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支那と銀だよカギは。
2021/01/26 21:40
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投稿者:象太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
16世紀後半には支那を中心としていた巨大な貿易ネットワークが構築され ていたということです。主に絹織物などの手工業製品が支那から世界各国に輸出され、支那には世界中から銀が集まってきたのです。(本書より)
もううん十年前の自分の高校までの歴史学習を振り返ると、武家政権の時代は、平から徳川までの為政者の顔ぶれを中心に知識を蓄えただけだったんじゃないかと思う。歴史の流れを学ぶと言われても、ピンと来なかった。自分にとっては、為政者の顔が変わるだけだったから。まあ、こうした知識は受験と戦国ドラマを楽しむミニ知識にしかならなかったわけだけれども。
でも、引用のように、支那と銀の流れを目に浮かぶように説明されると、時代が大きく変わったことが伝わる。今の日本史の教科書も、ずいぶん経済のことが詳しく書かれていて、自分の受けた教育が古かったなと感じる。
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後書きがいい
2021/03/08 17:38
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投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る
信長 秀吉の活動の記述が中心の巻である。高校の頃の歴史の授業から始まって様々な小説 テレビで描かれている二人の業績だが、経済を起点に見るとこのように見えるのだと 感じた。「下部構造が上部構造を規定する」というマルクス経済学の言葉を思い出した。(著者は嫌がるだろうが)
後書きの 信念や信仰よりは 損得勘定のほうが 正しい場合が多い という言葉に妙に納得してしまった。
紙の本
いろいろと考えさせられる作品である。
2021/01/23 22:24
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投稿者:FA - この投稿者のレビュー一覧を見る
織田信長以前、寺社勢力が経済を握っていた。いろんな”特権”を握って、放そうとしない。信長は、中世のこれら既得権益を握って離さない者たちとの闘いを繰り広げた。でも、これは信長だけではなく、ちょっと賢い殿様なら、考えつくだろうから、日本国中、「信長」がいたのではないかと思う。「楽市楽座」は信長の専売特許のように思っていたけど、そうではなかったのではないかと。名も知れぬ”信長”がいたと思う。
豊臣秀吉の文禄慶長の役も、本当に無謀だったのか。その時点では勝算があって始めた。だから、今日、よく芝居では、出兵を命じられた家臣や大名が嫌々出兵するとか、秀吉様は変わってしまわれたとかいう科白をいう。ほんとうなのかな?
農民出の秀吉にとって家臣、兵士がいない。腹心がいない。一緒に戦ってくれるのが身内しかいない。しかし、みんな農民で、武士ではない。そのために、石田三成ら”官僚”が現れた。その”官僚”たちが殿の気持ちから離れていった。
いろいろと考えさせられる作品である。
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室町時代に続き発見が多く非常に面白かった。
歴史の教科書やドラマでは、「室町時代は武家の幕府があったものの権力を握ることが出来なかったが、戦国時代を勝ち残った信長・秀吉により天下統一された。信長・秀吉は偉大。」程度の描写であると思う。
しかし、当書を読むと信長・秀吉の天下統一は様々なパラダイムチェンジを伴う改革であることが分かった。
そのパラダイムチェンジとは、長篠の戦いにおける鉄砲隊の三段撃ちではなく、経済的な部分と、武士と大名の考え方であると思う。
室町時代において武家が力を持ちきれなかったのは、寺社仏閣が経済を握っていたからだ。
関所を設けて貿易を取り仕切り、貿易から得た通過で中央銀行の役割をする。
経済的な背景と僧兵による武力を持っていた。
これは、武家が武力を持ち征伐などをすることが出来ても求心力は寺社仏閣にあり、バランスを取り上手く立ち回っている場合には政策も安定するが、バランスが悪くなったり、どこかの勢力が強くなってしまうと対抗できなくなる状態であったのだと思う。
