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投稿者:テラちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「九十歳。何がめでたい」がベストセラーになった佐藤愛子氏。以来、何冊目だろうか、最新刊である。確かに巧みなエッセイの書き手とは思うが、むしろ橋田壽賀子氏との対談が抜群。にしても、96歳にして印税ガッポガッポ。目出度いのか、どうか。どのみち香典ではないか。出版社の商魂の逞しさに脱帽するしかない。「婦人公論」に掲載された一切合切をまとめて、何匹目かのどじょうを狙うのだから。
紙の本
積み重ねて50余年
2023/12/16 14:01
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投稿者:ちかしちか - この投稿者のレビュー一覧を見る
『婦人公論』に登場して50年を超えた佐藤愛子氏、通時的に見ると変化しているところの方が多いが、それが当たり前か。
しかし、モノの言い方自体は、あまり変わらぬキレを保ち続けているように感じた。
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96歳となった著者。エッセイ、インタビュー、対談と、『婦人公論』での55年の活躍から、波瀾万丈の人生を振り返る、今昔物語。
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読後感は「スッキリ!」これ、です! 歳下の私が言うのは本当におこがましいですが、生き方がまさしく竹を割った感じで、もう最高! 佐藤愛子さんはもう人生に未練はないので、次の本はもうなし。はい、私もスッキリ諦めます!
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書く力が衰えてきたという。佐藤さんの言葉にあと何回お目にかかれるだろうか。とはいえ、本作も過去のエッセイの再編と対談であった。『何がめでたい』を読み直そう。
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本文中の「今は、二言目には子どもの気持ちをわかろう、個性を尊重しなければならないということになってましてね。けど子どもの気持ちなんてわからないのが当たり前なんですよ。」 子どもの気持ちをわかろうとするけれど、ちっともわからなくて
すれ違いの私にとって、すっとする一文でした。
「理不尽や不如意は人間形成の上で必要なことだと思っていますけどね。どうでしょう?」その通りと思います。
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17)出戻り嫁き遅れ二度目3つの言葉は女はかくあるべしという観念から批判的なニュアンスを込めて作られている。まるでそれらがその人のどうにもならない人間的な欠陥であるかのように言うのだ。確かに原因である場合はあり得るだろう。しかしそれは駈けるのが下手で運動会でビリだったり転んだりする事と何の変わりもない。運動会で転んだ子供が起き上がって走る時感動して拍手を送る。人生のつまづきは新しい人生へ向かう1つの契機に他ならない。それ以外につまづきの持つ意味を考える必要はない。
20)わが国にはガンバリに対する強い讃美の精神がある。子供を抱えた未亡人が内職で一家を支えたという話は文句なしに人を感動させる。だが子供を捨てて再婚した女は冷やかな身勝手者として批判され易い。しかしどちらが善い悪いとは言えないと同様にどちらがガンバリの勇気に欠けているかだって一概には言えない。現状を自分の力で壊すというのは本当に勇気のいる事なのだ。どんなに苦痛に満ちた生活も連続している間はまだ耐え易いものである。苦しいながらも惰性が前へと進めてくれるからだ。最も大きな苦痛は耐え忍ぶ事よりむしろ断ち切る事にあると思う。それによって人を傷つけ自分も傷つく苦痛を踏み越えなければならないからだ。それを踏み越え新しく進んで行く力を奮い起こす時人生を豊富にする事ができる。不幸や苦痛の量を比較するのはおかしな話である。しかし女はややもすると比較をしたがるようだ。再婚に踏み切った女は安易な道を選んだかのように批判され当事者もまるで前科者のように肩身の狭い思いをして余計な弁明をしたりする。もっと弱い人は世間の通念に負けて心ならずも無理なガンバリを自分に強いてみすぽらしくなっていくのはつまらない事である。
58)私は強い女ではなく強くなったのだ。火の手に迫られて箪笥を担いでいるうちに力持ちになった。2度の結婚の不幸が私を鍛え私の中に潜在していたものを引き出してくれた。その意味で私は2度の結婚を後悔した事はない。
157)長生きがめでたかったのは人の寿命が短命だった昔の事。
