紙の本
古代人の心象風景と日本文学の伝統
2017/06/04 22:33
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Takeshita - この投稿者のレビュー一覧を見る
現代の我々は万葉集を歌集として「読んで」いるが、万葉の時代には今の日本語表記はなかった。当て字の漢字で書き留めたのだ。人の感慨や歎息は「語ればその瞬間に消えてしまい、記せばその瞬間に古くなる」が、それこそが「うた」であり、うたの持つ力や感動にとりわけ日本人は敏感だった。著者はうたの制作者、歌唱者、伝承者、記録者、批評者というネットワークが万葉の時代にあったと言う。ゆえに無名の庶民や防人のうたも万葉集に残っているのだ。古代人の心象風景に切り込み、連綿と続く日本文学の伝統を論じた良書。
紙の本
万葉集を後世に伝える古代の人々の強い思いを直接聞いているような良書です
2019/06/16 12:15
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投稿者:多摩のおじさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
平成に続く元号が「令和」となり、その出典となる万葉集に関する書籍が店頭を飾っていますが、元々古代史に興味があった私にとっては、
表題と「はじめに」にある「本書は、普通の『万葉集』の入門書ではない。・・・古代社会において歌とは何か、古代社会において『万葉集』
とは何であったか、を考えるヒント集、提案集」に惹かれ早速手にとってみました。
まず首肯させられたのは、「歌の流通チェーン」とは今流の表現ですが、「歌人」「歌手」「伝承者」「筆録者」「批評家」が、歌の世界を支えて
いた指摘の例示(p.49-51)、そして著者自身も足を運んだという馬場南遺跡から出土した「秋萩の下葉もみちぬ」と読める「歌木簡」を
例に、その写真と関連される万葉集の歌の紹介、さらに同遺跡から出土した八千枚以上もの土師器の灯明皿に関連した多くの人々に
光明を見せる「にぎわい行事」であったという「燃灯供養」~744年の聖武天皇、元正太上天皇、光明皇后が参列し数千の僧が動員、
また天武天皇崩御8年目(693年)にあたる御斎会も紹介され、この木簡の丁寧な墨書の状況から書き手の読み手への思いやり、更に
法会に参集した人々は、歌ったあとにその木簡を再び見て、歌われた歌を味わったのではとの展開には、まるで自分がその場に居合わせて
でもいるかのような臨場感に浸れ、著者が言われているように、「一枚の木簡が私たちと古代の歌の場とを結びつけてくれた」(p.84)
思いがしました。
また、「漢文と万葉仮名の和文をどう組み合わせるかに、「古事記」の筆録者である太安万侶は、悪戦苦闘した」(p.89-90,114)とある
「古事記」序文の記述や、山上憶良の「子等を思ふ歌」を例に、話の概要を理の文体である漢文と、その漢字の本来持っている意味を
切り捨て、漢字の音のみを借りて、繊細な心の襞を含む歌を書き留めた情の文体である和文(万葉仮名)を組み合わせを編み出した
苦労の跡を追っています。(p.106-123)
特に、その意味では「『万葉集』が、日本精神の書であるなどというのは、いわれなき俗説、妄信である。もし、『万葉集』に、日本的な
部分があるとすれば、私は、その組み合わせの味わいにあると考える。」(p.123)と、「おわりに」にある「『万葉集』は心の文化財、声の
缶詰」が、本書で一番伝えたいことだっだのでしょうか・・・
中国からの文化を取込み当時の「日本型の知識人」つまり「他文化と日本文化を結ぶ人」による「和魂漢才」(p.125)の苦労が手に取る
ように伝わり、万葉集を後世に伝える古代の人々の強い思いを直接聞いているような良書です。
歌の原文(漢文)、書き下し文、著者の訳文がセットでの記載も理解を更に深めています。
