紙の本
小説の醍醐味
2021/12/28 15:06
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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
2010年代に書かれた1970年代の北アイルランドを1990年代に回想している物語である。フェミニズム的作品として普遍性を持つものであり、北アイルランドの厳しさを記憶や描写の問題として前景化させる手法は見事の一言である。
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北アイルランドのこっち側とあっち側
2023/04/01 21:45
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
表題になっているミルクマンは牛乳配達人ではなくて(本当のミルクマンは彼に間違われて政府側に殺されかける)、どうやら反体制派の人、それもかなり権力を持っている人のようだ、これがどこのできごとなのか、具体的な固有名詞はでてこない、個人名さえも「メイビーBF」とか「毒もり少女」とか「義兄その3」と表記されて実名が出てこないが、作者自身がアイルランドの出身で、しかもベルファストの人というから、訳者の栩木のいうとおり、「こっちの宗教」「反体制派」「道のこっち側」とはアイルランドとの統一をめざす反イギリス派のカトリック住民サイドで、もちろん「海の向こう側」はイギリスのことだ。しばしば、話が脱線して本筋に帰ってこないのは主人公の愛読書の一つ「トリストラム・シャンディ」にならっているのだろう、そのあたりも面白いところだ
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主人公と同じく本を読みながら歩くのが好きだったが、ミルクマンに声をかけられることはなく、自転車こいだおばはんに怒られただけだった。よかったよかった。
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舞台は1970年のとある都市。長い紛争が日常化し、生活と密着しているという冗談みたいな設定だ。18歳の主人公はある日から「ミルクマン」と呼ばれる反体制組織のリーダーに目をつけられ、付け回される。それに悩まされ、半ばパラノイア状態になっていた約2ヶ月間を読者は並走することになる。救いは、ラストが最初に描かれていること。お陰で少なくとも彼女は解放されるのだ、命に別状は無いんだということが明かされるので、途中、どんなにひどいことになっても、希望を持って読み進めることができる。
後の、もっと大人になった主人公が当時のことを思い出し語ることがベースとなるのだが、とにかく読みにくくて参った。一人称の饒舌体。何度も同じ表現を言い換えたり、知ってて当然と説明をはしょったり。主人公の一存で事象の描写の解像度が極端に変わるので、驚いたり物足りなかったり、こちらはフラストレーションがたまる。ある程度読むとそれにも慣れてくるのだけれど、とにかく彼女が執拗に追いかけられ、憔悴し、しかし自分をとりまく社会の特異さで真正面から真摯に話を聞いてくれる人も望めず、四面楚歌に陥ってしまう。たった18歳の女性が。
噂は尾ひれが付きまくり、あったことも無かったこともない交ぜでまことしやかに地域住民に凄まじい速度で浸透していく。
一方、親しく付き合ってきた「メイビーBF」との仲が進展しないまま、独善的な母親には一方的に結婚しろとまくしたてられる。18歳だよ? でも、そういう時代だったんだろうな。母親は特に世間の窓口のような存在で、世間体を気にし、娘に対しては徹底的にディスコミュニケートな存在として存在する。もう、あちらでもこちらでも、気の休まる場所が無いのだ。
この「饒舌な独り語り」というのがこの作品の肝で、前半、主人公に凄まじい量の情報を投げ込まれるが、それが後半、もつれまくった糸を解きほぐしていくかのように事態が変化していく。それは様々な要因によるのだけれど、前半の抑圧のお陰で、後半、それでも辛い事態は続くのだけれど、少しずつ解放感や納得を味わえる展開が訪れる。山を越えたらもう最後まで読まずにはおれなくなるので、そこまではちょっと混乱したりしても読んでみることをお勧めします。
