紙の本
作家の読書日記
2023/06/30 17:09
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投稿者:るう - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヒグチユウコさんの表紙が素敵。
センスの良い人の読書日記ってどうしてこんなに面白いのか(笑)
漫画から俳句まで幅広く読んでいる貪欲さ 見習いたい。
往年の名作少女漫画、ボロボロの宿に執着するつげ義春の旅の記録、松本清張と俳句、沖縄戦のひめゆり部隊生存者の凄惨な証言…
図書館の中は静寂、外は嵐。
そして本の中には地獄さえある。
読書で悲しみの見届け人になるという事も。
それを再確認した一冊。
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【さあ、ページをめくろう。世界が覆る予感を求めて】漫画、SF、ミステリ、絵本に歌集――穂村弘の心をとらえて離さないあの一行、この言葉をじっくりと味わう、魅惑のブックガイド。
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ブクログの新刊案内を見て、読みたいなーと思っていたら、最寄りの図書館が入れてくれました。ラッキー。しかもたぶん私が最初の読者。嬉しい。
さて、こちらは歌人でエッセイストの穂村弘さんが雑誌『週刊文春』に2017年7月20日号から2020年7月9日号まで連載された読書日記である。
最初は、一冊一冊の本の紹介の文章の長さがバラバラで、「もっとこの本のおはなし読んでいたかった」と思うこともあり、ちょっと物足りないかな、と思ったのだが、読み進むにつれ、どんどん楽しくなってきた。
そして、ブックガイド・ハイ(ブックガイドを読んで読みたい本がものすごく増えること)に陥り、憑かれたようにブクログの‘読みたい’に放り込んでしまう。あちゃー、またやっちまった。
紹介される本は、絵本、昭和のミステリ、そして歌集が多い
。
中井英夫、泡坂妻夫、連城三紀彦、竹本健治といった作家が好きな理由について「作中の謎が解けることによって平穏な日常が戻ってくるのではなく、世界そのものが鮮やかに反転して未知の次元が開かれるからだ」p147と、書かれている。そこからのミステリ論は、展開がなかなかスリリングでワクワクした。
穂村さんの選ぶ本は、全般的に、言葉への、世界への違和感がキーとなっている気がする。
そしてそれは私が穂村さんが気になる理由のひとつでもある。
最後に。
(ある作家さんの本を思い出し、その本の中に出てくるバンドの名前の由来となった本を購入する穂村さん。)‘「好きな人が好きなものに近づきたい」の法則である。本の世界(に限らないが)って、そんな風にどんどん繋がってゆく気がする。(略)’p157
憧れの穂村さんもそうなのね、と急に身近に感じた。
どこかレトロな装丁は大久保明子さん。
不気味かわいいイラストはヒグチユウコさん。
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困るんだってー。穂村さんがお勧めする本、みんな読みたくなっちゃうから困るんだってー。その上、題名も装丁までも美しいんですよ。また積読が増えちゃうから☆マイナス1です(ひどい)
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本、いっぱい読みたくなった本
ただぼんやり読んでるだけの自分には
たどりつけない境地
装丁もカッコイイ
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タイトル通り、書評ではなく感想が綴られていて、すいすいと読んでいける。それでも穂村さんなので、ところどころで、お、と思う。
・松浦理恵子「最愛の子ども」について、「社会的にはほとんど価値を持たない小さな感情の襞が丁寧に描かれていて、少女たちの心をこの上なく大切に扱おうとする書き手の意識を感じる。」とあるが、これに続く一文に、はっとした。「我々の未来を変える価値観は現在の他愛なさの中にあると思う。」きっとそうなんだろう。それが何かは今見えないけれど。
・つげ義春について色々述べられている。
「この『旅年譜』には『秘境』という言葉が何度も出てくるのだが、旅情を求めるという次元を突き抜けて、もはや異界への没入願望という印象である。考えてみれば、私がつげ作品に惹かれるのも同じ理由だ。いわゆるファンタジーとは異なる、現実の直下にあるマグマのような異界への憧れ。」つげ作品に感じるものをぴったり言い表していて唸った。
また、つげ作品独特の印象的な言葉遣いに触れて、「作品自体が素晴らしくて、その中のいわゆる名台詞とか決め台詞が記憶に残るのは勿論わかるんだけど、つげ義春の場合は、それだけではないのが不思議だ。」とあるのも、まったくそうだと思う。「サンビスしますから」(リアリズムの宿)「テッテ的」(ねじ式)「キクチサヨコ」(紅い花)などなど、妙に忘れられない言葉が次々浮かんでくる。
作品からうかがえるつげ義春の生き方を「ラディカルな自己放下」と穂村さんは言う。これもすごく腑に落ちた。