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結論からいうと、万葉集を(前から読みたかったけど)もっと読みたくなった。実をいうと、本書を読めば、万葉集を読んだ気にでもなれないかと安易な気持ちで購入した。けれど、ここには、万葉集がどんな風なことばで、どういう成り立ちで、どんな思いで編まれたのかが書かれており、具体的な中身の記述はごく限られたものだけになっていた。そう、ベールに包まれているからこそ、より魅力的に感じるわけだ。うーん、どうしよう。読めるか??? 本書の書き方、先に訳文が掲げてあるのが良い。書き下し分も何だか読めた気分になるし、漢字ばかりが並んでいても雰囲気が伝わる。万葉仮名の意味も今回初めて分かった。日本人が中国から文字を取り入れていく過程の苦難のようなものも伝わってくる。本書購入の決め手は「はじめに」にある。映画「君の名は。」は観ていないけれど、そこから「たそがれどき」ということばがつかわれるようになった経緯をしるしたエピソードが気に入った。ちょうど先日、夕方たそがれどきに自転車でやって来た複数の人々を、認識できなかった経験があり、自分の顔認知能力の衰えを感じていたところだったので、「いやそれはふつうのことだったのだ」とちょっと安心もした。「あとがき」から。「帰省子を虜にしたる一古典」(上野繁子)―著者の亡き母君がつくられた句だ。古典とはもちろん万葉集のこと。良いなあ。私も、自分の息子について、そんなふうに思える日が来るだろうか。ところで、最近、スマホでFBに書き込みをしたりするとき、あの文字入力がまどろっこしくて、なるべく、ことばをそぎ落として、簡略化して書こうとしている。そんな思いが短歌や俳句につながるのかもしれない。毎晩、日記として短歌を書いてみようかなあ。なんて。
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語ればその瞬間から消えていく運命にある。消えていく運命にある言葉や気持ちを語り継ぎ、残していく営みの中で、万葉集は出来上がっている。それを現代の私たちが読むことで、1,300年前の人が富士山を見て感動したり、孫を亡くして悲しんだり、子供を慈しんだりといったことを一緒に感じることができる。
そういう、ある意味では普遍的な営みをイメージするのにはとても良かったと思います。万葉集への興味が深まる一冊です。
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万葉集て、日本生粋ってイメージだったけど、表記やら思想やら色々と取り込んでできたものだったんだなぁ、と。
忘れてるけど、日本語自体どこから出来たんだ、って話だし。
和歌に対しての見方が改まってよかったです。
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いにしえの声の缶詰。
万葉集は、古今和歌集と比べて歌のタッチが地声な感じがする。その理由の1つとして、詠われることが前提だったということが挙げられていてなるほど納得。
伝えよう、遺そうとする者がいて、語り継ぐ者がいる。
日本語というある意味やりたい放題な言葉自体も古代の人の悪戦苦闘の賜物なんだなぁ。
ソトの事物を吸収してこそ咀嚼する力と知恵がうまれるというのも面白い。
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第1章 歌と文字との出逢い
第2章 歌を未来に伝える意志
第3章 歌の作り手と歌い手
第4章 木簡に書かれた歌
第5章 日本語を漢字で書く工夫
第6章 日本型知識人の誕生
第7章 日本型知識人と神々
第8章 消えゆく物語をどう残すか
第9章 日記が芸術になる時
著者:上野誠(1960-、朝倉市、日本文学)
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万葉集の解説というより、表題のように、万葉集から古代を読みとくという本ですね。
これが、なかなかに面白いですね。
いろいろ、へ〜と思ったことはあるのだが、大きなところでは、日本が中国文化圏の中にあって、中国から学びつつ、中国との比較の中で、日本文化の特質ということを意識し、洗練させて行った、ということかな。
山上憶良は、官位の高くない地方役人で家庭を大切にする素朴な歌を歌う人、くらいにしか、思ってなかった。
が、実は、山上憶良は、家柄はそれほど高くないのであまり出世しなかったかもだけど、遣唐史で、当時の最先端の知識人だったんですね〜。
もちろん、家族思いのいい人で、「子供は可愛くて、これにまさる宝はない」なんていう歌に偽りはないのだけど、ここで表現されているのは、仏教的な煩悩という考えへの婉曲な反論であり、それこそ人間の自然な感情を大切にする日本的な心情だという一種哲学的な主張だったんですね!