海外文学の良さは、知らない時代、知らない世界であってもなぜかわがことのように思えてしまう普遍性と、全然知らない、まるで想像できない世界が感じられること、少しだけでも触れられることにあるんだなあと感じられる一作。
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『サムバディ・マクサムバディが私の胸に銃口を押し当てながら私を猫呼ばわりし、殺してやると脅したのは、ミルクマンが死んだのと同じ日だった』
マシンガンの弾のように次々と吐き出される言葉。この本を選んだ切っ掛けを忘れていた頭はそこに南米の作家の作品に似たリズムを読み取る。中南米、英語圏、海の向こう、そんな言葉の連想から、トリニダード・トバゴ、ガイアナ、という国名が思い浮かぶ。違う。中々定まらない焦点が、信仰の分断という状況から、北アイルランドに辿り着き輪郭が定まる。道の向こうとこちら側、なるほど。
『要するに憎しみだ。大いなる憎しみ、七〇年代特有の』
その土地で麻薬の代わりに蔓延するのは篤い信仰心に裏打ちされたコミュニティの中の「真実」。しかしそれが噂に過ぎぬものであったり流言飛語であったりしても信ずるに足るものとして認められてしまえばそれを覆す手段はない。それを踏まえて登場人物たちの命名法を見返してみると、本名を秘匿された呼び名は匿名性を示すのではなく、コミュニティから強制されたラベリングであることを強調していることが判る。ラベルの裏にある個人のアイデンティティは一顧だにされないのだ、そしてそのラベルの影に本心を隠していれば安全なのだ、という叫びのような呼び名。
『認めないのが慣例だったし、認めてはいけなかった。というのも、この手の細かいことは選択を意味し、選択は責任を意味した。責任を果たせなかったらどうなるのか』
そんな環境の中で精神のバランスを崩した様々な人々が登場する。主人公は、20年後から当時を振り返る立場で物語るけれども、それは現在進行形で語る現実としては余りに酷な状況であったことを意味するようにも読み取れる。そんな社会の中で安定した精神を維持することは困難であったことを証明するもの、それがこの怒涛のような心情の吐露の語り。
『書き出しはこうだ。〈私の親愛なるスザンナ・エレノア・リザベッタ・エフィー様』
それが、ある登場人物の本当の名であるかどうかは判らない。しかしその名前が唱えられた後、物語は急速に収束に向かう。それは物語としては予定調和的な結末だが(そもそもミルクマンと呼ばれる存在は出だしから死んでいることが宣言されているのだから)、だからといって大団円も予感されない結末でもある。物語の結末のそんな置き方からは、「その問題(The Problem)」の根の深さを感じる他ない。
見えない縦糸。唐突に挿し込まれる横槍。原因と結果という単純な関係など実際にはどこにも無いことを意識する展開。そのやり切れない現実を受け入れる時、人は主人公のように無になるのだ。
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「ミルクマンはある日、私が『アイヴァンホー』を読みながら歩いているところへ、車を運転しながら近づいてきた」。1970年代終わりの北アイルランド・ベルファスト。本を読みながら歩くことが好きな18歳少女が、反体制派の大物から恋人としてつけ狙われる。政治、宗教、暴力、旧弊な思考に支配されるコミュニティで少女は次第に孤立していく。16歳になった時から結婚を迫る母、すべてをセックスと結びつける義兄その1、車の爆発で死んだ元彼を引きずる一番上の姉、狂ったようにケンカして運動する義兄その3、車マニアのメイビーボーイフレンド、社会問題系の女たちや毒盛りガール、原爆坊やといった奇人変人さんたち…。固有名を排した独特の語りで閉塞した社会に生きる少女の記憶を甦らせ、2018年ブッカー賞、20年国際ダブリン文学賞を受賞した傑作長篇。
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ミルクマン アンナ・バーンズ著 言葉の魔術「アリス」さながら
