紙の本
「支えること」によって「支えられている」。ちょっとドキリとさせられる。
2019/02/14 16:38
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投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
2020パラリンピックも近づき「障がい」について考える本も増えてきた。きれいごとで終わるようなものも多いが、本書のような「ちょっとドキリとするが気づかされる」本もぜひ目を通してほしい。
2003年刊行の「こんな夜更けにバナナかよ」。映画化されたので聞き覚えのある人も多いかと思う。一見「わがまま」のようにだけ思えてしまうかもしれないこの「夜更けにバナナ」という障害者への感想もひとそれぞれだろう。著書の作者が、本を書いた当時からさらに積み重ねた言葉には気づかされることが多かった。
「障がい者に価値はあるのか」というところから2016年に起こった殺傷事件から始め、本書は「人間・人間関係」について考えていく。障がいを持つ人とはどういう人か。持たない人にとってどんなものと考えればよいのか。
例えば「ボランティアをする側の気持ち」。「なぜボランティアをするか」もつきつめていけば「自分も何かできる」という欲求を満たしている気持ちがあるだろう、というのだ。「自分の価値を見つけたい」欲求は誰にでもある。その欲求をボランティアで満たしているとすれば、お互いに与えあっているとも考えられる。
「自立」ということ。それは「他人の世話にならない」ことではなく「自分で決定できる」ことだと第3章にある。そう考えれば障がい者も「自立」できるはず。
こんなふうに、わかっていたつもりでもまだまだちがう見方もあるのだと思わされるところがたくさんあった。人間はどうしても自分自身の「あたりまえ」に沈んでしまう。何度かどきりとさせられた。
気づかされる場所は本書でも「ひとそれぞれ」だろう。今は「他人の世話など必要ない」人でも、事故や加齢でいつどうなるかわからない。若い人向けに書かれてはいるが、何歳の人が読んでも得るものがある(あってほしい)本だと思う。
紙の本
支え合い
2019/05/02 17:44
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投稿者:ぽんぽん - この投稿者のレビュー一覧を見る
障害者に生きる価値はあるんですか?という意見はあるよね。その人も自分が言われたらとか障害者になったらと想像してみると…そんな感じでいろんなことを考えさせられた。
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投稿者:ハム - この投稿者のレビュー一覧を見る
障害者のことを考えるお言うことは、じぶんにとってもとても大切なことだなということを、気付かされました。
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雨宮処凛の相模原事件の裁判傍聴記に、著者について言及があった。10年以上も『こんな夜更けにバナナかよ』を読もうと思いながら積読。そうこうしているうちに映画化されてしまい、あらら映画になっちゃった、でも映像じゃなくて自分で読みたいから映画は見ない、と決めていたので、鹿野さんとボランティアの話は大枠では知っていたけど『~バナナかよ』は読めてなかった。そんな負い目(?)もあり、読んでみようと思った。
一応私も専門職だから、障害について、3章4章に書かれていることは皆ひと通り、歴史や変遷、考え方も含めて学んできたし、それなりに理解しているつもりだった。わかっていたはずのことだけれども、いざ本書で取り上げられている当事者の声に触れると、その本質が深く心に刺さってくる。初心にかえる、ではないけれど、改めて人が社会で生きることについて考えさせられた。
社会や経済は、必要とする人がいて提供する人がいるから成り立っている。どんな人もどちらの立場にもなっているんだということを、現代人は忘れてしまっている。
「人は誰かを支えることによって、逆に支えられている」というのは、その経済的な面を超えて、人の存在意義にも通じている。ヘルパーセラピー効果もつまりはこういうことだし、私自身、誰かを支援するって、究極は自分のためにやっている。支援者として働くことで、金銭的な面以外で、私が受け取っている金銭以上のものが確実にあることを、常々感じている。
本書でも言われている「人間っていいものだな」という感慨を得る機会がたくさんあり、そして、人との関わりが自分に与えてくれる豊かさは、他のなにものにも変えがたい。
海老原宏美さんの、「障害者に『価値があるか・ないか』ということではなく、『価値がない』と思う人のほうに、『価値を見いだす能力がない』だけじゃないか」という言葉は、真理を突いているよね。かの被告に聞かせてやりたいわ。
さて、今度こそ『〜バナナかよ』を積読から解放しますか。
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面白かった。こんな夜更けにバナナかよ、の便乗本だと思って手に取ったが、それを包括して、じっくり論じている。読者は何らかの意見を持つことが出来る。
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『こんな夜更けにバナナかよ』の渡辺一史さんの著書。3章までは夜バナにもあった記載の要約的な側面も強いが、相模原の事件を踏まえて書かれているし4章障害・障がい表記問題や5章の海老原さんの話は面白かった。
