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- カテゴリ:一般
- 発売日:2021/01/14
- 出版社: 創元社
- サイズ:20cm/223p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-422-93089-3
読割 50
紙の本
ぼく自身のノオト
ぼくにはわかっている、ぼくの人生をよぎるこの不安とは、「こうあるべき」自分と、ありのままの自分との戦いなんだ−。青年期の心をめぐる、生き方を確立する方法をさがし求める心理...
ぼく自身のノオト
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商品説明
ぼくにはわかっている、ぼくの人生をよぎるこの不安とは、「こうあるべき」自分と、ありのままの自分との戦いなんだ−。青年期の心をめぐる、生き方を確立する方法をさがし求める心理エッセイ。〔人文書院 1979年刊の新装版〕【「TRC MARC」の商品解説】
青年の普遍的思索。
500万部突破の世界的名著、待望の復刊。
1979年に出版された『ぼく自身のノオト』
(原題:NOTES TO MYSELF)を
初版時の瑞々しい翻訳で新装復刻。
青年期の心をめぐる、
生き方を確立する方法をさがし求める
心理エッセイ。
訳者新装版あとがき:きたやまおさむ
装画:中田いくみ
(『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』)
*********
推薦:山崎まどか(コラムニスト)
13歳から20歳にかけて、
この本を何度も読み返し、
友だちや好きな人のみんなに貸した。
どのページのどの言葉も覚えている。
久しぶりに手にとって、これはもしかして、
いま必要とされている言葉ではないかと考える。
北山修の名訳だ。
*********
訳者あとがき(初版時)より
これは、一九七六年にBantam Booksから出版された‘Notes to Myself―My struggle to become a person’の日本語訳である。著者Hugh Pratherがこれを書いたのが一九七〇年で、そのとき彼は三十二歳、まったくの「無名」で、これといった「肩書き」もなかった。初版はアメリカ南西部のユタ州にある小さな出版社Real People Pressから大した広告もせずに発表され、数年の間に百万部を売りつくしている。内容は、小説でも詩集でもない。個人の日記の抜粋である。原文にはページ数の印刷がなく、どこから読んでもかまわないようになっており、もちろん目次もない。数年前まで学校のカウンセラーをやっていたというこの書き手は哲学者でも文学者でもなく、「みんなと同じ平凡な人間」である。
彼はいっさいの虚偽を許容できないらしい。彼は内的な現実をできる限り受けいれて、自らの内部にある真実を読者に伝えようとする。日本語を利用するなら、タテマエを拒否して、ホンネをできる限り表現することで、「ぼく」を確立する方法をさがし求めている。ゆえに、創作性のないこの本を文学性や思想性によって価値づけを行う必要はないし、実際にそんなことは不可能だろう。発想や行動の基盤をつねに「ぼく」に置いて、その「ぼく」の一部や全部が「ぼく」から遊離していくこと、さらに異物が「ぼく」のなかに入りこんで「ぼく」をしばりつけること、を罪悪視するのなら、実に日記という表現形式がもっともふさわしいものだったのである。私たちはホンネを言うことを自らを被害者化することと同じであると考え、「めめしい」と言ってそんな「ぼく」を切りすてようとする。しかし、著者のホンネは、決して弱音を吐くことではなく、自らの弱音をも自らのものとして語って相手と交流しようとする態度は一種の強さでもある。
*********【商品解説】
目次
- ぼく自身のノオト
- 読者へ
- 訳者あとがき
- 訳者新装版あとがき
著者紹介
ヒュー・プレイサー
- 略歴
- 1938年、米ダラス生まれ。作家、カウンセラー、メソジスト教会牧師。1970年『NOTES TO MYSELF』によって、ベストセラー・エッセイストとなり、『誠実であるということ』『心のシンプルライフ』(邦訳、ヴォイス)ほか十数冊の著作がある。妻のゲイルとともに、家庭におけるアルコール依存や虐待、また危機をむかえたカップルのためのカウンセリングに長年従事。「Wisdom Radio」等に自身のラジオ番組も持った。2010年没。
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紙の本
分かるような分からないような
2023/05/30 17:41
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
人に勧められて買ってみた詩集のような散文集(あとがきによると日記の抜粋とのこと)。
一般男性の内省が文章化されていて、抽象的かつちょっと訳が堅いので、分かるような分からないような、、といった感じ。だけど、時々ハッとさせられる文章があったりして、簡単な共感だけでは終わらせない光るものがあるようには思う。
紙の本
1970年代の世界的名著が2021年に蘇った
2021/11/14 23:59
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みなとかずあき - この投稿者のレビュー一覧を見る
章立てもされておらず、小見出しもなく、数行から数十行の文章がただ書き並べられているだけの本。何人かの名前が登場するが、どこの誰かもはっきりとはわからず、何とも不思議な本だ。
ただ、そこに書かれている個人の内面の吐露とでも言うべき言葉の数々には、どこか共感できるところがちりばめられている。おそらく若者なのであろう。世の中とうまく折り合っていくことができず、どうすれば良いのか、それでも自分はどうしたいのか、どうすべきなのかといったことを考えた跡としての言葉が並んでいる。そこには、共感できる言葉も、感心する言葉も、ただただ並べられているといった感じだ。
原書は1976年にアメリカで出版されたというから、もう半世紀近く前のこと。書かれたのはさらに時間を遡り、1970年ということだ。当時32歳の無名の若者の個人の日記からの抜粋だという。もう半世紀以上前ということになる。日本で翻訳書が出版されたのでも40年になるというのだから、もう歴史のかなたの本とも言えるかもしれない。そんな時代にベストセラーとなったらしいが、21世紀になって蘇った。1970年頃の世界と2021年の世界に何か共通するものがあるのかもしれない。
もっとも、この本全体はやはり若者が書いた言葉であるという雰囲気がありありとしており、それが歳を経た者からすると幼く拙くもみえ、うらやましくもみえる。きっと誰もが通りすぎてくる若者の時代の悩みや希望が書かれているのであり、時に不安定で時に確信を持って語られているということなのだろう。そして、それが時に格言めいた言葉のようにも読めてしまい、ずっと読んでいると何だかどこかの格言集のようにも感じられてしまった。確かに、良いことを言っているところがいくつもあるんだけれど。
個人的には、翻訳者に惹かれて読んだというのが大きい。以前よりベストセラーだったということは知っていたが、久しく書店の棚に並ぶことがなくなっていたので、読み損なっていたのだ。
原書がどのような感じで書かれているのかわからないが、日本語訳を読んでいると、これぞきたやまおさむだと思えるところがいくつもあった。平易な日本語でとても深いことが語られているのだ。この語り口は、きたやまおさむが作詞した多くの歌に共通していることのように思えた。