2021/2/20付日本経済新聞 朝刊
実に珍しい小説体験だ。まず語り手の個人技がすごい。言葉の私物化ではないかというくらいの芸当でツッコミにツッコミを重ね、ほぼ一人漫才状態。80%くらいはこちらもニヤニヤしながら読む。でも、内容は恐ろしい。何しろこの女性は脅迫され、毒を盛られ、銃まで突きつけられるのだから。
筋から言えば、これはストーカー譚(たん)だ。主人公は「ミルクマン(牛乳配達人)」と呼ばれる人物につきまとわれる。ふと気づくと背後にいたりする。男と別れろと迫ってくる。それなのに町では、二人が付き合っているとの噂が流れる。こうして「わたし」はじわじわ追い詰められる。
ミルクマンはどうやら名うてのテロリストらしい。しかも、テロリストは一人だけではない。街はテロリストだらけだ。暴力と破壊と憎しみに覆われている。明示はされないものの、舞台は1970年代の終わり、宗教紛争が燃えさかった北アイルランドのベルファストあたりのようだ。
主人公の家族や友人にも犠牲になった人がいる。ミルクマンも、最後は射殺される運命である。住民は猜疑心(さいぎしん)をつのらせ、噂が乱れ飛び、密告が横行する。そのせいで精神を病んだ人もいる。この息のつまるような環境で、18歳の女性が語る。
ところがノワールな重苦しさがない。ジョギングを日課とするこの女性は、歩きながら本を読むのが趣味。ぺらぺらと饒舌(じょうぜつ)で、口にした言葉をどんどん使い回し「あるあるネタ」を連発する。人の名前をはじめ、言葉の既得権益をどんどん引き剥がし、自分の理屈で世界を組み立て直す。その論理へのこだわりはさながら『不思議の国のアリス』の世界で、ハイテンションと横滑りと即興芸に目眩(めまい)がしそうになる。でも、文章の土台にはランナーの呼吸を思わせる安定したリズム。それで病みつきになる。魔術的な牽引(けんいん)力だ。
長い緊張とサスペンスを経て、最後は霧が晴れるようなメロドラマが待っている。やけに爽やかだ。「メイビーBF」(「かもかも彼氏」くらいの意)にしても、母親にしても、姉にしても主人公の苦労をよそに人生なかなか充実している。天国と地獄のはざまでこの人たちが死守するのは、強靱(きょうじん)な日常感覚なのかもしれない。
《評》東京大学教授 阿部 公彦
原題=MILKMAN
(栩木玲子訳、河出書房新社・3400円)
▼著者は62年英国生まれ。本書で18年にブッカー賞を受賞している。
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アンナバーンズ「ミルクマン」https://kawade.co.jp/np/isbn/9784309208138/ 牛乳配達の不気味な男性につき纏われる恐怖と、親戚や近所の人からの、思い込みや古い価値観による偏見に晒されて心身不調になる。義理の兄が最低だけど日本の小さな地方都市もまだこんな感じだろうな。装丁が話の雰囲気とよく合ってる(おわり
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事前知識がないと読み進めるのがツラい作品。事前知識がないまま、物語を読む感覚で数十ページ読んだが、内容が頭に入ってこない!でも、訳者の後書きで、北アイルランド問題を背景にしていると分かったら、それまでの数十ページがストンと理解できた。ツラいことばかりで救いがない内容だが、紛争がない日本に住む私たちも主人公が語る思いにどこか共感する部分があるはず。なかなか考えさせられる作品。
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ひょんなことから反体制組織の大物に目をつけられた18歳の女性が、社会と自分との関りに気付き、自我を捨てることなく、社会との接点を保つ術を学んでいく過程を描いた作品。
話しの筋は上記の通りなのだけれど、彼女が置かれている環境が半端ではない。
親の世代の価値観とのギャップや、大人として進むべき道への迷いなどのよくあるテーマだけではなく、反政府組織、国家、警察、宗教、国家の手先と認識される病院など、作者の生まれたアイルランドで起こっていた、アイルランド独立闘争を彷彿とさせる社会情勢が絡んでくる。
