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投稿者:Masaru_F - この投稿者のレビュー一覧を見る
もう10年経ったのか、という思いと、こういった本を読むと何も変わっていない、まだまだやることが多いんだという思い。個人的には、声高に主張されると少し引いてしまう部分もあるが、このトーンで迫られると胸に響きますね。
紙の本
まだまだ
2021/08/26 10:18
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投稿者:怪人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
震災もの3部作の3作目となる。舞台は東日本大震災後10年経過した時点、兵庫県と宮城県の間で物語が進展してゆく。2021年まで時が進み、被災地の復旧復興の話題が展開されている。ハードの復旧・復興はよくできているように見えるが、その実、地域のコミュニティの再興や人の心の復興は遂げていないか、よくわからないというのが多くの実情のようだ。目には見えない、成果が判断しにくい、まとめがしにくい等のことからか行政側の説明も心許ないように思える。某県のおよそ10年もかけた高い防潮堤と高台移転の併用策は本当に妥当だったのか。build back betterとはどういうことなのだろうか。
物語の終わりはSNSで失敗談を募集する主人公の姿で終わる。震災の伝承は重要な課題だが、これぐらいしかないのかと首を傾げる反面、これぐらいしかないのかなとも思う。物語はまだ続くということか。
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「震災三部作完結編」
このタイトルに違和感を感じる。確かにこの前に出ている2作品はとてもいい作品だし、大好きだけれど、「震災三部作」と言う表現は適切なのだろうか?
前作で「まいど先生」こと小野寺徹平は、震災後2年間過ごした「遠間」を離れ、神戸に戻る。
戻った後から、東日本大震災から10年になる今年までの出来事を描いた短編集。
「震災を伝える」
その意義に何があるのかを考えらせられる「語り部さん」達の現在の存在意義。
「何か出来ること」
本当は被災者の為ではなく、自己満足なんじゃないか?
「結果責任」
阪神淡路の震災で初めて行われたと言われる「トリアージ」しかし、実際にトリアージに関わった人も震災から25年を経て、かなり年を重ね、認知症を患いながらも、「あの時の自分の判断は正しかったのか」と自分を責め続ける。
一貫して流れる生き残ってしまった人の辛さ。生き残ったが為、何が出来るかと葛藤する人々。
個人的にも各地の語り部さんには、とてもお世話になった。しかし、本書にもある通り、震災の記憶はつなぐ必要があるのだろうか?戦争の悲惨さは、二度と同じ過ちを繰り返さない為の教訓になる。しかし、震災の記憶を伝えて、未来に何が残るのか?非常に考えさせられる部分だった。
防災の知識は、間違いなく役に立っている。
ただ、それが被災者の復興への願いとイコールなのか?
そこもとても考えさせられた。
人々を津波から守る大防潮堤は、常磐道から見えるきれいな太平洋の景色を一変させた。
いわきの小名浜に突如現れたイオンモールは、2階部分までが高めの駐車場になっており、津波の被害を分散させる効果があると言う。
良いことだと思って、そんな話をお客様に伝えて来た。でも、それは地元を愛する人たちの気持ちを考えていない言動だったと、反省させられた。
「遠間」は架空の街。モデルは石巻と言われているけれど、被災にあったどこの街にでも当てはまると思う。
ちょうど1週間後は震災から10年。
小野寺のように行動力がある訳でもない自分は、ただいつもと同じように離れた場所から、被災された方、亡くなった方へ心を寄せて、静かに過ごそう。
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神戸と東北、双方で復興に身を置いた男性教師を中心に描かれる三部作の完結作。傍目には気づかないような当事者たちの問題が神戸と東北(モデルは石巻)でつぶさに描かれる。
生半可な傾聴ボランティアの危険、残された遺族が抱える消える事がない過去への後悔、堤防などのインフラが完成した復興された街並みと裏腹に、産業の衰退や世代間で生まれるコミュニティの摩擦など、描かれている問題はどれも被災地のリアルなのだと思う。
著者の真山仁は「これほど未来に向けて書いた作品はない」と述べている。確かにどの章にもエピローグが無い。問題に直面する当事者と葛藤しながらも必死でなんとかしようとする若者たちの姿が描かれている。読者に考える余白を残す事で、各々が考える事を求めるのが震災小説のあり方なのだ、と示唆しているように感じた。
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神戸震災時、地元で小学校教師をしていた小野寺
その後、遠間で教師をした。教え子が高校生になり居酒屋でバイト。神戸に戻るが教師になれず。
NPO事務局長になる。地元進学校に呼ばれてプレゼン。震災を知らない世代、将来官僚候補。体育館に遺体を運んだことを伝える。
復興五輪には違和感。
被災者の話を聞くボランティアはケアが必要。
被災者の消防士の叔父は地元を去る。自殺。
東北の網元の息子。東大、留学、コンサルが戻る
20億円をIT企業から寄付。現場の声をいていない、日本から出ていけ、叔父から言われる
亡き父は真のリーダー