つまりは、中国とか、仏教とか、外国の偉大なものを吸収しつつも、そことの対比の中で、自分の文化を確立していくというプロセスなんだな〜。
まあ、そんな話が色々な角度から書かれてあって、最近、考えていたこととぴったりあったな。
万葉集は、天皇から庶民までの歌がのっていて、地位の差はあっても、一人一人の気持ちが表現されるのが大切にされるのが日本だ、という話があるわけだが、この話自体が、実は魏の「文選」に収められた「典論論文」の思想であるらしい。(で、この「文選」の思想が、なんだかハンナ・アーレントを想起させたりするところが面白い)
あと、竹取物語の原型として万葉集に出てくる話のなんともトホホな展開に笑いつつ、ジョーゼフ・キャンベルを読んでしまった私には、日本最初の物語である竹取物語のストーリーは、中国、そして世界各国にある物語の典型的なパターンの一つで、そこにはあまり日本の独自性はないことに気づかずにはいられなかったり。
あらためて、文化というのは、単独では存在し得ず、他者の影響、他者との関係の中で生み出されていくのだな、と思った。
が、このことは、日本文化を低く見るものではなく、日本文化を世界の多様性と普遍性に向かって開きつつ、その素晴らしいさをあらためて愛でるためのちゃんとした道なんだと思う。
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万葉集を基にした古代論。
①歌とは人の心を一つにする
②歌集の成立要件は、作りてと受けてと流通が整っている必要がある
③法会の時に使用した木簡に歌が書かれているのは、みんなと歌を共有するためである
④日記文学が成立した背景
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「君の名は」を話の枕にして、万葉集の歌をきっかけに古代のありようを語っていく、おもしろく分かりやすい書。
当時、歌は非常に力を持ってい(ると考えられてい)て、耕作人を集めるために有名歌人を呼んで宴をしたり、イベントの前に詠む歌の下書きをしておいたり。著者も引用している『古今和歌集』の「やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける(中略)力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」の通りの世界である。そのような価値観の中、どのようにして万葉集が歌い継ぎ記し継がれていったのか。
日本人型知識人とは「言語と文化の翻訳者」のことという解釈、日本的な知性は「組み合わせ」と「ずらし」によって生まれる、という話になるほどと思った。また、「ずらしの工夫」すなわち、原語の意味や原書の内容を意図的に「ずらす」ことで、独自のものを作ろうとするのが日本型知性の特性の一つ、というのも納得した。鎌倉仏教などはその典型だし、入ってきた文化をアレンジするのは現代でも変わっていない。
竹取物語の原型となった歌のやり取りは、ラノベにも通じるようなまさかの主人公無双であるが、古代においてそれほど歌の力は強かったのだろう。
巻末の、莫言に「貴方は私に『万葉集』について、どう語りたいのかい」と訊かれて、「『万葉集』は、七世紀と八世紀を生きた日本人の、声の缶詰でしょうか」と答えたエピソードが好きだ。「この缶を開けると、香りや味が蘇ります」まさにその通りだし、古代の香りや味を逃さないよう読んでいきたいと思う。
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万葉言葉から、(私の関心領域である)弥生時代まで遡る「古代」を読み解くことができないか?と思って紐解いたのではあるが、飛鳥・奈良の辺りまでしか描かれていないのは、少しがっかりした。
とはいえ、小説も書いているという著者の語り口はたいへんわかりやすく、かつ興味深いものだった。以下、面白かった処をメモする。
・アニメ「君の名は。」を大きく評価。この素の発想は、万葉集の「誰そ彼と 我をな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つ我を」を受けてのものだった。男と女、友と友、土地と人、親と子、神と人、田舎と都会、現代と古代、それら関係が、結びによって生まれるものと思い、それこそ生きる力の根源であり、日本人の信仰心の根源なのだ、と説いた折口信夫に繋がる。という。新鮮な見方だった。
・右兵衛という役名の男は、宴会に呼ばれて即興で「物の名を歌い込んだ歌」をつくる芸を持っていた。芸名で呼ばれていたために、姓名が伝わっていない。蓋し、芸名の始まりであり、芸人の始祖(これは私見)であろう。
・作り手、歌い手、伝え手、聞き手、等々と歌を巡る流通チェーンがあって初めて「歌集」は出来上がる。その背景に古代の文化、文明があり、想いがある。
・日本語や韓国語は膠着語と呼ばれる。四千年の歴史のある漢字文化圏の辺境である。よって、著しい後進性があり、だからこそ、古いものも残る。また、遅れているから、先進性を取り入れる構造も持っている。
・山上憶良は「日本型知識人」の最初期の代表である。無位無官の身でありながら、その学殖によって遣唐使に任命され、帰国後学問によって、最下位ながら貴族に列した。漢字文化や仏教思想を熟知しながら、漢字と大和言葉を駆使して、「組み合わせ」「ずらし」て独自の「大和魂」を語り残した。この型に、近代では森鴎外、夏目漱石、九鬼周造、和辻哲郎などがいるだろう。また、加藤周一もその中に入る(私見)。