「このとき(『旅年譜』を読んだ時)以来ボロ宿に惹かれるようになったが、それが自己否定に通底し、自己からの解放を意味するものであることはずっと後年まで理解が及ばなかった。」なるほど、「自己放下」「自己からの解放」というとらえ方は実にぴったりくる。
・鳥飼茜の「前略、前進の君」では、非常に繊細な心理描写がされているとした後、こう書かれている。
「自分にもかつてそんなひりひりした思いがあった。というのは錯覚だ。どこまで時を遡っても、私はこんな気持ちを抱いたことは一度もなかった。ただどんよりしていただけだ。それなのに、いや、だからこそなのか、鮮烈な描写に惹きつけられる。」
そう、10代の心情を描いたものを読んで、自分もこんな風に感じていたと思うことがあるけれど、よくよく考えてみると「ただどんよりしていた」り、むやみに焦っていただけというほうが正しいのだなあ。
・あまり知られていない歌人らしいが、鈴鹿俊子の「蟲」という歌集が取り上げられている。「日常を詠いながら独特の危うさがある」と穂村さんが評する短歌と、実人生に強い印象をうけた。
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「週間文春」に2017年7月から三年間にわたって連載された日記体の書評集です。
主な書評はやっぱり、句集や歌集が多かったです。
SF小説が多かったのは意外でした。
そして、少し古い時代のミステリー作家の初期作品。
中井英夫、泡坂妻夫、連城三紀彦、竹本健治など。
連城作品は初期のものは一時はまってほとんど読みましたが、『連城三紀彦レジェンド』『連城三紀彦レジェンド2』は知らなかったので読んでみたいです。
綾辻行人、伊坂幸太郎、小野不由美、米澤穂信の四人が編者として熱いコメントをよせているそうです。
漫画も多かったです。萩尾望都、大島弓子、内田善美、つげ義春などの漫画がお好きな方には懐かしい本でもあると思います。
やはり穂村さんは歌人なので、半分近くが句集、歌集の各句、各歌の説明で占められていました。
清張が二十代の頃から俳人の手ほどきを受けていたなんて初めて知りました。
いろいろなうんちくも知れて、書評集ではありますが、短歌や俳句の好きな方にもお薦めの本です。
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書評集というには書評が簡単過ぎます。読書案内かな。詠み方は勝手ですが、もとより著者は読書日記と名乗っていたのでした・・・・・。
「図書館の外は嵐」に出てくる本をみんな読めば、穂村弘になれるかもしれません。(ウソです)
でも、読まれている本よりも読んでいる人の方が面白いのが「図書館の外は嵐」。
1冊の本を集中して取り上げるのではなく、興味のつながりに添って3冊ずつ紹介するスタイルは、どうしても3冊を選んだ人の「人となり」を語ってしまう。その「人となり」が面白い本でした。
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本が素敵。
もちろん装丁や紙質、そして著者の空気感。
大事に少しずつ読もうと思ったのに、なんだか楽しくて止まらなくなってあっという間に読んでしまった。
さて、ここに紹介されていた本、なにから読もうかな。
今から楽しみ。
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こういう本はキケンなんだ。
ただでさえ読みたい本がたくさんありすぎて読み切れてないのに、また読みたい本が増えてしまう。
中には読んだことがある本もあって、そこは落ち着いて読めるのだが、読んだことがない本がすごく魅力的に紹介してあると、いてもたってもいられない気持ちになる。あ〜体に悪い。
連城三紀彦とか泡坂妻夫とかは、名前は知ってるし、売れっ子だった記憶もあるのだが、何となく昭和のおじさんが好む、湿った話のような気がして(完全にイメージです。すみません)読んでいなかったけど、そこまで言うなら読むしかない、という気持ちになってきた。
松本清張が俳句好きだったという話に納得。松本清張の小説のタイトルは「〇〇の〇〇」が多いが、
「普通は結びつかない言葉同士を「の」で繋ぐことによって謎めいた印象が生まれている。「遠いもの同士の連結」とは、西脇順三郎も唱えた詩の作法ではないか。」(P144)
確かに!松本清張の小説はタイトルがいいんだよね。球形の荒野、砂の器、霧の旗‥‥。すごくそそられる。
「世界の手塚治虫」「世界の萩尾望都」かもしれないが「世界の大島弓子」ではありえない、「私の大島弓子」と思う、っていうのも、本当にそう。
図書館の外が嵐になって、図書館に閉じ込められてひたすら本を読む、という巻末の詩にもうっとり。そんなことがあるといいなあ。書店だと売り物だから、あんまり読み込むと悪いけど、図書館なら、一晩中読んでいられる。書店にはもう売っていないような本もある。最高。
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カーテンの向こうは、激しい雨と風と稲妻。
でも、平気。
だって、私はここにいる。
――穂村弘の心を捉えて離さない本たち。
「週刊文春」の好評連載「私の読書日記」3年間分を書籍化。
エッセイや評論、絵本や翻訳など幅広く活躍している、歌人・穂村弘が、
絵本、歌集や句集、名作文学に、ミステリ、SF、漫画……
