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紙の本
思想的地震 柄谷行人講演集成1995−2015 (ちくま学芸文庫)
著者 柄谷行人 (著)
1995年以降の講演を著者みずから精選した講演集。近代文学の使命とその盛衰を反照的に論じた「近代文学の終り」をはじめ、「日本人はなぜデモをしないのか」「帝国の周辺と亜周辺...
思想的地震 柄谷行人講演集成1995−2015 (ちくま学芸文庫)
柄谷行人講演集成1995‐2015 思想的地震
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商品説明
1995年以降の講演を著者みずから精選した講演集。近代文学の使命とその盛衰を反照的に論じた「近代文学の終り」をはじめ、「日本人はなぜデモをしないのか」「帝国の周辺と亜周辺」など、全11本を収録する。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧
地震とカント | 7−15 | |
---|---|---|
他者としての物 | 16−28 | |
近代文学の終り | 29−71 |
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紙の本
新しく懐かしく
2019/11/12 04:09
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:1ベクトル - この投稿者のレビュー一覧を見る
1995年から2015年における、柄谷行人氏の講演集。この時期に出版された氏の論考(著書)を思い浮かべながら読むと、当時の雰囲気が立ち上がります。
目次 ※()内は分量=ページ枚数
1 地震とカント(9)
2 他者としての物(13)
3 近代文学の終り(43)
4 日本精神分析再考(16)
5 都市プラニングとユートピア主義を再考する(15)
6 日本人はなぜデモをしないのか(34)
7 秋幸または幸徳秋水(45)
8 帝国の周辺と亜周辺(28)
9 「哲学の起源」とひまわり革命(20)
10 山人と山姥(18)
11 移動と批評(49)
「5 都市プラニングとユートピア主義を再考する(15)」が良かったです。
紙の本
講演集だけあって読みやすい
2023/11/07 10:07
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kunkun - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の作品は学生の頃頑張って何冊か読みましたが、私には難しく歯が立ちませんでした。たまたま本屋に合ったので講演集なら読みやすいかなと思い購入しましたが、その通りでした。入門としても良いと思います。
紙の本
柄谷行人の思索の流れはよくわかる
2023/07/24 21:47
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
1995年から2015年までに行われた講演から11選ばれている。タイトルの「思想的地震」の意味は最後に述べられている。各講演の間の期間がかなり長く、収められている講演は短いので散漫な印象はぬぐえない。また、短いため消化不良の感もぬぐえない。ただ、柄谷行人の思索の流れはよくわかる。
紙の本
「建築への意思」を、われわれはけっして捨ててはならない
2017/01/25 00:25
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:前川哲夫 - この投稿者のレビュー一覧を見る
■柄谷行人『柄谷行人講演集成1995ー2015ーー思想的地震』
■2017年1月10日・ちくま学芸文庫。
■2017年1月18日読了。
■採点 ★★☆☆☆。
加藤周一がかつて述べたように*、日本では哲学や思想的領野をも文学(文芸)が担っていたことは多くに知られるところである。
*加藤周一『日本文学史序説』上下・1975年・筑摩書房。
それとはまた背景や文脈を異にするが*、近代に至ってはいわゆる文芸評論(文芸批評)が哲学・思想はもとより社会科学や自然科学に至るまでその射程を拡大し、あるいは相互に乗り入れていったのである。
*これについては充分検討すべきである。
柄谷自身は近代文学は終わった、自分は文学はやめた、と述べ*、いつの頃からか「哲学者」を名乗るようになっている。しかしながら、近代日本における文芸批評の果たした意味、またそこで柄谷自身が果たそうとした仕事の自覚性については改めて再確認、再評価すべきである。
*例えば本書「近代文学の終り」など。
普段自身の過去の仕事は振り返らないという柄谷が、本書所収の「移動と批評」において、距離を置いた言い方ではあるが、前述の文芸批評の意味を捉えようとしているのは興味深い。また、そこで未完の「言語・数・貨幣」の完成も考えられていることも言及されている点もまた大変興味深いと言える。
またカントと地震の関係(「地震とカント」)や中江兆民・幸徳秋水・田中正造の連関について(「秋幸または幸徳秋水」)、また、「隠喩としての建築」でも触れられていた クリストファー・アレグザンダーやジェーン・ジェイコブズの(反)都市プランニングに見られる、理論家(批評家)の果たした役割について(「都市プラニングとユートピア主義を再考する」)も大変興味深く思えた。とりわけ、ジェイコブズの仕事に触れて次のように述べている。
私は一人の理論家あるいは批評家がいただけで、これだけの違い*が出てくるということに感銘を受けました。ここにこそ、建築がある。そして、建築の意思がある、と思った。(……)もちろん、それは、建築家ではない私にも希望を与えるものでした。この意味での「建築への意思」を、われわれはけっして捨ててはならないと思います。(p.102)
*(評者註)ジェイコブズがいたトロントという都市が、彼女がいたことによって自然都市として栄えているということ。
一旦NAMを解散して、さらに哲学者を名乗るようになった柄谷が依然としてみずからの理論的な仕事と現実の社会を強く結びつけようとしていることがここから窺える。《「建築への意思」を、われわれはけっして捨ててはならない》との言葉を理論家も、われわれ一般の市民も銘記すべきである。
また、これと合わせて柄谷行人にとっての講演および講演集の意味についても考察せねばならぬが、これはまた別の機会に。
最後に。題名の『思想的地震』というのが、少なくとも私には理解できない。「移動と批評」ぐらいが妥当だと考える。