信長の経済における功績は、この神社仏閣の行なっている関所や貿易など資金を抑え、経済と政治を包括的に行なっていったことだと思う。
また、武家側の改革として荘園の石高見える化として行なった検知は、画期的なことだったのだと思いました。
というのも、それまでは武家の明確な評価も行われず、優秀な武将に遠征させようにも自分の領地が遠いなどの問題が起こっていた。
秀吉による朝鮮出兵も納得の行くロジックであった。
信長が創業者なら秀吉は経営者だったのかもしれない。
同じパラダイムの中で動く分に優秀であったが、異なるパラダイムにおいて立ち回れることが出来ずに、日本で成功したから海外に出ていって失敗する企業と同じなのかもしれないと思った。
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大名たちだけでなく、寺社・庶民・海外(国際貿易、交渉)まで含め、経済面から丁寧に解説されていて、とてもよくわかる。
当時、とんでもない動乱のただなかにあったことも。
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織豊時代は著者も力が入ったのか、歴史の「もしも」に触れる記述が多かった。大陸の先進技術、輸入品などで財力をました宗教勢力が、自衛のための戦力を保持する経緯もよくわかった。そして、宗派を優先させて国家を考えない勢力から、信長から秀吉にかけてその権力を削いでいく動きも納得できる。海外からの銭貨に頼ったのは、日本に銅を精製する技術が乏しかったためで、経済の原則からデフレとなり、それが米本位制につながっていく。もし、信長が暗殺されずに、金銭を主体とした経済が発達していたとしたら……?!
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貨幣の観点から歴史を視る点が相変わらず面白い。秀吉の朝鮮出兵についてすっきりとした意見がまとめられている。ただし、マニラに出兵すべきであったなどと言う怪しい主張もあるし、明や朝鮮について客観性に欠けると思われる記述も多い。主張自体は自由であるが。
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6月に入手して9月に②巻かあ
一度読んだ気になっているから
改訂後も手がでないな
戦国時代の国際関係は興味深い
「銀の島」って本が面白かったな
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上念氏の本は以前から読んでいたのですが、最近ネットにて「経済で読み解く日本史」のシリーズとして全5巻セットが文庫本で出ていることを知りました。文庫本なので持ち運びがしやすく、どこででも読めて助かります。
第一冊目は、安土桃山時代②です~
以下は気になったポイントです。
・デフレとは、需要そのものが喪失しまったのではなく、人々の需要がお金に向いてしまっている状態のこと。つまり人々はお金を貯めることに熱心で、モノを買うことには消極的になるのでモノは売れなくなる(p12)
・日本国の財政状態はIMF財政モニターによれば日本の純債務はゼロ、債務総額1000兆円とは、貸借対照表のわからないド素人が増税したい官僚の言い分をコピペしているだけ(p15)
・戦国大名たちは淘汰されることで大型化し戦争は大規模化していく、それを支える補給のロジスティクスを整備した結果、生産性があがり市場は多くの貨幣を求めるが、銅銭の供給源であった支那は銅銭の使用をやめてしまった、資源枯渇も一因だが、銀貨の使用(当時の貨幣経済革命)もある、日本から大量の銀が流入した(p18,119)
・信長の功績として、中央銀行と不動産デベロッパー、商工ファンドを合わせたくらいの巨大な力を持っていた寺社勢力から経済政策の主導権を奪い返した点は高く評価できる、寺社勢力と敵対していたばかりではない、1582年の伊勢神宮の式年遷宮には3000貫もの大金を寄付している(p42、45)
・織田信長が焼き討ちしたのは、比叡山延暦寺(天台宗)、近江百済寺(天台宗)、長島一向一揆(浄土真宗本願寺派)、越前一向一揆(本願寺派)、安土宗論で日蓮宗弾圧、和泉槇尾寺(真言宗)、甲斐恵林寺(臨済宗)、1571-1582年にかけて、宗教弾圧は政治的・軍事的に基づくもの(p46)
・教科書では、友好的な日明貿易が倭寇によって壊されたような書き方だが、倭寇が登場する原因は、経済の発展に追いつけなくなった朝貢解禁体制の破綻である。明が貿易を自由化していれば、朝貢よりも自由市場(互市)をメインにしていれば倭寇の発生する余地は無かった(p54)