全ての住民が、体勢派なのか反体制派なのか、どの宗教に属するのかナドナド、様々な価値観で分断された社会。
主人公が語るように「政治的意見を持たないことは許されない」社会。
少しでも人と違ったことをすると「奇妙な人」として疎外され、場合によっては殺害されてしまう社会。
その社会で、自我を守るために外部との接触を遮断していた主人公に、反体制派の大物「ミルクマン」が興味を持ったことから、彼女は世間の注目を集めてしまい、日常が大きく変わっていってしまう。
世間と関わりたくない彼女が、否応なしに世間の注目を集め、事実無根の噂が噴出する。
その中で、彼女が何を学び、どう変わっていったのか。
主人公が自分で述べているように、18歳の至らなさから、当初は自分の感情をどう表現すれば良いのかが分からない。
そのためか、作品の最初の4分の一位は、話があちらこちらに飛び、少し読みにくいのだが、中盤に入る頃から、彼女の考察が深みを増し、読み手をぐいぐいと引っ張りだす。
そして最後には、自我を持ちつつも、社会との接点を保つ方法を見つけていく。
彼女が精神的に大人になっていく過程が、とても丁寧に描かれていると思う。
彼女の精神的成長に加えて、本作の大きな柱となっているのが「価値観のもろさ」だ。
実に様々な価値観が登場するのだが、そのどれもが、いとも簡単な理由でひっくり返されたり、化けの皮が剥がされたりしていく。
その様は痛快そのもので、読んでいて思わず噴き出してしまうシーンが何度もあった。
このあたりに、作者の鋭い観察眼が出ていると思う。
最初の4分の一(100ページ位)は、読み進めるのが辛いと感じるかもしれないが、我慢して読んでみて欲しい。
この作品の魅力は中盤以降に詰まっている。
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2021.5.16市立図書館
書評などで評判なので気になって予約。
「ミルクマン」と呼ばれる男に付きまとわれた主人公の饒舌なひとり語り。登場人物や土地の名前がまったく明示されないが、読んでいるうちに1970年代、北アイルランドの対立・紛争を背景とした物語だとわかってくる。
主人公が読書好きで(現実逃避という側面もありつつ)歩きながらでも本を読む18歳の少女という点に親近感を覚えるが、その歩き読書が危険視されてしまう世間の息苦しさ。噂が独り歩きし、たとえ家族にでも本音をうっかり口に出すことがためらわれ、状況やちょっとした情報からありとあらゆる想像力を駆使して推論して自分なりに理解をして自分を納得させる日常…ディストピアもいいところだけど、いまコロナ禍や五輪開催をはじめあらゆることで分断された現実の世界もそういう雰囲気が増してきてはいないか。自分はまさに主人公と同じような気持ちですごしていると思い当たることも少なくはなく、読みながらぞわぞわしてしまう。
そうこうしているうちに物語も中盤をすぎ疑心暗鬼が昂じ主人公が精神的に疲弊していくその実況中継が他人事と思えずおそろしかった。
最終的にはいくつかの偶然がかさなって、主人公は精神の牢獄から解放され自分を取り戻す展開だが、多くの人が自分の気持ちを蔑ろにしてその穴を噂話や周囲の人への干渉・嫉妬などで埋める世間、不幸や悲しみが日常になってしまい、手に入れるべき幸せを得ることさえその先の喪失を先取りして恐れてしまうという精神状態、八方塞がりの学習性無力感…そういったものからじわじわと破滅にむかうのをどう方向転換していかに抜け出せばいいのだろう、と読み終えてからも考えている。
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国際的に見たら、ヨーロッパが裕福、上位みたいなイメージだが、スペインしかりイギリスも民族同士仲良くなくて、この作者は北アイルランド首都のベルファストという場所に産まれて、国取り合戦に巻き込まれて、あたし憂鬱、という作品で。にっぽんじんからしてみたら、勝手にやっておくれやし、なんだろなー、イギリス人って、こういう身内だけで盛り上がるテーマ好きだし、そういう意味で色々賞とってんのかもしれないが、読むのは時間の無駄。内容が20分の1で纏められるだろうよ。傲慢というか、いい作品でないと思う。