・万葉集に「竹取の翁」の話があるが、竹取はしなくて、かぐや姫は現れず、九人の仙女と歌の力で結婚する話になっている。当時は仙女邂逅譚がブームだった。「竹取物語」の「異伝」というのが著者の見解。万葉集は物語文学の萌芽である。
・「文章こそ人が生きた証なのだ」という「文選」を手本にしたのが「万葉集」である。よって、天皇から庶民まで登場し、文は個人の思いを述べるものであり、詩歌は個人の情を伝えるものであって、そこに身分の上下など関係ないはずだ、という思想がある。もちろんどちらも貴族文学だから、それが徹底されていたわけではない。でも、積極的に「オールジャパンの歌集」を演出している。
・著者は、奈良大学のゼミナールがこの本の元だと謝意を表している。しかし、「睡魔と闘いながら粘りつよく話を聞いてくれた」「十哲には、あらためてお礼を申し上げたい」とかなり「あとがき」とは思えない皮肉を書いている。蓋し、こういう人なのだ。
2019年1月読了
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元号が「令和」となって、書店に「万葉集」本の紹介コーナーのようなのが増えている。改元はちょっとした「万葉集」ブームを引き起こしているようだ。
しかし、本書はそのブームの前に出された本で、著者は「本書は、普通の『万葉集』の入門書ではない」と述べており、本書は「古代社会において歌とは何か、『万葉集』とは何であったか」を考えるヒント集、提案集としている。
まず最初に面白いなっと思ったのは、歌の流通チェーンの話。そもそも、今から1300年前の歌が現在もこうして読まれ、語られていること自体不思議な感じがするが、それが著者のいう、この流通チェーンによるものと考えられる。
古代の歌は、「歌を作る」人だけでなく、「歌唱する人」「歌を伝える人」「歌を記す人」「歌を理解し批評する人」たちに支えられているという。当時はそういう役割の人(職業的にその役割を担っている人)がおり、歌を後世に残していく努力をしていた。万葉集が現在も語られているということは、これまでの期間、連綿とそういう役割をしてきた人たちがいたということだ。
次に興味深かったのは、出土された木簡。木簡とは細長い板のようなもので、そこには歌が書かれている。その文字が漢字の羅列であったりするが、それが当時の日本独特の言葉の伝達方法だったということを知ることができた。日本の言語文化という視点でみても面白かった。
本書では、聖武天皇の奈良の大仏建立や、遣唐使壮行の場面なども登場する。本の扉をめくって1300年前にワープしたかのような感覚だ。
当時は、そういうイベントにおいて、必ず宴の場があったという。そして宴では歌が詠まれるというのが決められた様式のようでもあった。そこには、必ず「作る人」「歌う人」「記す人」「批評する人」たちがいたのだ。
本書には、著名な二人の歌人、山上憶良と大伴家持がと登場するが、これらの二人についての記述も非常に興味深かった。
山上憶良は、儒教、仏教、道教、老荘思想に精通した天平時代を代表する知識人だったと著者は述べていた。なぜだか野菜のオクラをイメージしていた私は非常に失礼なことをしてきた(笑)。
また大伴家持の歌日記についても、とても興味深かった。家持はビッグイベントで歌を披露するチャンスに最高のパフォーマンスが出せるよう、事前に歌日記を用意していたという。
出席するイベントがどういうものか、出席した天皇を喜ばせるには、他の参加者を唸らせるには、といったことを十全に事前検討し、いつ指名がかかっても大丈夫なように歌を事前準備していたという。非常にビジネスライクだと感じたし、家持は優秀なプレゼンテーターだったのだなと思った。
そういう家持もせっかくの準備が没ったこともあったり、それでもそれらの情報の蓄積を次回に生かすツールとしたりと、なかなか天平の時代も大変だったのだと胸の内で苦笑いをしてしまった。
著者の「万葉集は、七世紀、八世紀を生きた日本人の声の缶詰」、「万葉集は、言葉の文化財」という言葉が印象的だ。
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万葉集の歌の解説ではなく、万葉集そのものから読み取れること、万葉集が後の時代、文学に対してどういう縁を「結び」繋いできたか、そんな背景や役割について掘り下げていたと思います。
読めば、日本語の成り立ちや特色についても分かるし、万葉集を作り上げてきた人たちの想いも受け取れると思います。
歌を残したいと思う意志があって、歌を残す技術を持つ人たちがそのために尽力した。
二つの確固たる意志があったからこそ今の時代にもこうして残っている万葉集。
ただ歌を楽しむだけでなく、万葉集が今の自分たちに繋がることに何を残してきたか、その辺りのことも掘り下げて考えてみるのも、万葉集を読む楽しみなのかもしれません。
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令和元年にあたって万葉集関連の本を読もうと選択。かねてより上野誠氏の万葉集解説の身近さはしっていたので面白く読めた。文字で記録することの重要さ。漢文、万葉仮名、の使い分けなど興味深い内容。
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こんな話を高校時代に聞いてれば、古典が好きになったかも。学習要領にもないし、受験にも関係ないから仕方ないか。大学でやっと教えてくれる(先生と一緒に議論しながら考えていく)内容だね。
そういえば数学でも、当時は何の役に立つかわからなかった微分積分も、いまでは仕事で大いに役立ってます。解き方も、考え方も。
自己啓蒙度:★★★★★