何よりこの本がちくまプリマーにあることが大切な本。
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購入後に、こんな夜更けにバナナかよ、の著者の著書ということに気づいた。ケアがわかる本として映画を勧められて観たが、さらに理解が深まった。
障がい者のために税金を負担することの考え方など、ライター経験の長い方だからこそ書ける親近感を持てる内容と思う。
長い人生のなか、一度は読んでおきたいと思えた。子どもよりも、むしろ大人に読んで欲しい。
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なぜ人と人は支え合うのかという大命題を解いていく。といっても答えは載っていない。ちくまプリマー新書だけに示唆的にいくつか障害者との事例を出したり、制度のことや「しょうがい」に当てる漢字についても取り上げている。ちょうど執筆時期(といっても5年かかっているらしいけど)と重なっていたこともあってか、津久井やまゆり園事件についても特に殺害を図った植松聖についても触れている。
私もかつて障害者の家で泊まり込み介助らしきことをやっていたから、渡辺さんと『こんな夜更けにバナナかよ』の鹿野さんとのつき合いの様子などは、当時のことを思い出し、うなずけたり懐かしく思うことが多かった。
「しょうがい」に当てる漢字については、私の今の認識は渡辺さんと似ていて、過剰に意識することなく使えばいいと思っている。何よりも障害者自身が、「障がい」という書き方をそれほど望んでいなかったとは。こういう似非配慮らしきものが世のなかと障害者をよけいに隔絶してしまうのだと思う。
それを思えば、植松さん障害者とかかわっていたわけで、その末の曲解であろうとも、それを障害者にやさしくとか口では言いながら、かかわることなく過ごしている人が非難するのってどうなのって思う。法治国家(?)の日本で人を殺したのだから刑は科されるものだろうけど、彼なりの実体験から導かれた障害者観は、間違った考えと一刀両断にできるものでもないと思う。……この件、この本の感想とは関係ちょっと脱線してしまった。
渡辺さんはたぶん考えはめぐらすけど答えはあえて出さない人のような気がした。答えを出すということは、言い換えれば決めてしまうことであり、その答えにとらわれてしまうと物事を見る目が不自由になってしまうと思う。優柔不断に思われがちだけど、そんなところに勝手にシンパシィを感じ、考えあぐねながら書いたであろう文章にやさしさを感じた。
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筋ジストロフィーを患った重度の身体障害者と彼を支えるボランティアの生活を描いた『こんな夜更けにバナナかよ』で2003年にノンフィクション作家としてデビューした著者の3作目(20年弱に渡る活動の中で著者が3作しかないというのも凄いが、それは著者の過去2作がどれだけ凄い作品であるかということの証明でもある)。
大泉洋の主演による2018年の映画化を受けて、改めて障害者について考えたいという著者の思いをベースに、2016年に発生した相模原での障害者施設の大量殺人事件で犯人が問うた「障害者の存在価値とは何か?(価値など存在しないのではないか?)」という命題が考え抜かれている。
本書の最終章ではこの命題に対するあざやかな回答として、「価値がないと考える人には、価値を見出す能力がないだけではないか」という考え方が示される。我々は単なる地形の隆起に過ぎない富士山に対して、勝手に価値を見出している。自然現象に限らず、芸術もその典型例であろう。価値とは先験的に存在するものではなく、それを解釈して見出す側がいて初めて存在する。物事から価値を見出すというのは人間存在における重要な思考の役割の1つであり、価値を見出せないのならば、自らの思考の浅はかさを呪った方が良いということだろう。
いたずらに結論を急ぐことなく、『こんな夜更けにバナナかよ』以降に著者が考え続けてきたことが、ゆっくりとした筆で語られることで、こちらの内面にも著者の思考が浸透してくる良書。
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これだから、福祉の本はやめられないなあ、という本。
すごい人がたくさん出てくる。思いもよらなかった視点を持っていたり、行動力が半端なかったり、忍耐力もすごかったり。
私はいま、心に余裕がないが、社会福祉の最前線を知るたびに、不思議と生きていることへの無前提の肯定が得られる。
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福祉が芽生える瞬間とは、思わず誰かを支えたいと思って行動してしまう時のことだ。
つまり福祉の定義は「誰かを支えようとした行動」と言い換えることができる。
1章には2020年3月末に死刑判決を受けたやまゆり園事件の植松死刑囚の話が出てくる。
意思疎通のできない人間は「人間」ではない。だから殺した、という植松死刑囚の主張はメディアでも連日取り上げられた。
高い生産性を発揮する人間にこそ価値があるという近代資本主義の考え方に染まっていると、この主張にすぐさま反論することは難しいと思う。自分もそうだった。
だが、この本を通じて、
・障碍者の存在理由は?
