楠木正成 知られざる実像に迫る
著者 千早赤阪楠公史跡保存会(編集) , 生駒孝臣 (著) , 尾谷雅比古(著)
日本史上屈指の名将、「大楠公」楠木正成。記録上の活動期間はわずか五年に満たず、その実態はベールに包まれている。日本中世史研究者で楠木正成の再評価の第一人者である生駒孝臣に...
楠木正成 知られざる実像に迫る
ワンステップ購入とは ワンステップ購入とは
商品説明
日本史上屈指の名将、「大楠公」楠木正成。記録上の活動期間はわずか五年に満たず、その実態はベールに包まれている。日本中世史研究者で楠木正成の再評価の第一人者である生駒孝臣による、『太平記』『梅松論』の検討に加え、実証研究をもとに楠木正成の実像に迫る論考。さらに、明治以降の千早赤阪村周辺の顕彰活動を尾谷雅比古がまとめた論考も収録。楠木正成の過去の実像と現在の受容をまとめた一冊。
南北朝時代から明治維新にいたるまで日本史上最大の名将とうたわれた楠木正成は、明治以降は「大楠公」と称され皇国史観のもとで忠臣としての側面が過剰に評価され、戦後になるとそれが反転して「悪党」のイメージが押し出されるようになってきた。このように時代の背景によって評価が変転してきたことが、楠木正成の実像の把握を難しくしている。しかし近年の実証主義的な研究が進むにつれ、『太平記』に描かれている英雄的描写だけではなく、武将・官僚・商人など、多面的な顔と才能を持つ人物であったことが明らかになってきている。また、楠木正成が活動し、楠公誕生地や国史跡の千早城跡などがある千早赤阪村では「千早赤阪楠公史跡保存会」が結成され、正成ゆかりの地を整備し、普及活動に努めている。
日本中世史研究者で楠木正成の再評価の第一人者である生駒孝臣による、『太平記』『梅松論』の検討に加え、実証研究をもとに楠木正成の実像に迫る論考。さらに、明治以降の千早赤阪村周辺の顕彰活動を尾谷雅比古がまとめた論考も収録。楠木正成の過去の実像と現在の受容をまとめた一冊。
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
小分け商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この商品の他ラインナップ
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
もし正成が湊川で足利方についていたら
2021/10/21 11:20
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
赤松円心のように護良親王方だったので後醍醐天皇に冷遇された為に足利方についた武将がいるが、もし正成が湊川で足利方についていたら、この時代はどうなっていたのだろう、と読みながら思った。後醍醐天皇の吉野遷幸にしても楠木氏の手助けがあってから出来た事であるから、おそらく建武か暦応ぐらいで南朝は瓦解していた可能性がありそうだ。
楠木氏が橘氏と称していたが、由来が分からない出自だ。名和氏や文観もそうだが、出自が高くない家門出身者が後醍醐天皇に仕えた事になる。
昭和20年までの楠公顕彰について、簡単にでもいいから出版物や教科書などでの扱い方も触れたらよかった。