・鐚銭(びたぜに)の実勢レートを領主が追加で公認するお触れを「撰銭例(えりぜにれい)」と言う、室町時代に良く出されたが、信長も盛んに出したが失敗した、その理由は16世紀前半から支那からの銅銭の流入が大幅減少した(p58、61)
・当初は長曾我部を利用した四国統一(明智光秀担当)を考えていたが、三好と秀吉の連合軍が伊予・讃岐の侵攻に成功、淡路島の安宅氏(水軍)も織田方についたので、三好を使うことになった(p95)
・1547年最後の遣明使が大内氏によって派遣された、それ以降はお互いに密貿易で関係を持続した、ポルトガルとの互市は公認した明朝であったが、日本は警戒された(p111)
・当時の支那における銀の価値は日本の1.5倍であった、このころ欧州では金と銀の比価は、1対12、日本では1対10、中国では1対7であり、膨大な外国銀の流入にもかかわらず、なお銀の価値がかなり高かった、このため購買力の大きい中国に日本や大陸の銀を運び、そして中国商品を輸出すればその利益率はいっそう高くなった(p124)
・秀吉が金貨、銀貨の導入よりももっと高く関心を持っていたのは、「検地=田畑のデジタル化=石高制への移行の前提」と「石高制」の導入である(p145,161)
・1585年は秀吉にとって画期的な年である、2月に毛利氏との交渉成功、同月には信長次男・信雄が臣従を誓った、4月には和泉・紀伊の一揆を鎮圧、8月には四国と越中の国分が終了、このときに、「全所領国替え」を行った(p162)
・1585年に紀伊国で行った「刀狩」が最初、1588年(教科書に掲載)よりも早い、刀狩は、城割・検地とならぶ、豊臣化政策の三本柱となった、これにより土豪たちは、職業的な武士として城下町に住むか、武器を捨てて農村で農民になるかの選択を迫られた、これはまさに室町的権門政治の打破となった(p166,168)
・比叡山延暦寺が復興に向けて活動を開始するのは、1582年6月の本能寺の変以降である、いきなり延暦寺から復旧するのは目立つので、隣の日吉神社から着手した(p180)
・秀吉は、信長のやろうとしていた貨幣経済の導入だけは引き継がなかった、これは江戸時代に引き継がれてしまった(p228)
2019年11月10日作成
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損得勘定が大切。成功体験と認知バイアスには注意!信長や秀吉を厳しい目で表現。土地換算や、幹部人材の流動など今にも通じる政策。国内政策より、対外政策の方が記述多め。これだけ利益あるとそりゃ貿易するよね。一昔前の中国製製品の輸入を思い出した。後、引用が多すぎる感も?
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教科書で学んだ日本史に対し、本書は経済状況を与えてくれる。当時の戦国デフレにより戦乱の世の中になったのは理解しやすい。個人的には秀吉の朝鮮出兵が太閤検地に基付いたものとの考え方が面白かった。
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お金と物があれば経済理論をはてはめて、そのときの人がどのような生活を送っているのかわかるのが面白かったです。
また、シリーズを読んでいきたい。
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現在の世界経済を分析するのと同じ視点で過去を振り返っている。
そのため、過去の教訓を現代に当てはめやすい。未来に生かすための歴史学習となり、いいと思います。
過去も現在も、世界情勢については経済・軍事・地政学などの面から分析するのは当たり前であるのに、
歴史に関して教育現場では、そのような視点で語られてこなかったと思う。
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上念司さんの
経済で読み解く日本史安土桃山時代
を読了しました。
外敵に対する危機感ってこの頃からあったんだなー。
幕末からではなかったのだな。
だから信長も秀吉も天下統一を目指した。
この頃の人たちがそういう日本全体のことを
考えていたなんて意外。
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ランドパワー、シーパワーの区分けがなるほどと思いました。陸地の国家の戦略と海上国家の基本戦略は異なっている。そのことを看過すれば敗北する………。