・なぜ障碍者に手を差し伸べるべきなのか?
・障碍者の存在が社会をよりよくした事実
・障害を通じて考える本当の「自立」とは
・他者を支えることで感じる生きがい
・サービスを仕組化(サービス提供者と対価を支払う人の関係)することによる当事者同士の思いやりや本音でのぶつかり合いの欠落
・多様性を認め、気が付かなかった価値を発見しようとする姿勢
などと今まで考えてこなかったことを考えさせられた。
良い本だった。
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素晴らしい新書だった。いろんな人に配りたい。
障害者の話?と倦厭している人にも「人間のコミュニケーションの話だよ」と強くすすめたい。
福祉とか介護とかの話題には、なぜか偽善的な思い込みがつきまとう。しかし、なぜそう思うのか? なぜ私たちは(本音は)障害者を避けようとしてしまう、あるいは深く考えまいとしてしまうのか?
著者はそんな「普通」の感覚にひとつひとつ向き合い、障害者のリアルを紹介していく。そして、「障害」は障害者自身にあると考えるのではなく、それを受け入れる能力のない社会にこそあるのかもしれない、という考え方があることを鮮やかに教えてくれる。
「障害者は高齢社会の水先案内人」など、社会が障害者と向き合い制度を改善していくことのメリットも多く書かれている。
具体的で豊富なエピソード、データに基づく客観的な意見など、とても建設的な内容となっているのも素晴らしい。そしてまさに「出会いによって人生が変わる」ことが描かれており、読み物としても大変胸が熱くなる本だった。
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映画の『こんな夜更けにバナナかよ』の作者が書いた本。
相模原の事件犯人に反論することも含めて、障害者の価値
についても書かれてある評論。
とても有意義な内容だと思います。常々私自信も
障害者は、社会のリトマス試験紙というか、生きづらさに
悩む人たちに対する対応は、社会全員に有意義な対応になり
得ると思っています。
こういう考えというか、感じ方ができる人や社会が
作られていけば、本当にいいなあと思います。
皆さんに読んでほしいと思います。
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筆者の渡辺一史さんは、「こんな夜更けにバナナかよ」の作者である。「こんな夜更けにバナナかよ」は、筋ジストロフィーを患う鹿野靖明さんと、彼が亡くなるまで、彼の介護者として関わった多くのボランティアの物語だ。私は、つい先月に読み、大いに心を動かされた本だ。
「こんな夜更けにバナナかよ」は2003年の発行。本書「なぜ人と人は支え合うのか」は、2018年の発行であり、"バナナ"から15年間が経過している。本書を書いた理由を、渡辺さんは、「それから15年の歳月が流れ、あらためて当時の体験を、もっと広い視野でとらえ返してみたいと思って取り組んだのが本書です。」という説明をしている。
第1章は、神奈川県相模原市で起きた「やまゆり園障害者殺傷事件」を取り上げ、植松被告の主張を実際の障害者の例をひきながら、丁寧に考察している。
第2章は、上記の鹿野さんおよび鹿野さんボランティアの人たちとの出会いを振り返っている。
第3章では、「"障害者が生きやすい社会"は誰のトクか?」と題して、障害者福祉の進展の歴史をさかのぼっている。
第4章では、障害者の表記の問題、「障害者」なのか「障がい者」なのか「障碍者」なのか、ということを、これも丁寧に検討している。
第5章は、総括として「なぜ人と人は支え合うのか」ということについての渡辺さんの現時点での考えが述べられている。それは、支え合うことによって(というか、もう少しシンプルに触れ合うことによって)、人は、また、人と人との関係は変り得るし、成長し合えるからということだと理解した。
渡辺さんは寡作の作家だ。
私の知っている渡辺さんの著作は、「こんな夜更けにバナナかよ」の後は、「北の無人駅から」と本書「人と人はなぜ支え合うのか」だけである。"バナナ"が2003年の発行なので、約20年間に3冊である。書いておられるものを読むと、決して多作にはなれない作家ということは分かるが、もう少し書いて欲しいな。
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あわれみの福祉感、まさに、自分の中にあった障がい者への気持ちを言い当てられた具合の悪さがあった。
確かに、かわいそう、気の毒、頑張ってる、24時間テレビ的な、きれいごとが私の中の障がい者に体する意識としてあった。
後半の海老原さんの人サーフィンして生きる姿はたくましい。
ものを頼むというのは、生きていく中でもっとも神経をすり減らす作業の一つです。という言葉が刺さる。
実際、健常であることは永遠ではない。自分や、身近なひとが障がい者になったとき、
健常でなくなっても、どれだけ同じように他者と関わって行けるか=自分と障がい者の関わり方として考えないと…。