幅広いジャンルから選ばれた本を丁寧に読み解きます。
【本書で紹介される本たち】
登場人物が三人のミステリー、『ポーの一族』の四十年ぶりの新作、原民喜の童話、ひと夏の物語、ブローティガンが東京を描いた詩集、『おなみだぽいぽい』という絵本、ひめゆり学徒たちの声、「クラムボン」の仲間たち、『交通事故で頭を強打したらどうなるか?』、異形のライフハック、百年前のディストピアSF、大島弓子の単行本未収録作品……
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このタイトルからして、やられてしまう。嵐の音とも風雨とも隔絶され、本に囲まれている。あたたかいのみもののカップを持って、穂村さんのおだやかな声で、本の話を訥々語ってもらっている、そういう一冊。読書好きだったら、こういう、繭のように守られた状況での読書、最高ではないか。少なくとも私はそうだ。今しも、ベッドでココアを飲みながら、これを書いている。熱すぎたココアが’、書いてるうちにちょうどよくなるのを期待して、だ。
穂村さんの読書日記の空気は、ふたとおりある気がしていて、曇りの日に、居心地のいい部屋でほんの話を聞いてるような、繭の状況での感じ。もうひとつは、中央線界隈や早稲田の古書店を、ふらりと訪ねて本を探すのに一緒についていっちゃったような感じ。この本読んでると、古書店で本を買う様子が多いのだけれど、どうも、一緒に買いに行って、書棚に釘付けでこっちを見ない穂村さんの横顔を見ながら、本の話を聞いてるような。
サッシの引き戸開けた時の、ぷうんと来る本の匂いや、茶色っぽいけど丁寧に扱われた本が、ぎっしり入った書棚まで、生理的に思い出してしまう。本屋さんの薄いようなしっかりしたような袋までも。
扱われている本は歌集にマンガ、児童文学に海外小説、話題のミステリ。あれこれ、私に刺さる本も刺さらぬ本もあっていい感じ。刺さらない本の話もいいのかって?読まないと思う本の話なのに、このひとの語ってくれる話なら、聞こうかなあということ、ないです?つい、ふらっと喫茶店の隅の席で、つい二人分のコーヒー頼んで、いつまででも聴いてるようなこと。まさに、そんな感じ。
気になった本は、『読みたい』に登録したが、視野がディープに狭いジャンルと、話題のものにも目配りが利いてて、さすが本好きと思うのと、するどく世の中を見てる…中心をいろいろ変えて世の中を見てる、その窓として読む本の選び方と、十代のように透明で儚い叙情性を感じる嗜好とに、大別される気がしている。
それでも、私の言葉なんて。知れていて。次に何の本を
「あのう、これね…。」
って差し出されるか、予想もつかないのだもの。掴みどころのなさと意外さに、ついもう1ページと、読んでしまうだろう。同じ本読んでたと快哉を叫ぶもよし。うわあ全然知らないよと、検索するもよし。そういうのはおいといて、嵐の気配を気にしながら、この空気に浸るもよし。
くせになりそな読書日記です。ココアが飲み頃なので、今日はここまで。
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穂村弘さん、2017年7月〜2020年7月、3年間の読書日記。やはり面白かった!
「すごく面白い作品に出会うと、その本の世界からいったん顔を上げてきょろきょろする癖があるんだけど」には、私もです〜と心の中で呟きました。
あと、すごいな、とおもったのは"ぎっくり背中"という自身の状態から、シリアの小説の作家の書きたい内容をそのまま表現できない環境に共通点を見つけた「不可思議の理由」。
身(?)をもって説明されたのでなんだかものすごい説得力。こんなレビュー書けるのは穂村さんだけだと思う。
ミステリ、少女マンガ、句・歌集。
穂村さんの書評は、様々なジャンルから新しい気づきをもたらしてくれて楽しいです。
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気になったものを電子書籍で探していて、『連城三紀彦 レジェンド』の2はあるのに無印がない。どうしてかしら?紙で買うか。
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穂村弘の読書日記だが、『きっとあの人は眠っているんだよ』(20/2/4読了)は河出、こちらは文藝春秋。
この人の本を読んでいるとき、いつもその"かわいこぶりっこ"具合が気になる。エッセイでもありがちなのだが、やたらと「いいなぁ」が多用されるので出てくるたびに笑ってしまう。まぁその辺は嫌いじゃないので穂村さんの本を何冊も読んでいるんだが、たまに有害じゃないかと思う"ぶりっこ"もある。
たとえば高橋源一郎の純文学作品を「難しい文学の本」と書いているくだり。児童向けに書かれた小説で初めて高橋の魅力がわかったという自分を卑下しつつ、同じ苦手意識を抱いている読者に向けて敷居を下げた紹介文なのだとは思うが、あまりにも反知性的な書き方ではないかと思う。
本書の場合、後半へ行くにつれて本格推理小説の考察や専門である歌集・句集の紹介が増え、文中のぶりっこ濃度は減っていく。専門外のものを語るときの引け目が言葉遣いを幼くさせていることに無自覚だとは思えないけど、直そうという気もあまりないんだろう。それが"ほむほむ"の味だしね。