。
その先どうなるのか、楽しみである。
大変面白い。
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権力を背負った人間の自然の姿…
2015/08/25 17:18
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投稿者:sin - この投稿者のレビュー一覧を見る
武帝(劉徹)の理不尽な振る舞いに目を背ける人は少なくないだろう。しかし、この変貌ぶりこそが絶大な権力を背負った人間の自然の姿なのではないだろうか?唯一、司馬遷のみが己の記す竹簡の中にその武帝の姿を映し出していく、はからずも武帝はその記録に置いて不死となって語り継がれていくが、彼の従僕である衛青、霍去病や李陵も等しく後世に語り継がれていく。時の流れの中では貴賎の区別などは無きに等しい。死の影は時も場所も、人も選ぶことはない。
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★2013年12月30日読了『史記 武帝紀五』北方謙三著 評価B+
李陵は、漢軍の大将軍で守りの戦いでは匈奴に恐れられた李広将軍の孫。
李陵は劉徹(武帝)からの輜重担当の司令を拒否、自ら志願して鍛えぬいた歩兵で匈奴に立ち向かうが、騎馬に対する歩兵。少ない歩兵で激戦に敗れ、捕虜となる。
匈奴の単于 且鞮候(しょていこう)に勇敢な戦いを評価され、李陵は厚遇される。且鞮候の息子である狐鹿姑(ころくこ)と次第に友好を結ぶ。しかし、漢軍の降将李緒の讒言により、李陵は匈奴で漢軍を攻撃したことになり、劉徹(武帝)は怒りから李陵の一族は殺されてしまう。この族滅にショックを受けた李陵は、匈奴の将軍として生きていくこととなる。
一方、匈奴へ漢からの使者として赴いた蘇武は、捕えられ、シベリアのバイカル湖あたりまで連れて行かれ、一人荒野に残される。そこで、蘇武は、厳冬を生き抜く術を編み出し、次第に大地に生きる事に生きる意義を見出していく。
さらに、司馬遷は太史令という史官を務めていたが、李陵の戦いを弁護する発言を劉徹(武帝)に直言し、怒りを買い、腐刑を受ける。その後中書令として、劉徹(武帝)のそばで、その記録を淡々と記す事となる。
劉徹(武帝)の長い部下である桑弘羊は、体調を崩し、大司農を退き、捜粟都尉として、国の先行きを考える役職に復帰する。その中で司馬遷の書く記録を読んで、その中に思いもよらぬ劉徹(武帝)の死への恐怖を発見する。
匈奴の単于 且鞮候(しょていこう)は突然倒れ、その息子である狐鹿姑(ころくこ)が単于を継ぐ。力を盛り返した匈奴は、再び南下し、豊穣の大地へ十数年ぶりに戻り、漢は、長すぎた劉徹(武帝)の専横と独断の為に次第に国としての力は下り坂へ向かう。
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李陵が匈奴戦で5千兵と共に戦い、最後は降服。自裁を止められ、匈奴の中で暮らす。その後の家族族滅を聴き、とうとう匈奴として生きる。
蘇武も捕まり、北の地でサバイバルをしていく。1,2,3年経つごとに知恵が付き、とうとう、狼を犬のように飼い慣らし、最後は熊を捕るところまでになる。司馬遷は李陵をかばったことで腐刑に去れ、劉徹のそばで、行動を書き記す中書令になる。さてさて話は淡々と進むがどうも話の一番の盛り上がりはもう終わった感じがするのは自分だけ?
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司馬遷の腐刑、李陵の族滅といった過酷な刑罰を科す武帝。年老いて若き日の武帝の姿はなく、次第に暴君と化していく姿は、見ていて、恐怖さえ感じる。理不尽さに対する怒りが芽生えてくる。前半の退屈な英雄譚を脱して、物語は佳境に入ってきた。
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ともに匈奴にとらえられた李陵と蘇武。この幼なじみ二人の漢に対する忠と信念の対比、そして生きるということの描写が読ませる。そして司馬遷。これまで以上に人間にフォーカスした巻になっている。
それにしても、著者は中島敦の『李陵』を愛読したとされ
、本書にもその影響は少なからずあるはず。その上で、両作品の違いが面白い。読み比べてみるもまたよし。
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北方版「李陵」であることは公表されているので、そのつもりで読んでいる。だとすれば、この巻がクライマックスになるはずである。どうしてあとニ巻も残っているのか不思議なくらいである。
李陵は遂に匈奴と全面対決をして捕らえられ「族滅」(武帝の逆鱗に触れ一族皆殺し)を受けて、慟哭する。
司馬遷は李陵を擁言し宮刑(睾丸を抜き取られる刑)を受け、慟哭する。
匈奴に捕らえられた蘇武はバイカル湖の畔で哭くことなく独り三冬を越す。
漢(おとこ)は、それでも立ち上がる。どのように立ち上がるのか。それがこの小説の最大の見せ場である。
自分は生きている。漢の李陵は死んだが、匈奴の李陵として生きている。そして、男としての誇りも、失っていない。
男らしく生きたかっただけだ。そのために、幼いころから武技を磨き、軍人になった。もっとも男らしく生きられる場所は、そこだと思ったからだ。
戦に出るのは、死ぬことだ、と教えてくれたのは、祖父の李広だった。祖父は自裁というかたちで死んだが、それもまた戦だったのだ、と衛青は言った。
男らしく生きられる場所が、いまはもう、ここしかなくなった。(356p)
日々は過ぎていく。