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震災三部作完結編。阪神淡路大震災、東日本大震災を経て復興はまだまだ続く。被災者の思いは、行政にはなかなか届かない。色々な人から角度を変えてみた時なんとも言えない。考えさせられる本である。
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小説として、書き上げた阪神淡路大震災、東日本大震災に遭った人々の深層。崩落した家屋の前に毎日たたずむ小野寺。無理やり人生をリセットされた場所から歩むには。
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まいど先生、震災三部作・完結編。
10年たってやっと、この手の「小説」を、あまりこだわりなく読めるようになったかも。ドキュメントではなく「小説」として残すことの意味を、なんとなく納得できた、時間とは恐ろしくもあり有り難くもあり。
震災だけでなく、オリンピックのこと、コロナのことにまで触れていたのは良かった。
復興について、「失敗」を伝えていくことの必要性、色々考えさせられた。
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2021.3まで引っ張ってるから、何か見せてくれるのではと期待したが唐突にジ・エンド。「陽は昇り、陽は沈む。時は移り、喜び悲しみを乗せて流れゆく」「そもそも復興って」「復興五輪」遠い懐かしい言葉。
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真山仁さんの震災3部作完読。震災とはなんだろう、正しい復興とはなんだろう、と考えさせられる。
やり過ぎると受け手が依存体質になり自立できなくなり、かと言って見殺しにはできない。「失敗談」を語り継ぐのもわかるが、かといってそれが全てではない。
自分がまいど先生だったらどう振る舞うのだろうか。
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阪神・淡路大震災で被災した小学校教諭の小野寺徹平が自身も妻と子を失うも東日本大震災で被災した小学校に応援教師として出向。その後、震災の教訓を子供達に伝えようと神戸に戻るも何が伝えられるのか悪戦苦闘し、悩む。日災研の早野理事長の結果責任云々の発言や遠間市の波春漁協の鬼頭太郎漁協長の解任事件など話しが色々飛び、最後は「わがんね新聞」に災害経験者が伝えられる何よりも有益な情報は失敗談だとその活動に取り組むと話しを結ぶも、読後感はしっくり来ず。
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真山さんの震災三部作の完結編。
前2作よりさらに、小説というより震災後の東北の現状を描いたドキュメンタリーと言えるくらい、見逃されがちな被災地の課題にクローズアップしている。
震災から10年経ってハード的な復興が完了しても、目に見えない被災者の心の傷、不安、精神的疲労は終わりがない。
短編小説なので、傾聴ボランティアとか波春地区のプロジェクトの結末が気になるけど、拙速な結末は無くて良かったかもしれない。
「復興五輪」、「旋風機」は私も個人的にいろいろ意見、葛藤がある。「乗り越えられない」は辛すぎた。
震災を語り継ぐことの意味として、「失敗」を繰り返さないために経験を伝えていくことというのはなるほどなと思った。
「失敗」という言葉自体は賛否あるかもしれないけど、自分のことじゃなくていいから、震災後に気づいた、社会や地域、復旧・復興の失敗を、繰り返さないでもらうためにと思えば少しずつ話せるかもしれない。
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問題提起に終始していて、解決は読者にゆだねられている感じ。ボランティアが人のためと思ってやりすぎると、される側は依存体質になる、というのは私も同意。
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今生きている人間の経験した中で衝撃の大きかったできごと。そうだったはず。
だけどそこには常に風化という問題がつきまとう。次々おこる次の衝撃に、そのつむじ風にどんどん流されて感覚が鈍化する。
真山さんが凄い取材を重ねて、当時書けなかった阪神淡路大震災もひっくるめて書かれた作品。出口がはっきり書かれるわけではないけど、ああ、あのあたり…と思える。それって物語の重要な役割ではなかろうか。そんな作品に出会いたいし、出会ってほしい。
徹平ちゃんにグランドゼロが見つかったように、私のグランドゼロを見つけたい。
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三部作の完結という事で、まいど先生の活躍に期待しましたがどちらかと言うと話を決着させるための本だなあと感じました。
教職ではなく被災者の語り部、伝承していくものとしての活動が主になります。まいど先生は先生ではなくなってしまいました。
復興を掲げて一丸となっていた頃を過ぎ、次第に日常を取り戻した時、まだ心の傷がいえていない人々は何処か置いてけぼりになった感覚を覚えます。立派な町が出来上がってもそこに自分の居場所が無ければなんと虚ろな事でしょうか。
神戸から25年、東日本から10年。僕らも日常から思い出すことはあまりないです。それは悪い事ではないと思うのですが・・・。
本としては読み切ったという感想しか出ない本です。淡々とした読み口が感動を拒むのですが、これはお涙頂戴にはもっていかないぞという作者の心持を感じます。人々の復興はまだまだこれからも続いていくんだと言われている気がしました。