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めっちゃ好き
娘さんの結婚式にくる人豪華すぎて羨ましい
この世には修行をするために生まれてきているっていう言葉めっちゃ好き。楽しむために生まれてはないと思う。楽しまなきゃいけないなんてやだ。我慢とかを目的にするんは絶対違うけど、自分が自分であるためにとか自分のために生きてたら、楽しまなくていいいろんな経験があるのがいい。面白い。
たぶん佐藤さんのいう甘ったれが自分なのだと思うけれど、甘ったれのまんまで佐藤さんという人間をじかに感じてみたいなあ。
この人の意見が100%正しいとは全く思わない。でも、たぶん一緒にいてめちゃくちゃ面白い人なんやろうなあ。
読み終わったあと、無性に小説が書きたくなった
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人生は理不尽な事か当たり前、近頃の子は思い通りになりすぎてる。耳の痛い話だが、育ちあがった子供達を見ていると、この本を読ませて、我慢は当たり前なんだと、気づいて欲しい。
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おばあちゃんからのすすめ第2段
あの佐藤愛子の本よっておすすめされたけど私は存じ上げませんでした。でもこのエッセイの中に遠藤周作出てきてびびった。遠藤さん授業でお世話になってます。私は遠藤さんの書く文章、訳した文章どちらも合わなくて苦手だけども、やっぱり昔の人の文章って違和感があってすらすら読めないからだと再認識。送り仮名が違ったり、言い回しが古かったり。でも、96歳になるこの本の作者佐藤さんはそれに気がついてる。自分の価値観が今の現代と違う、と。それを吸収して乗り越えよう、じゃなくて合わないし、何も楽しみがないからいつ死んでもいいって考えになってしまってる。それってもったいないなって思った。96年も生きるともうもったいないなんて思わないのかな。でも私は死ぬ直前まで未来に希望を持っていたいし楽しんで過ごしたい。
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ありゃりゃ、これは違うでしょう、って思いました。
大好きな佐藤愛子さんの本だと思って、ワクワク読み始めたのに。
いえ、そうなんですが。
96才で本を出される!!!
すごい!って思って。
でも以前のエッセイだし、インタビューだし、対談だし。
なんか出版社が無理やり出したような気がします。
愛子さん、どうぞお体お大切に。
≪ 愛子節 時代に合わず でも元気 ≫
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佐藤愛子さん、他の人が佐藤さん評を読んだことはあるが、ご本人の書いたものを読むのはたぶん初めて。
「すごい、いいところついている」と思いながら読みました。
今の時代にも、いや自粛が良しとされる傾向にある今の時代だから読んで欲しい本だと思います。昔から変わっていないところは多いなと感じました。
こんなこと言えた、書けた佐藤さんはやっぱりすごいな。
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すごいな、佐藤愛子さん。
50年以上も前から、『悪妻と言う言葉があるのに、悪夫がないのはおかしい』『離婚は恥ずかしがる様なことじゃない』などなど、
ようやく最近世の中が辿り着いた価値観に、そんな昔から気がついていたのね。
生きていくのは苦しくて当たり前と言い放つ愛子さん。
楽しくなければ人生じゃないと思って生きてきたけれど
人生折り返したあたりから、ようやく楽しいばかりがじんせいじゃないと思い始めたワタクシ、、、
苦しくて当たり前の境地にたどり着ける日がくるのだろうか。
愛子さん、まだまだお元気でいて下さいね。
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佐藤愛子さんの半生を振り返り、高齢になった今語るその人生。しかし、すごい人生を歩まれた方だなと思う。
女が一人の人間としてい生きて行ったあゆみとしては壮絶だが、それを楽しんでいるような楽天的な方であり強い人だからこれだけの本が書け、実績を残されたのだと思う。
女だから男だからではなく人はこうやって年を取って達観していくのがいいな。
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1923年生まれ、佐藤愛子さん、相性はあまりよくない方です。「気がつけば、終着駅」、2019.12発行、エッセイ集。本書を一読し、遠藤周作さんはとても魅力のある方だなと思いました。先ほど、図書館で、「文藝別冊 総特集 遠藤周作」(2003.8)を借りてきました。