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読むのが大変だった。なにしろ楽しい話、明るい話がほとんどない。名前がない。ストレスがいっぱい。信用がない。そのくせ規範やら共同体からの要請がある。主人公は奇人変人の一人とされている。その主人公の独白をおうという形。
会えて、筋をはっきりさせず、登場人物との関係もはっきりさせず、嬉しいことも、楽しいこともあまりでてこない。
主人公の精神の安定には19世紀の文学を読むことなのだが、主人公の属している世界では歩きながら文学作品を読むことが異常であり、それがゆえに奇人変人とみなされている。
主人公は共同体の意識に影響されないように敢えて、無表情を務め、関わりをもたないようにする。
しかし、そこは人間ボーイフレンドとは言えないまでも友達よりは親密なメイビーボーイフレンドとの関係は中途半端に築いている。
そこに現れるストーカー ミルクマン。ミルクマンは主人公の生活や行動パターンを熟知しており、主人公をストーキングする。主人公はそれがいやなのだが、なぜか家族からはそして地域社会からは主人公とミルクマンがつきあっていることとされる。
主人公はそういった誤解を解こうとはしない。なぜなら主人公は共同体から離れようとしているのだから。
そうこうするうちに、もう一人のミルクマンが出現し(こっちっは良さそうな人)、メイビーボーイフレンドも実はホモであることがわかり、母親も恋に落ちという話。
後書きをよむと70年代のアイルランドの話らしいが、海の向こうの国はイギリス、異なる宗教はプロテスタントとカソリックらしい。
こういう小説が評価されるんだといことを知ったことが収穫でした。
ちなみにダラダラ続く文章は川上未映子風。
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「百年の孤独」の冒頭のような一文から始まるこの小説に固有名詞はほとんど出てこない。
「あっち側」「海の向こう側」「地区のこちら側」。
指示代名詞ばかりで、人の名前も二つ名や家族を呼ぶものばかり。
読んでいくうちに、この町の住民が、体制側に抑圧されており、反体制側がその中で町を陰に統治しゲリラ的に対抗していることがわかる。
人は簡単に撃ち抜かれ、爆発に巻き込まれ、猫や犬の遺体はさらされ、噂が噂を呼び疑心暗鬼に追い込まれていく環境が、どこの国かはあえて語られない。
(北アイルランドらしいことは本の紹介で知ったが、程度の差はあれ同じような地域なら通じる)
そしてそんな中でも人間は多面的だ。
変人奇人と思われてきた人にも裏があり、信じてくれると思った子供時代の親友は聞く耳を持たず、“おそらく彼氏”には隠し事があり、一方で嫌な母も姉もやはり母であり姉である。知っていると思っているのは真偽不明の噂か個人が見つめる一面だけなのだ。
私たちは隣人のことをよく知らない。
たとえ、それが抑圧された閉鎖的な世界でなくても。
暗いのか暗くないのか不可思議なくどくどした語りに耐え、やっと慣れた150ページ過ぎからはとまらない。
さすがブッカ―賞。
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北アイルランド紛争時のベルファスト的などこか。
反政府の過激派が支配する地域で生きる保守的な住民たち。
ちょっと変わった女の子がちょっと変わっているために、過激派の重鎮に見そめられて付きまとわれ、ちょっと変わっているため保守的な住民たちには受け入れてもらえない。
無責任な噂は新しい無責任な噂を呼び、過激派は好き勝手する。読んでてうんざりする地域社会の中で、ストーリーは途中から一気におもしろくなる。
実際に触れて傷をつけなくても、暴力は色んな形で存在し、人を壊すことができる。実際に人が死ぬような暴力が日常の場所でも、見えない暴力の力は計り知れない。
何も見えていなくても、何も起きていなくても、心が壊されるようなことがあれば、そこに暴力は存在している!
固有名詞が出てこないので、どこでも誰にでも当てはめられる。また、当時のベルファストの息苦しさを想像することもできる。
ディストピア小説のようなフェミニスト小説のような不思議な小説。