なぜ死ねないのか、ということも、少しずつわかってきた。男ではなくされた。しかし、心の男まで失っていない。心の中の男は、志を持っていた。憤りの中で死んでいった、父から受け継いだ志である。
(略)父が記述したものを、再び読み返した。自分が記述したものも、読んだ。
なにかが、足りない。そう感じた。
それからは、足りないものがなにかを、見つけようとする日々になった。
もっと、いいものが、書ける。書けるはずだ。ただ記述すれば、人は感情に左右される。思いこみたい、という欲求もある。しかし、それは歴史の記述ではない。(184p)
「生き延びたのか、蘇武」
「ああ」
「羊も、食わなかったのだな?」
「食わない。あれが仔を産んだら、俺は帰れるのだから」
「雄が仔を産むかよ」
「産むさ、いつか」
捜牙支は、呆れたような顔をしていた。(略)
それから捜牙支は穹盧の中を見回した。
「こりゃ、大したもんだ。これだけできるとはな。まあ、俺は望みはない、と思っていたんだが」
「運がよかった」
「運だけじゃねぇさ」(164p)
そして、武帝は独り老いてゆくのである。
2014年1月20日読了
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悲劇だらけの巻。
理不尽なことからの現状をひとしきり嘆いたあとは、その不遇の中で何か目的や意味を見出し行動する。うーん、【漢】だ。
でも司馬遷も、李陵も、蘇武も、不幸の発端は武帝だ。
それにしても何を飲もうかな。レベルで人の人生を左右する重大な決断をしないで欲しい…確かに国のトップの言っていることがコロコロ変わるのは、良くない。
でも間違えた、と思ったら迅速それを訂正、修正するのも必要なわけで。むー。
以前から李広利を過度に優遇する武帝に疑問を持っていたけれど、桑弘羊の言葉にああ、と思う。それだけではない、色々なものが絡まって、なのでしょうが。
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あーあ漢を支えるものは何もなくなる。史記は初めて読んでいるが今後の展開が読みづらいです。でも何故か引き込まれる世界です、蘇武はどうなるのかも気になりますし。李陵、司馬遷も新たな境地に入るし、とりあえず6巻読もう。
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久しぶりに、史記の続編を。
3.4巻がつまらなくなりつつあったので、しばらく間を空けてみたんだけど、5巻は持ち直した気がする。
前漢の中国。帝は、絶対的な王様として、腐った政治を行い続けている。即位した初めの頃は、部下の意見にも耳を傾けその上で判断をしていた帝も、時が経つにつれ、煩い者を退け、全てが思うままになってしまっている。
戦は負け続け、罰すべき人を罰せず、全く関係のない人を怒りに任せて処罰する。まさに、暴君。
一方で、漢の敵、匈奴は組織的な規律を身につけ、更に強くなりつつある。
国の大きさ、富、全てにおいて漢の力は強いけど、小さいながらも強い力でまとまった匈奴の勢いが今後は楽しみな気がする。
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1~5の中で一番面白い巻。動きとしてはそんなに大きなものはないのだけど、司馬遷、李陵、蘇武、劉徹それぞれの闇が明らかになり、そしてそれぞれのやり方で許容・克服していく様が面白い。特に司馬遷の私見を混ぜず、私見を言わず、職業人として「歴史を記述すること」に徹する姿勢が逆に小気味よい。
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盛者必衰の理あり。
トップにというのはあれだが、長くトップに立ち続けてしまうと、国だろうが会社だろうが、疲弊してしまう。
そして、有能な人がどんどんと去っていってしまう。
漢は劉徹は今後どうなるのか…?
李陵、司馬遷、蘇武それぞれがそれぞれの思いを抱いて、生きていく。
彼らの生きざまも注目していきたい。
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第五巻。
“理不尽”・・。この巻を表す言葉は、これに尽きるのでは?という程、過酷な不運が、李陵・司馬遷・蘇武を襲います。
そして、その運命を受け入れ、それぞれの生き方で再生していく3人の姿が、胸を打ちます。
長安では冴えなかった蘇武が、北方でサバイバルの才能を発揮して、生き生き(?)している感じが救われました。
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想像を絶する不幸や災難、理不尽に直面してもなお、自分の中にある芯を貫いて生きていく男達のなんと格好良いことか……。
でも、これを成し遂げることがこの世に生をうけた意義なんだ、って信じられるものがあると、強くなれるんですよやっぱ。さて6巻。
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第5巻。武帝は在位45年を過ぎ、徐々に暴君のような行いが増えてくる。かつての将軍の孫である李稜は、匈奴の捕虜になってしまっただけでなく、武帝からあらぬ疑いを受け、一族を処刑されてしまう。司馬遷は正論を言った咎で、重い罰を受ける。使者とした匈奴に行った蘇武は北方の地に住まわされるが、極寒の地でサバイバルしていく。
史記の後半戦を彩る人物たちの転機を描く第5巻。前半の、漢の将軍たちの匈奴との戦いを描くくだりも面白かったが、ここにきて、リーダーとは、人間とは、人生とはを考えさせられるようなストーリーに転じてきた。著者の筆力がすさまじく、読ませます。